GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

特別お題 『選択』と『年齢』について

テストが終わったので、特別お題とやらをやってみよう。

 


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SKⅡがスポンサーってことで、SKⅡ話を少しやってみよう。

 

SKⅡと聞けば今でも思い出す。人物がいる。

 

過去に一緒に仕事をさせていただいていた。スーパーナースがいた。御年84歳。現役バリバリのスーパーナース!!

 

そんな彼女が愛用していたのが何を隠そうSKⅡだったのだ。ジーパン一着に8万円も出しちゃうほどの「オサレさん」な彼女。指だって値段換算で車が何台もくっついているほどの煌びやかさ。

 

洗髪は家では一切せず、美容院。といった美にかける情熱は葉加瀬太郎バリの情熱度。

 

いや~。女性って素晴らしいですね。

 

とまぁ。SKⅡのお話でした。

 

お題はそこじゃ~ない!

 

「選択と年齢」でしたね。

 

私が人生最大の一大選択をしたのは、26歳の春。

 

その当時、私は役者をやっていて、数はちょぼちょぼだだったが、それでもテレビドラマやCMにとそこそこお仕事をいただいていた。

 

1本単価はそりゃ、時給換算すればですよ。たくさんいただいていたと思いますが、何しろ数がない。一か月に2本ドラマに出ても、1本単価3万だったとしても6万円にしかならない。当然役者だけで生計が成り立つわけがない。

 

でも、居心地いいんですよね~。売れない役者って。そんな、全然売れていない連中が片寄せあって生きてると、なんだかホンワカするわけです。(意味わからないでしょ(笑))当時私は25,6なわけです。でも周りを見渡せば、私と同じ境遇の40代、50代、60代なんて役者さんがごじゃっといるわけです。当然食えないから、多くは専業主夫(奥さんの紐ですね。ヒモ)だとか、アルバイトで食いつないでいる人達なわけです。

 

あ~。ずっとこのままでもいいのかな?こんな人たちも一応世間を生き抜いてこれているわけだから~。

 

と、鬼のような勘違いをしてしまう訳ですよ。

 

しかし、周りを見渡せば、25歳ともなれば、高校時代や中学時代の友人たちは大学を卒業していっぱしの企業に入って「サラリーマン」としてバリバリやっとるわけです。

 

プラプラ売れない役者何ぞやっていると、そんな友人たちが、ウルトラマン、スーパーマン、サラリーマン!ってな塩梅で同列ぐらい凄い人に見えてくるわけです。

 

だったら、すぐに役者何ぞやめて普通に仕事したら?

 

って、思うでしょ。そうなんです。まったくその通りなんです。ですが・・・。

 

たまーーーーーーに売れちゃう人がいるんですよ。そんな、痰ツボのようなところから、這い出ていくやつが。そんなのを見ちゃうと、次は俺かな?なんて、スーパー勘違いをしちゃうんです。バカだから。

 

でも、もうダメだ。って、何回も何回も唱えては、ぬるま湯に浸かって出ることができない。

 

で、何か行動を起こさねば、このまま、あの売れないまま年だけ重ねていってしまったオヤジたちのように、なってしまう!!!!!

 

と、一念発起。長年所属していた劇団を脱退し、受験勉強を始めた。それが、25歳の11月。そこから願書を出して、受験できる学校がもう残り少なくなっていた。まぁ、とりあえず、何校かでも出してみよう。来年とか言っていたら、また、何年もぬるま湯に浸かってしまう。と、受験してみた。受験倍率が当時は10倍20倍とかなり高嶺の花の学部だったので、まぁ~。今年は無理かも?と思いながら、受験した。

 

三校受験して、初めの二校は見事に桜が散りまくった。残り一校。

 

薄っぺらい封筒が郵便受けに入っていた。受験した最後の学校のものだった。薄い封筒は不合格の証。

 

「来年だなこりゃ」

 

と思っていたら、なんと桜が咲いていたではあーりませんか。

 

おおおおおおおおおおおおおお!!き、奇跡がーーーーー

 

と喜び勇んで、入学金を払い込み、大阪のアパートを払っていざ新天地へ!と準備を進めていた時、一本の電話が入った。

 

電話を取ると、声の主は私が所属していた芸能事務所の社長さんからだった。

 

「あっ〇〇君。次の朝ドラほぼ決まったから、スケジュール半年空けといて」

 

と、数か月ぶりにかかってきた事務所からの驚き桃ノ木びっくり電話だった。

 

「あっ。いや~その~」

 

と、私が言葉を濁していると。

 

「まぁ、そういうことだから、来週ちょっと事務所に顔出して」

 

と一方的に告げられ、社長様は電話をお切りになった。

 

学校に受かったばかりで、今まさに渡航しようとしているそのさなか、なんて電話だ。入学金払った後じゃないか!

 

思案、ここで思案。学校に行けばそれなりに安定した生活は保障される。(当時理学療法士は他職種と比較して結構高収入で人気のある職業だった。)

 

しかし、しかしですよ。連ドラですよ。あの「おしん」とか「はれたらいいね~」的なあの、あれですよ。部長刑事とかBSドラマのちょい役とはわけが違う訳ですよ。

 

思案、思案。そして、思案。ただただひたすらに~思案。

 

いや~。あの時は脳みそちぎれるかと思うぐらい悩みましたね~。

 

タイミングが良すぎるというかなんというか。一年朝ドラの話が、いや半年でも早ければ、もしくは一年後にこの話が来ていたら、あんなに悩まなかったと思いますが、タイミングがーーー良すぎる。いや、悪すぎる~。

 

ん~。え~。と考え喘いだ挙句に出した結論は、やっぱり安定!!役者を5年近くやってこの結果なのだから、何のとりえもない私には無理だろう。お相撲だって、野球だって、芸人さんだって結果の出せる人は1年目でもズバット行っちゃうわけだから。

 

と、自分に言い聞かせて、進学を選んだ。人生最大の選択でしたねあの時は。

 

今は、理学療法士として素晴らしい多くの人たちや素晴らしい技術に巡り合い、あの時の選択は間違ってなかったと心底思っている。

 

でも、あの時違う選択をしていたらどんな人生になっていたのかな~。と思う日はない!と言えばウソになりますが(笑)

うんことちんこ

「うんことちんこ」と聞くと皆さんは、何を想像されますか?

 


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人間いくつになってもうんこ、とちんこにはトキメクものです。老若男女問わず。うんこ話、ちんこ話に花をさせている。(話の内容は年によってずいぶん変化しますけどね)とにかく、花盛りである。

 

うんこ話。ちんこ話は大人になっても皆大好きで、話のネタに困らないほどです。

 

青春時代の思い出や新婚当初の思い出等々、時折々のウンこ、ちんこネタがそれぞれ転がっているものです。

 

「うんことちんこ」と聞くと私は真っ先に発達を思い出す。人は「肛門期」「男根期」を経過して成長してく。

 

つまり、「しっこ、しっこ、しっこ、しっこ~うんち、うんち、うんち~ぎゃははははは」と笑いながら人は成長するのです。

 

人はうんことちんこをいつも心に宿しているのですね~。だから、ときめいちゃうんですね~。

 

どうして、突然こんなどうでもいい、くっだらない話を始めたかって?

 

それは・・・・・・・・・ね。

 

明日中間テストだからです。病理学、生理学、解剖学~。トリプルゥ~。

 

思いっきり、力いっぱい現実逃避です!!!

 

では、そういうことで(どういうこっちゃ(笑))皆様ごきげんよう~。

 

いざ!修羅に入る!!!!

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1userとか2userとか目次のところに書いてあって、「これなんなんだろう?」ってずーーーっと思っていたのだが、これ、コメントを書いてくれたり、してくれているのを教えてくれているマークだったんだ!

 

って、ブログ初めて、半年以上たって今日、初めて知った。

 

でも返信の仕方とかよくわかんない。いままで、コメント色々と書いてくれた人すみません。そして、ありがとうございます。

楽してアクセス数を伸ばす方法。(はてなのブログチャレンジを全てやってみた結果)

久しぶりにはてなのブログチャレンジに行ってみたら、通り名が「長老眠れる 」ってのになっていた(笑)

 

さて、問題のブログチャレンジだが、もはや、自分自身の手でどうにかできる段階ではない。記事にブックマーク   が50付くとか100付くとか講演のオファーが来るとか、とにかく他力本願なことばかりで、自力でどうにかできる段階ではない。

 

君の実力が試される!って、もうどうにもできないじゃないか!

 

は!?これが実力ってことか?なるほど。いや~。難しいね。ブログって。

 

半年にも及ぶ実験の結果。チャレンジ通りやったら、アクセスが伸びるってわけではないってことが立証されました。

 

まぁ。ここまでやったのだから、長老はしばらく寝ておくことにしましょう。(笑)

小説を書き終えて。あとがき


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いやー。最後まで読んでくれていた方々、本当にありがとうございました。

 

つたない文章で読みづらい所も多くあったと思いますが、皆様のおかげで何とか書き上げることができました。

 

この題材を選んだのも私が、介護保険が開始した当初から介護保険に関わってお仕事をさせていただいておりました経緯からです。

 

医療保険介護保険、または、地域支援事業、一般高齢者事業等々を通じて、私自身、理学療法士・介護支援専門員・社会福祉士主事として仕事をさせていただき、長年様々な方々と関わらせていただいてきた中で本当に地域医療・福祉に尽力しておられる方々をモチーフに小説を書かせていただきました。

 

病院内での少しグロテスクな表現があったと思いますが、全て事実です。できるだけリアルに表現させていただきました。登場人物や物語的な部分は勿論フィクションですが、ツタの枝のように曲がりくねっていく腕や足や喉が切れ血を吐くほどの狂気の叫び声等々の症状や病態表現は全てノンフィクションです。どうしてそうなってしまうのかの問題定義もすべて事実に基づくものです。(病院や施設ってところは本当にオカルト。一般病棟の方々は絶対見ることができない。二重扉三重扉の向こうに世界が広がっていますから。あなたの知らない世界そのものです。)

 

地域医療・介護においては、各専門職の正義の方向性がバラバラであることと、国が投げっぱにした介護保険の「民間に開かれた介護」のおかげで、問題続出。

 

民間は利益を上げるのが最も最重要課題。つまり、利用者は患者ではなく客なのである。という事は、介護保険利用者なんてどうせ何も知らないのだから、売りつけられるものはすべて売りつけてしまえ~ってことになる。民間業者からすれば、別に利用者が寝たきりになろうが、認知症になろうが知ったこっちゃないわけである。持ち分(介護保険利用限度額)すべてよこしやがれ~。ってなもんである。正に営利企業としてはすこぶる正しい!!しかし、「民間に開かれた介護」「選択できる介護」のおかげで、寝たきりへの片道切符が国民には切られることになったのである。

 

上記のような介護保険の法制度そのものの不合理や問題点を織り交ぜ、また、介護のポイントや最新の認知症リハビリテーション・生活期リハビリテーション等を盛り込み、風変わりなおもしろ介護指南書的に書かせていただいた所存です。

 

楽しんで読んでいただけたのなら幸いです。また、機会がございましたら、書きたいと思います。小説は恥ずかしいので、書き上げたので、ブログからは消去したいと思います。

 

本当に半年近くもの間、ご愛読いただいた方々には心より感謝いたします。

 

 

 

お医者様ってやつはホンマにも~

今日は三か月に一度の受診の日。

 

まぁ、お医者さんって人種はとっても病気本位。まぁ、お仕事だからしょうがないっちゃー、しょうがないのだが。言葉の強さと態度のギャップが素晴らしい。

 

「心筋の動きが止まってきてますねぇ。」

 

かる~い口調でさらりと医師は言ってのけた。

 

・・・それって結構やばめの告知なのでは?

 

心臓って一個しかないんだぞ!!止まったら死んじゃうんだぞ!!

 

って、心の中で医師にジャンピング突っ込みを入れていると

 

「どうします?薬ありますけど、あんまり効果は期待できないんですよね~。やります?治るとかはないんですけど、効果も定かじゃないんですけど、もしやるんだったら、二週間から三週間入院していただければと思います。その後はちょっと様子見たいので、月に1回は診察に来てください」

 

ど、どないやねーーーーん!!

 

定年退職して比較的時間に余裕のある高齢者ならいざ知らず。こちとら、いっぱいいっぱいで仕事しまくっている、労働年齢真っ只中の中年男が、そんなに仕事休めるわけないだろうが!!!!

 

とも言えないので、とーーっても穏やかな口調で

 

「あの~。先生。その効くか効かないかよくわからない治療を受けるのに私、仕事なくなっちゃっうかもなんですけど。どうしましょう?」

 

と、問いかけてみた。

 

「あ~そうですか。仕事ね。え~どっちでもいいですよ。治療したくなったら言ってください。患者さんの意向ってことで私はどちらでも構いませんから」

 

とこれまた、四万十川の清流のようなサラリとした御返答。

 

・・・どっちやねん。やった方がええんか、やらんでもええんか、どないやねん!

 

訴訟問題とか、自己決定権の問題とか最近は確かに医療分野でもややこしくなってきているとはいえ、治療指針とリスク等のメリット、デメリットぐらいは示してくれや~。情報量がほとんどないままで、「どっちでもええ」言われても選択のしようがない!!

 

とかなんとか、コンマ数秒で医者に心の突っ込みを入れていると

 

「まぁ、考えておいてください。次の受診日は三か月後でいいですか?それじゃ、今日はこれで」

 

「あ、ありがとうございました」

 

私は静々と一礼して診察室を後にした。

 

レセプト期間中だというのにムリクリ仕事休んできてこれだもんなぁ~。命は惜しい。でも医者に来てもこれだもんなぁ~。なんだかな~~~~!!である。

 

バブルの臭いがしてきたね~

いや~。日経平均が2万円超えるといつの時代も必ずやってくるバブルの臭い。

 

個人的にはバブルの空気感はあまり得意ではないが、それでも時代の波には少しは乘っておこう。的な風潮が自身の中に漂っている。(後々話のネタになるから)

 

バンドカラオケ。略してバンカラ。バブルを野生の嗅覚で嗅ぎ取った知り合いがオープンするというので、祝いがてら来店してみることにした。

 

梅田の路地を迷いに迷いまくり、もう少しで、宮崎さんちのバロンにでもあってしまいそうな。湯ばーば。にでも出会いそうなぐらい路地を彷徨い。やっとの思いで、たどり着いた。

 

地下に潜る階段が、昔よく通っていた難波のライブハウスを思い出す。狭い、そして怪しさ満点の階段。薄暗く奥が見えにくい。まさに異空間への黄泉の道。知り合いがやってなかったら、いちげんさんでは絶対に下りない階段だ。

 

無駄に重い鉄の扉を開くと、大音量が鳴り響く。入り口にチョコンと設置された、申し訳程度の小さなカウンターに黒服男が「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。

 

いやーこの時点でまさにバブル!

 

「よっ!久しぶり」と言わんばかりの空気感に懐かしさを感じながら、大音量で聞こえにくくなった黒服男の話に耳を傾ける。

 

「入場料、御一人3500円です!!」

 

丁寧なテイストを保ちつつ、声を張り上げて、金額を告げる黒服君。

 

チャージ代が3500円!!まさにバブル。ご祝儀代だから、今日は致し方ないが、平素立ち飲み屋で、ちまちま飲んでいる私からすれば、もはや暴利としか言いようがない。しかし、今日は祝い事、おめでたい席なので・・・。としっかり自分に言い聞かせながら、しっぶ渋、入場料を支払い、やっとの思いで入場した。

 

鳴り響く大音量、中には30人前後の老若男女がそれぞれのスタイルで楽しんでいる様子。若人たちはライブさながらに、バンドマンの桟敷を陣取り踊り狂っている。さほどうまくもないが、お客一人がモニターを睨みつけながらマイク片手に熱唱している。

 

少し、年配とお見受けする紳士淑女の皆様は、ソファー席を陣取り紫煙をくゆらせながら、若人たち見守っている。

 

あはは。いいねぇ。一昔前のダンスパーティーを見ているかのようだ。ソファー席を陣取る人々とホールで踊り狂っている人。モーゼの十戒の如く明らかにそこには見えない国境があるのだ。

 

元来もったいない精神旺盛な私は、

 

「3500円分元取らねばならぬ!」

 

よし、歌うぞ!踊るぞ!何?フリードリンクだ~。一杯800円計算でも4杯以上飲まねば元は取れない!飲めや歌え!!

 

と意気込む私を尻目に、黒服君が

 

「すみません。今日はプレオープンなので、あと一時間で閉店なんです」

 

と、鬼のような宣告。

 

お、お前、それなら、私が入場料を払う前に言わんかーーーい!

 

しかし、もう時すでに遅し。払っちまったものはもう戻っては来ない。ならば、時短で元手を回収する方法。

 

こりゃ手っ取り早く、飲むしかない!

 

矢継ぎ早にカクテルをガバガバ飲み干し、知ってる曲が流れれば、若人に交じって踊り狂ってやった。曲を入れるぞ!と意気込んで、曲を打ち込もうとすると、予約曲が20曲以上入っていた。一時間では、私の順番が来るのは絶望的だ。

 

しかたない、飲むピッチを上げるしか回収方法はない!右手にジンバック、左手にビールを握りしめてAKBを踊りまくってやった。

 

はぁ、はぁ。と息を切らせて閉店となったバンカラを後にした。

 

あぁ、バブルは疲れる。しみじみ40越えの体を引きずって御堂筋線に乗り込み帰途に就くのだった。帰りの地下鉄がこれまた辛い。もう若くないなぁ(笑)

 

 

「自立」とは何か?:依存的自立を踏まえて

「自立」の定義(考え方)が医療や特に介護保険下ではバラバラであり、寝たきりを助長している現状がある。今一度「自立」とは何か?を熟考したい思う。
 
 
「自立」の定義「他人の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち、独立」である。
 
「自立」には身体的・精神的・職業的・経済的等の自立がある。それと対比するように、「依存的自立」がある。「依存的自立」には互助の考え方が素地にあるとされている。
 
 
「依存的自立」は助けてくれる仲間やバリアフリー(環境の)、お店の店員や駅員に助けてもらう等の活用。エンパワーメントやサービスを駆使して、日常生活を豊かにする。と言う素晴らしい考え方だが、一歩読み方を間違えればとんでもないことになるのではないだろうか。例えば、医師を含めた医療従事者が初めから、「依存」ありきで治療するようなことになれば、治療にならなくなってくる。
 
「サービス依存を助長することが、自立への道なのだ~。」とばかりに、サービス過多(家族や本人が望むがままの必要以上の介護サービスの提供)にして、本人や家族の満足度を上げれば、本人の努力を阻害し、寝たきりを助長しかねないのではないだろうか。
 
互助の精神で、優しい気持ちいっぱい介護サービスをふんだんに当て込んで、自宅で寝泊まりすることを「自立」と言う人もいるが、医療畑の私としては、首をかしげざるを得ない。
 
熊谷氏は、ひとえに凄い人である。あれだけの障害を持っておられる中、精神的・職業的・経済的自立をされている。つまり、身体的自立の部分で、どうしても越えられない身体的に困難な部分を医療従事者からの情報を自ら分析し熟知した上での、「依存的自立」なのである。
 
「依存的自立」とは、今は服を着替えるのに自分一人でやったら2時間かかるので、手伝ってもらって5分で済めば、それだけたくさん仕事(活動)ができるじゃないか~。
 
ってことです。(これは、これでとっても大切)
 
しかし、2時間かかる着替えを1時間にする努力・工夫も必要だし、5分で着替えられたのであれば、その浮いた時間で何をするのかがもっと重要になる。
 
介護士や家族に5分で着替えさせてもらって、後はベッドの上で寝ているだけ。これでは、寝たきりに自ら飛び込んでいくようなものである。
 
「依存的自立」の言葉だけのニュアンスで、「それでもいいのか~」となってしまっては、日本は寝たきり島になってしまうのではないだろうか?
 
私的には、今の生活を支える「依存的自立」と将来の生活を見据えた「自立」の二本立てでリハビリテーション治療(医学的リハ)は進めていけばいい。対極的に捉える必要はなく、どっちもやることが大切なのではないだろうかと思う。
 
 
 
 

世にも奇妙なリハビリ室。

夜間診療でのお話。

 

「先生三叉神経痛で痛くて、しゃべることもできないのよ~。」

 

と患者さんが言ってリハビリ室に入ってきた。

 

三叉神経痛・・・

 

私「診察は?」

 

患者「ドクターには診てもらいました。リハビリの先生に聞いてくださいとのことでし た。」

 

私「神経痛は鍼灸の領分だから、鍼灸の先生に相談してください。」

 

と患者さんを鍼灸院の方に行ってもらった。

 

てなわけで、私(理学療法士)の出番なし。

 

それから数分後。

 

「先生、今日バレーボールの試合があるんだけど、肘がちょっと痛くて、テーピングしてもらえないかしら」

 

と患者さんがリハビリ室に入ってきた。

 

スポーツテーピング・・・

 

私「ドクターには診てもらった?」

 

患者「診てもらいました。リハビリの先生に聞いてくださいって」

 

私「テーピングは柔道整復師の先生の領分だから、柔整の先生に相談してみてください」

 

と患者さんを接骨院の方に行ってもらった。

 

またしても、私(理学療法士)の出番なし。

 

それから数分後。

 

リハビリ室の電話が鳴り、受話器を取ると

 

「先生、スタッフで顎が外れてる人がいるんだけどどうしたらいい?」

 

と看護師からの内線。

 

「え~。ドクター・・・」

 

そこまで言いかけて、言葉を濁し

 

「柔整師の先生に電話回しておきます。」

 

と、静かに受話器を置いた。

 

またまた、出番なし。

 

今日の新患はそんなんばっかりだな~と思っていると。内線が入り

 

「先生、さっき来られた介護福祉士の〇〇さん、顎外れてませんでしたので、どうしましょう?」

 

と柔整師の先生からの内線だった。

 

「ドクターに診てもらってないんかーーい」

 

と心の中で突っ込みを入れて、

 

「それじゃ、すぐにドクターに回して!」

 

と意気揚々言葉を弾ませて受話器を置いた。

 

その結果、見事、顎関節症と診断がおりて、理学療法適応。

 

やったー!やっと出番ですね。親分!

 

うちの病院は、医師の方針で、「餅は餅屋」精神旺盛。リハビリテーション部組織の中に医療保険部と介護保険部、医療療養費部があるので、こんなことできるが、あんまりそんな病院ないよね~。なぜないのか。それは、言わずもがなですね。

 

(医師が行う医療行為と鍼灸・柔整の療養費区分は併用できない大原則がある。ゆえにお金にならない。)

 

未来の「カンブリア宮殿」はうちのドクターかもしれない。凄いですよ。

 

だから、私はいつの間にかどの保険で広義の意味でのリハビリテーション治療&療術を使うか選択するお仕事になってしまっている。(笑)

 

(私に振られた各専門職が医師のもとに行って治療方針のお伺いを立てる。方式になっている。しかし、各専門職と医師との話し合いの結果、結局病院リハ適応となり、差し戻されることもしばしば(笑))

 

私としては、介護支援専門員もやってるから、奇妙なリハ部だけど、便利っちゃ、便利ですようちのリハ部。

 

やっぱり中国4千年は奥が深い。

今日、鍼灸師の先生に恐ろしく可動域の広がる鍼を見せてもらった。

 

理学療法士が、しこしこ何十分も関節可動域訓練を行って、やっとあげられるほどの可動域の拡大を鍼一本で瞬時にやってのけたのだ。(しかもほぼ無痛で20°~25°up)かなり驚異的!

 

持続時間は定かではないが、一瞬でも最大可動域が広がる。これは凄い。理学療法と組み合わされば無敵だな。むふふふ。

 

それにしても、混合診療の壁何とかならんかなぁ。患者さんの身体的負担の大幅な軽減になるのになぁ。

 

理学療法の関節可動域は結構痛い。理学療法士も痛くないように関節包内運動とかマイオとかIDとか色々工夫はするが、それでもやっぱりちょっとは痛い。なので、ほぼ無痛である程度上げることができれば後は、少しの工夫で何とかなるじゃあ~りませんかってお話です。

 

 

勿体ない。

鍼灸治療を受けたことのある日本国民はたったの4%。

凄い数字を聞いた。なんと、鍼灸治療を受けたことのある日本国民は1億3000万人のうちたったの4%。

 

皆受けたことないんだなぁ。

 

医療費も医療や介護では約40兆円、接骨院では約4000億円。鍼灸は約300億たらず。

 

いや~。凄い差だなぁ。まぁ、保険制度の違いもあるが、それにしてもって感じだ。

 

お医者様は、他人に儲けさせても意味ないので、処方箋なんて鍼灸院には書いてくれない。自分のところで鍼灸師を雇おうにも混合診療の壁がある。

 

まぁ、そりゃそうだって数字か

 

接骨院はお医者様の処方箋が要らないので、4000億も医療請求がある。骨折、脱臼、捻挫、挫傷。この4疾患しか見れない接骨院がこの賑わい。このたびめでたくコンビニの数を超えました。日本列島けが人だらけなのだなぁ。

 

鍼灸の保険適応疾患は、「痛み」だが、痛みのある人より、けが人が日本人は多いという事か。

 

う~む。痛みある人の13倍のけが人。

 

皆さん。くれぐれも怪我には気を付けましょう。

 

費用対効果いいと思うんだけどなぁ。鍼灸って。この間も逆子が治った。つまり、医療費、何百万円分もそれだけで、節約したことになる。

 

鍼灸師のみなさ~ん。4%って、寂しすぎる数字です。知られてないのかな?もしそうだったら、日本国民にとっての不利益です。

 

とりあえず、早く、分裂している鍼灸の協会を統一して、選挙票を200万票集めたら、物言えますよ~。頑張ってくださーい。本当に凄いですよ。鍼灸治療。

 

(私の痛風発作もとりあえずその日仕事できる程度に抑えてもらった)

 

皆さんも一度お試しあれ。結構感動しますよ。

 

 

 

 

 

 

「勉強しない若い理学療法士・作業療法士が増えている!!けしからん!」

「勉強しない若い療法士が増えている!!けしからん!」

 

的な言葉をよく耳にするが、私的には????である。

 

なぜなら、私が所属しているリハビリテーション部においては、誰も何も言わないのに、若人たちはこぞって、勝手に勉強しまくっている。

 

私の感想としては「最近の若人は。凄いな~。」といつも思っているからである。

 

なんだか、昨今の療法士のブログとかTwitterとかはちょっとぎすぎすしているものが多くて、「療法士の数が増えて生き残りがどう」だとか、「勉強して俺は凄い」だとか、なんだか、自己顕示欲と将来不安が入り混じって、変な感じで「勉強」という言葉が使われているような気がする。

 

「もっと勉強しろ」

「患者さんのためにお前は何ができるんだ」

「俺たちの頃はもっと勉強したぞ」

 

なんて、先輩や上司の療法士に叱咤激励されても、患者を治したから給料が増えるわけじゃなし、どんなに凄い技術を持っていても、結局療法士の手柄は全部お医者様の手柄なので自己顕示欲が満たされるわけでもない。ましてや開業権があるわけじゃなし、患者が治らなくてもペナルティーがあるわけでもない。なんとなく配置基準で雇用されて、タイムカードきっとけば、雇用主と労働者のウインウインの関係である。

 

つまり、勉強なんぞしなくても、患者なんぞ治せなくてもいいっちゃ、いい職業。言い方は悪いが、お国に決められた診ておれと言う時間帯患者さんと関わって、監査でいちゃもんつけられないように、決められた書類書いてりゃ、成り立っちゃうお仕事なのだ。

 

言い方を変えて、簿記的に言えば、勉強にお金をかけても収入は変わらないのに支出だけ増えれば、マイナス。だから、勉強してもしょうがないって理屈が道理になる。個人経営的な見方をすれば、それなら支出(勉強費用+参考書代)を抑えて貯蓄や子供の教育費に回そうか的な思考が働いても、それはそれで、すこぶる正しい。

 

開業権があって、個人経営すれば、「あそこに行っても治らない」と風評を受ければ、死活問題である。必死に治すだろう。

 

でも今はそうじゃない。

 

「患者のために勉強しなさい」なんて、人のボランティア精神を搾取するような言葉では、誰も勉強しない。

 

人が動くのはやっぱり、所詮、自分の為でしょ。隠してもしょうがない。若人たちは馬鹿じゃないんだから。

 

私の場合は、患者さんが治ると気持ちがいいから、もっと気持ち良くなりたいから勉強する。後輩たちにいい格好したいから、勉強する。

 

やっぱり、ちょっとかっこ悪いじゃないですか、新人さんに質問されて、答えられないと。ちょっとは、先輩らしいこと言いたいし(笑)

 

勉強の動機なんてそんなもんですよ。全部自分の欲望のため(笑)

 

なので、勉強なんて人に無理強いするもんじゃないし、したことない(キッパリ)。

 

私の場合、勉強も治療も趣味。人に自分の趣味強要しますか?

 

ただ、気持ちのいい趣味だから、「すげー」「すげー」って飛び跳ねて喜びまくっていたら、若人たちが、「なんだか、おやじが楽しそうだぞ」って感じで、絡んできてくれる。

 

こっちも、嬉しいから「患者が治るとこんなに気持ちがいいんだぞ~」と気持ちよさをアピールする。(趣味だから)

 

すると、他職種の人たちも「何、何?」的な感じで私の趣味に興味を示してくれる。

 

楽しいことはみんなで共有した方がより楽しい。

 

だから、勉強しているだけである。

 

「職業だから」「患者のためだ」って片意地張って、「やらねば」的に、使命感でやるのもいいけど、楽しいのが一番だと思うんだよねぇ。勉強って(笑)

 

本当に今の若人はよく勉強する。おじちゃんも負けないぞ~。

 

 

 

 

 

 

初台リハビリテーション病院。「カンブリア宮殿」見ましたよ。

初台リハビリテーション病院。「カンブリア宮殿」見ましたよ。いや~良かった。
 
リハビリテーションの内容としては、特別なことは一切していない。ただただ、きっちり、コンプライアンスにのとって、国が提示しているリハビリテーションの在り方を生真面目なまでに実現している。そこが凄い。
 
お金の掛け方と社会のニーズをちゃんと知ってらっしゃる。流石だね。
 
何がすごいって、ビジネスモデルにのとって、リハビリテーションをきっちり、展開している。現状のリハビリテーションの報酬体制で経営を成り立たせる方法として、非の打ち所がないほど、完璧。
 
まぁ、初台の院長ほどの先見の明のある人はなかなか居ないから、「カンブリア宮殿」なのでしょう。
 
あれが出来たら、確かに寝たきりは減るね~。素晴らしい。
 
初台の経営方法は、患者さんのためにはなるし、ビジネスモデルとしては成り立っている。でも利幅が薄い。
 
あんなに手間暇かけなくても、もっと簡単に儲けられる方法があるからね。多くの医療法人はどこもやんないだろうね。残念。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

理学療法士のいいところを書いてみよう。

よし、ネガティブキャンペーン的な奴が多いと指摘を受けたので、理学療法の素敵なところを書いてみよう。

 

まず、長年寝たきり状態だった患者さんが歩けるようになって、生活を取り戻していく様を真横(特等席)で誰よりも先に見られるのは、療法士の特権である。お得感がたっぷり。

 

バーセルインデックス(BI) が 5点が85点に!! HDSR10点が26点に!!

 

なんてのが目の前で年に何回も見られるなんて、いや~幸せ。うひょー。って絶叫しちゃうね。

 

また、寝たきりが長いということは、その人にかかわってきた人たちの中で、誰もできなかったことをやり遂げたという、やったった感が半端ない。アドレナリンどばーっ!これはもう鼻血ものである。

 

後は、「奇跡だ」「奇跡だ」と周りが騒いでくれる。これはこれで、結構うれしい。

 

と、まぁ、とにかく、理学療法士は気持ちのいい仕事なのだ。

 

お金は人の「感謝」が集まれば、そのうちついてくるだろう。ぐらいのスタンスでいればハッピー。

 

将来のことで悩むのは無駄なのでやらないようにして、目の前の患者の笑顔が見られるようにひたすら頑張る。それで、安い、安いとは言われているが、いくばくかでも安定したお給料がいただけるのだから、結構な職業だと思うけどな~。

 

ね、結構いいお仕事でしょ。

 

 

 

 

 

ICF(国際生活機能分類)ってやつは、ホンマにも~。

ネガティブアピールをするなと言っといて、すぐにこのタイトル(笑)

まぁ、いいか。

 

ICF(国際生活機能分類)というものがある。介護や医療にかかわっている人なら一度は目にするだろう。

 

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