GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

理学療法士や作業療法士は「先生」or「さん」???

とあるブログで、理学療法士作業療法士の敬称は「先生」か「さん」かで、アンケートがとられていた。

 

先生か先生でないかの議論が近年多く聞かれるようになってきているが、私の持論では、やっぱり「先生」である。

 

何故か?

 

知らないことを教えてくれる人が先生でしょ?

 

お花の先生も、お茶の先生も習い事に行けば、お料理教室だって先生ですよね。

 

その理屈でいけば、障害を負ってできなくなったことを、「できる」ように教えてくれるのが療法士なのだから、やっぱり、患者さんからしたら、「知らないことを教えてくれる先生」と言うことになる。

 

理学療法士のことを「運動屋」・「体操のお兄さん」と定義すれば、「さん」になるのかもしれない。

 

そして「先生」談義の重要なポイントは、責任を持つか持たないかである。

 

責任を持たない理学療法士作業療法士はもちろん、作業員であるがゆえに「さん」である。

 

一方、自分の決定に責任を持つのが「先生」である。

 

分かりづらいので、説明を加えよう。

 

医師は、荷重の%や禁忌は言うがそれ以外の判断はしない。

 

つまり、ADL動作の可不可は療法士が責任をもって決定していく。

 

独歩歩行自立の決定をしたのであれば、その患者が転倒骨折した際、一切の責任を負うのが療法士である。また、責任を負わない人間の言うことなんて誰も聞いてはくれない。

 

協業、協働と耳にタコができるぐらい騒がれている昨今。

 

責任を負わないような療法士の意見なんて誰も聞き入れてはくれない。

 

「一切の責任は私が受け持ちます、なので、住宅改修してください!」

 

と言えなければならない。

 

覚悟と責任があって、初めて協業になるのである。

 

敬称を「さん」にしているところは、この責任を逃げているように私には見える。

 

すべての責任を医師に押し付けるのであれば「さん」責任の全てをケアプランのせいにするのであれば「さん」転倒、転落を本人や家族、介護士のせいにするのであれば「さん」である。

 

私は、「先生」と呼ばれている。何故なら、私が指示したADL動作、日常生活平行動作時に起きた事故やケガの一切は私の責任である。責任を負うから「先生」なのである。

責任は療法士がすべて負う。なので、看護師、介護士の皆さん安心して、歩行を行ってください。お風呂に自立で入ってもらってください。買い物に行ってもらってください。と言える。

 

療法士が責任を持つことで、患者さんも看護師や介護士または家族からのスピーチロック(「するな」「勝手に動くな」「立つな」と患者さんの行動を言葉で抑制すること)から解放され、自尊心を回復させ、動く自由を手に入れることができるのである。

 

若い療法士に声を上げて言いたい是非、「さん」ではなく、「先生」になってください。責任から逃げていては、療法士の未来はありません。

 

私的な、「先生」の概念的なお話なので、語源等のお話ではありませんので、よろしくお願いします。語源とかすぐに言う人多いので、療法士は(笑)

 

 

認知症と診断されて途方に暮れている方々へ朗報です。

認知症リハについて書いてみよう。

 

病院や家等で脳みそをついばまれ、不幸にも認知症になった人たちとその家族たちに、ちょっと、夢と希望を。

 

認知症アルツハイマータイプ認知症

 

でないことはご存じだろうか?

 

アルツハイマーは数多くある認知症という大きな症候群の中の原因疾患の一つの病名を指す単語である。

 

確かにアルツハイマーは死の病である。6年程度で死んでしまう。

 

しかし、そんなの認知症全体から見たら、ほんのわずかである。

 

そして、アルツハイマーやピック、前頭側頭型認知症等々のラスボス並みに手ごわい輩は、全体の半分もない。つまり、認知症と診断が下りても、早期であれば、助かる認知症も多くあるということです。

 

そんなことはないぞ、どのデーターを見てもアルツハイマー型が一番多いじゃないか。と言う声が聞こえてきそうですね。

 

それはね。医療保険介護保険の保険の絡みからそうなっているのです。アルツハイマーと病名を出さないと、薬が出せない。介護保険適応になりにくい。等々の絡みがあって、アルツハイマーが日本では、ここ重要です。に・ほ・んでは多いのです。

 

アルツハイマーや前頭側頭型認知症等のラオウ並みのやからは、抜きにして、はーと様的な小物はなんとか、アタッ!とやっつけることができる。

 

しかし、これもお薬だけではダメなんですね~。お薬はあくまでも進行を止める役割しかない。では、認知機能を向上させる方法は?といわれると、お薬と認知症リハの併用でしか、ありえない。

 

お医者さんでお薬を処方してもらったら、認知症リハをやってくれるところを探しましょう。誰も教えてくれないので、自分で探すしかありません。むろん、お医者さんも教えてはくれない。ケアマネも教えてくれない。市役所だって教えてくれない。

 

もし、認知症、軽度認知症と病名を運よくつけてもらったら、すぐに認知症リハをやってくれるところを探しましょう。

 

諦めるのは、やることをすべてやってからにしましょう。

 

 

俺様理学療法士

人気ブログランキング理学療法のバーナーでも貼ってみたら?

 

と知人に助言をいただいた。

 

むむむ。である。

 

理学療法士のバーナーを貼っつけても、誰も見に来ないし。よしんばランキングが上がっても、ブログをやっている療法士が他人のブログに入ってこないだろう。

 

それは、なぜかというと・・・。

 

ブログで、何やら、解剖学やテクニック的なことを言いたがる理学療法士は基本的に「俺様志向」の人が多い。つまり、「自分大好き」過ぎて、他人に興味がない。ゆえに、他の理学療法士のブログなんぞに興味を持たないのだ。

 

はたまた、最近多いのが、小遣い稼ぎのためのツールとしてブログをやっている療法士も増えてきている。金儲けでやっているので、これもまた、他人のブログには興味を持たない。己のアクセス数のみが興味の対象なのだ。

 

まぁ、昔からそうなんだけど、療法士の中でも、特に理学療法士は「俺様」が多い業界。俺スゲー。俺最高!俺様以外は何もできやしねー愚民どもだ!的な人が多いんだよね~。なぜかそうなの。

 

もっと、「俺たちすげー。」に代わっていけば、療法士のステータスも上がるのにね~。と思う今日この頃。

 

結論。療法士相手にしても、アクセス数は伸びないと思うんだけどなぁ。

 

と、思いつつ、私は元来人の意見に素直なたちなので、やってみようかなと思案中。

 

(*- -)(*_ _)ペコリ

 

 

AIに仕事を奪われる?

「AIにとってかわられる仕事。」ってのが世間では興味の対象になっているようで、我々理学療法士業界にもそんな話がちょこちょこみられるようになってきた。

 

理学療法はAIに仕事を奪われる?

 

私個人としては、答えは否である。

 

理学療法を運動と物療と言うものに限局し、クリティカルパスに従って治療するだけであれば、理学療法士はその仕事のほとんどをAIにとってかわられるだろう。

 

しかし、われわれ理学療法士が扱っているのは、筋肉や骨、神経といった「もの」を扱っているのではない。「ひと」を扱う仕事である。

 

「ひと」であるがために、そこには感情が働く。高齢者医療で言うならば、体が動かない人の多くは、「こころ」が動いていない場合がほとんどである。

 

この「こころ」を動かさなければ、理学療法にならない。理学療法士が、運動をさせるだけの体操のお兄さんであれば、体育大学の屈強な青年にやってもらえばいいのである。

 

障害は、一つの原因で成り立っているものは少ない。骨折が認知症の原因の3位に君臨している理由を考えてみてください。

 

「骨が折れる」という物質的な変化と脳の萎縮に関連性はない。しかし、認知症になるのである。なぜか。それは、不動、無動、廃用により脳の機能が低下するからである。ひとは、「やることがなくなる」という生活的な変化に伴って体や脳を変化させるのである。

 

脳が動かなければ体は動かない。

 

廃用は一つの例だが、障害を構成している要因は骨や筋肉だけではないのだ。なので、我々理学療法士は、障害を構成している要因の一つ一つを埋めていき、障害を取り払うお仕事をしている。

 

「嫌だ」「できひん」「わからへん」「やりたくない」等々の人の感情に対して、AIは絶対に対応できない。

 

「できひん」等のネガティブアピールをそのまま「そうですか」と言って、訓練を中断してしまっては、治療にならない。

 

結果(障害を取る)ためには、この手のネガティブアピールをポジティブに変換させる技術が必要となる。AIにできますか?できないですよね~。

 

療法士以外の人々は、内的能力がいくらあっても、その能力の発揮の仕方が分からない。つまり、障害を負った体の使い方がわからないのですね。なので、精神面を動かしながら、体を動かすお仕事の人(療法士)が必要になる。

 

AIに人の心は動かせない。

 

ゆえに、理学療法士はなくならないという結論です。

 

 

40代ってやつは~。

ゆえあって、同窓会的なものに出席してきた。

 

みんな私と同じアラフォーである。なぜなら、みんな高校の同級生だったからだ。同じクラスってやつね。

 

私が理学療法士だと聞くや否や、いや~。出るわ。出るわ。

 

体の不具合。

 

足が痛いだの肩が痛いだの。医者に行っても「治りません」って言われた人たちで溢れかえっていた。

 

医者がもう無理でーす。

 

って言った瞬間。

 

「痛いから〇〇ができない」「痺れるから〇〇ができない」

 

となれば、その疾病は障害に格上げになる。

 

障害になれば、療法士の出番である。だって、障害を取るのが理学療法士のお仕事なのだから。

 

40代で酒飲みに来ている連中の障害なんて、ほん・・・・・・とにイジー。

 

そんなのちょちょいのちょいである。

 

こちとら、前頭側頭型やピック、ALS、ギランバレー等々の難病相手に毎日奮闘しているのだ。寝たきりでオムツはめている患者を畑仕事ができるようにするためには、どれほどの知識と技術が必要だと思ってか。

 

それに比べて、酒場に来て赤ら顔している40代のおっさん連中の体の悩みなんて微々たるものである。

 

しかし、この手の不具合は、ちょこっとやると、すぐに効果が出るので、クライエントの感動もライブで感じられて面白い。

 

いいなぁ。こんなんで、飯食えたら楽しいだろうなぁ。と思う今日この頃です。

 

飲み会では「マジシャン」の異名をいただきました。チャンチャン。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

「フレイル」と「サルコペニア」

最近フレイルとサルコペニアをよく耳にするようになってきた。

 

サルコペニアで世間が騒ぐのは、ちょっと嫌だな~。と思っていたが、フレイルは世間様に広めた方が良いと思い、新聞記事をちょっと紹介。

 

高齢で活力衰える「フレイル」、国内250万人が該当か


09.18 15:23朝日新聞デジタル


高齢になって心身の活力が落ちた「フレイル」と呼ばれる状態の人が、国内に少なくとも250万人はいるとみられることが、日英の研究チームの解析でわかりました。フレイルの人は介護を必要とする状態に近いですが、栄養や運動の改善などに早めに取り組めば元気を取り戻しやすいといわれます。研究チームは対策につなげて欲しいとしています。

 

フレイルは「虚弱」を意味する英語「frailty(フレイルティー)」からきています。健康と要介護状態の中間的な位置づけで、主に体重の減少や握力の低下といった項目がある米国の基準で判定されてきましたが、日本人の実態はよくわかっていませんでした。

 

児島剛太郎・ロンドン大客員研究員(老年病学)らが、これまでに発表されたフレイルに関連する約1500本の論文のうち、65歳以上の日本人の割合について述べた5本を解析したところ、入院せずに地域で暮らす人の7.4%がフレイルという結果でした。

 

児島さんは「分析した集団は比較的健康な人が多いと推定された。実際には、フレイルの人はもっと多いはず」としています。総務省の人口推計(今年7月)で65歳以上の人口は3477万8千人おり、その中の少なくとも250万人が該当するとみられます。

f:id:goumax:20170920183146j:plain

 

フレイルは分かったけど、サルコペニアは?という人のために、補足。

 

サルコペニアとは、ギリシャ語のsarx(筋肉)とpenia(減少、消失)を合わせた言葉で、筋肉減少症(もしくは筋肉減弱症)のことを言います。
一般的には、加齢によって生じる筋肉量や筋力の減少による身体機能の低下、老年性症候群の一つとして捉えられていますが、広い意味では年齢に関係なく起こる筋肉量や筋力の低下を指しています。

 

つまり、どちらも加齢に伴う機能低下が現れるものですが、サルコペニアが筋肉量や筋力の低下による身体機能の低下であるのに対し、フレイルは身体的だけではなく精神・心理的、社会的な衰弱や虚弱が含まれます。具体的には、筋力の衰えによる転倒が起こりやすくなるだけではなく、認知機能障害や鬱病などの発症、独居による孤独や経済的困窮などの問題を含む概念を指します。このようなことから、サルコペニアはフレイルの身体的な要因の一つということになります。

分かっていただけただろうか?

 

サルコペニアは筋力のお話だけなのである。

 

医者も含めて介護支援専門員もそうだが、どうも、この「筋力低下」が大好きである。

 

指示箋や情報提供書、ケアプラン等々で患者または、利用者が歩けないもしくは、歩行が不安定な原因が全て「筋力低下」によるものだと思い込んでいる。

 

あのね~。人間ってのは、筋肉だけで歩いたり、走ったりしているわけじゃないんだよ~。っていくら口酸っぱく言っても、この「筋力低下」の呪縛から誰も逃れられないでいる。

 

「あんたの脳みそは全部筋肉なのですか!!」

 

脳死って聞いたことないですか!」

 

脳や神経系がやられると人は歩けなくなる。(動物も一緒)

 

筋肉なんてのは車で例えるならタイヤ程度のものだ。確かにタイヤがパンクすれば車は走れなくなる。でも、車が動かない原因がタイヤだけじゃないでしょ。タイヤだけじゃ。

 

昔から足腰が弱くなったってよく言うじゃないですか。あんなの筋肉だけで見たら、40代も60代もたいそう変わらない。それじゃ、どうして疲れやすくなるんだよ~。ってことになるが、それは、心肺機能の衰えって事になる。つまり、筋肉だけで歩いているわけでも走っているわけでもない。

 

脳神経や脊髄神経系だってある。血管年齢だってある。内臓だってあるでしょみんな。それらがちゃんと機能していて初めて歩行が得られるのですよ。

 

筋肉いーーーぱいあっても、小脳が動かなければ歩けない。

 

筋肉いーーーぱいあっても、関節が骨化していてロックされていれば歩けない。

 

筋肉いーーーぱいあっても、心臓が駆出していなければ、肺に酸素が取り込まれていな ければ、肝臓機能が全く動いていなければ、やっぱり歩けない。

分かっていただけただろうか、私がサルコペニアが嫌いな理由。

 

サルコペニアの単語がもてはやされるという事は、筋肉第一主義の人たちが筋肉筋肉と騒ぐ。歩けない理由が筋肉のみだと思い込む人たちが多くなる。すると、歩けなくなる人が増える。なぜなら、筋肉だけが原因だと世間が思い込むことで、スポーツジムや俺流でリハビリをやり始める。すると、歩けなくなる。そして、認知症になる。だから、嫌。

 

筋肉だけが原因と思い込むことは、物事の単純化を脳がしているに過ぎない。「さんまを食べたら認知症にならない」とか、「シイタケを食べたら癌にならない」的な奴である。サンマ食べて認知症にならないのであれば、どーーーーして日本に860万人もの認知症がいるのか。脳の単純化という機能を利用して、数多の人がモノを売りつけるのである。

 

「楽して〇〇〇」なんてタイトルの本は高齢者は大好物である。

 

話があっちゃこっちゃ行きましたが、つまり、

 

「人間は筋肉だけで歩いているわけではない!!」

 

という事を知っておいてください。(ついでにですが、お医者さんも!!!!)

 

 

 

 

 

理学・作業療法士学生、指導役と相次ぐトラブル 養成課程・実習環境、見直しへ


毎日新聞2017年9月8日 大阪朝刊


 リハビリの専門家として病院や福祉施設などで働く理学療法士作業療法士の国家資格の取得に必要な臨床実習で、実習先の施設に勤務して指導役となる両療法士と学生とのトラブルが相次いでいるとして、元学生や専門家らから改善を求める声が上がっている。理学療法士の養成課程について詳しい専門家による調査では、2009年度から昨年度まで、回答した学生の約6割が臨床実習について「不当な待遇と感じた」と答えた。また、実習先での指導役からのパワハラが原因で自殺したとして、大阪市内の学生の妻が実習を受けた施設の運営法人らに損害賠償を求めて大阪地方裁判所に提訴する事態も。厚生労働省は6月に専門家による検討会を設け、養成施設への外部評価導入など指導体制の見直しに乗り出した。【林由紀子】


 ●「パワハラで自殺」
 「本当にもう無理。情けない自分とこれ以上向き合えません……」。2013年11月、理学療法士を目指して大阪府内の専門学校に通っていた大野輝民(てるひと)さん(当時39歳)が実習先のクリニックを抜け出し、神戸市内の公園で自ら命を絶った。妻の佳奈子さん(44)は翌年、「夫の自殺は実習先で受けたパワハラ的指導が原因」として専門学校とクリニックをそれぞれ運営する医療法人を相手取り、約6000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴、現在も係争中だ。


 高校卒業後、非正規の職に就いた輝民さんは生活の安定を考えて36歳で専門学校に入学。国の規定では、理学療法士作業療法士の国家試験受験には、18単位の臨床実習が必要となる。佳奈子さんによると、最終学年での1度目の実習中、大量の課題に対応できず輝民さんが体調を崩し中止。2度目は終えたが1度目の中止により単位が不足し留年、13年に再び実習を受ける中で死を選んだ。実習では指導役の療法士から厳しく叱責され、途中で「帰れ」と言われるなどされた、という。佳奈子さんは裁判についてのホームページを運営。元学生らから指導役の療法士からパワハラを受けた、という情報が寄せられるという。「実習でのパワハラは夫のケースだけではない。国や関係団体は、こうした実態に正面から向き合ってほしい」と訴える。


 ●「相性が単位左右」
 09年度から臨床実習について、学生にアンケート調査をしてきた九州地方の専門学校教員の松崎秀隆・保健医療学博士によると、毎年約6割の学生が臨床実習で「不当な待遇と感じた」と答えるという。具体的な内容としては、指導役の理学療法士から受けた仕打ちとして「無礼、冷淡な態度」「悪い成績をつける、単位をあげない(と言われた)」「忙しいとあまり指導されない」--などが挙がるという。また、厚生労働省が今年1月、全国の両療法士の養成施設を対象に行った調査では、大野さんのように理学療法士を目指して留年した学生のうち20%(作業療法士は25%)で臨床実習が留年の原因とした。また、臨床実習に絡んで学生から受けた相談などの内容を聞くと、約2割が指導役とのトラブルを巡るものだった。


 臨床実習での指導の様子について元学生たちを取材した。大阪府内の理学療法士専門学校で留年が決まった後、退学した府内の男性(25)は岡山や高知の病院や老健施設で実習を受けた。「質問しても(指導者は)きちんと答えてくれず、禅問答のようなやりとりを繰り返した。大量の課題を出されて毎晩、明け方までリポートを書いた。昼間は『おまえは向いてないだろう』と言われ続けた」と語る。九州地方の30代男性は大学卒業後、専門学校2校に計6年通ったが実習に合格できず国家試験を受験できなかったという。「実習先では指導役に暴言を吐かれ、人格攻撃されたうえに不適格とされた。そこから他の就職口を探すのも大変だった。費やした時間とお金を返してほしい」と訴える。


 兵庫県内の病院で理学療法士として働く40代男性は資格取得まで7年かかったといい「学生の実習での様子を評価する客観的基準がなく、指導者との相性が合否を左右すると感じた」と指摘。「指導役になる療法士は仕事に追われ、学生の面倒まで見切れないのが実情。学生がストレスのはけ口としてパワハラを受ける可能性はある」と語る。


 ●学校との連携課題に
 理学療法についての講義を担当している中国地方のある大学教員は問題の背景として、実習内容について指導役の療法士の裁量の範囲が広いことや、職人徒弟制度に似た雰囲気を挙げる。その上で「熱心な指導者ほどパワハラをしやすく、そういう指導を受けた人が指導役になると繰り返す恐れがある」と語る。「教員が実習先へ引率、指導もする看護学生と違い、通っている学校と実習先が切り離されがち。学校は実習先との連携を密にするべきだ」とする。


 松崎博士は「これからの療法士は教育的立場に立つことを前提に指導方法論を学ぶべきだ」と指摘する。輝民さんの義姉、小林由香子さん(45)は「臨床実習に関して学校も実習先も無責任で、学生には相談できる第三者機関もない。資格取得後に臨床実習を受けるなど、改善してほしい」と訴える。


 現場で働く理学、作業両療法士の数はこの15年で約3倍に増えた。両療法士の団体は09年、学生の増加で臨床実習にふさわしい環境整備が十分でないなどとして厚労省に対策を求める要望書を提出。同省はこうした状況を受けて、実態把握のため今秋、学生を対象にした調査を行い、パワハラの体験についても聞く。また検討会で実習のあり方の改善案をまとめ、19年度の学生からの適用を目指す。厚労省医事課は「臨床実習について問題意識は持っている。有識者の意見を聞きながら総合的に検討したい」と話している。
________________________________________
 ■ことば
理学療法士作業療法士
 いずれも国家資格で、高齢者や障害者、負傷した人などのリハビリを支援する。理学療法士は身体面に特化。起き上がる、立つ、歩くなど日常生活で必要な基本動作の維持や回復を目指す。作業療法士は基本動作の回復後の患者の応用動作(入浴や食事など)や精神面のリハビリを担う。

 

上記は毎日新聞の記事だが、どうも学生目線の意見が目立つ気がする。

 

実習=修行

 

の構図は、決して悪いものではないと個人的には思っている。

 

学校の指導要綱には、「一人で理学療法がおこなえる」「少しの助言で行える」等の学生に対する評価基準が設けられているが、教えるバイザー(学生担当療法士)が勉強できる人であればあるほど、評価は厳しいものとなる。しかも、学生レベルで、バイザーの助言無しで理学療法がおこなえるほど、甘い学問ではない。

 

逆に全く勉強していないバイザーが適当に学生に対してなーなー、お友達感覚で実習を合格させ、何の勉強もしていない学生が次の春から患者を診る事態になるのは、絶対に避けなければならない。

 

実習は厳しいものである。当然である。疾病や障害を熟知して治療にあたらないと障害が取れない。

 

疾病の回復期間がたった6か月しかないのに、その貴重な期間を治りもしない理学療法作業療法を受けて、人生を棒に振ってしまう患者さんたちの気持ちを考えると、いたたまれない。結果を出せなかった療法士たちはどうやって責任を取るのか。

 

自分が障害を負って、治りもしない治療を受けさせられることを想像してみてください。そして、手遅れの時期に入ってから、別のところで見てもらおうにも、もう、期間が終わってますので、医療保険では治療できません。って言われちゃうんですよ。患者は病院選びを絶対に失敗できないんです。いくら医者が高名なところでも、療法士の腕がなければ、寝たきりになってしまう。なので、実習は手を抜くべきではない。

 

数年前から、実習担当療法士の資質(人間性)や教育水準については、問題になってはいた。しかし、看護師や医師の実習でも同じことは言えるだろう。

 

実習において、パワハラモラハラ、セクハラとハラが多くなえれば、多くなるほど、教育は成り立たなくなってくる。学生が楽して実習が終えられ、勉強もしないで国家試験が受かるのであれば、そんな資格ははなからいらない。

 

(実際に私自身としては、セクハラやパワハラと言われたことはないが、学校の実習指導研修でしこたま言われる。セクハラとかうるさいので、女子学生はとったことがないが、最近は男子生徒でもセクハラと騒ぐ輩がいるらしい。恐ろしい。)

 

学生迎合型の指導を学校側から強要されるので、実習生受け入れを随分前に止めた。

 

「遅刻するな」「ちゃんと実習に来い」と学生に流しただけで、パワハラと言われ、移乗動作やテクニカルな指導をする際、理学療法士は必ず患者の体に触れる。学生にやって見せる際、学生に触れただけでセクハラ。「実習に来ないんだったら、学校に連絡するね」と言えば、モラハラと言われてしまう。実習にならない。

 

一度学校に言われたのが、「規定時間外の指導はしないでください」と言われたことがある。

 

つまり、どういうことかと言うと、学生は9時から5時までの間の実習を2か月とかっていう形で来る。

 

9時から5時は仕事の真最中である。指導なんかする時間もなければ、フィードバックする時間もろくにとれない。時間がない中で、助言ぐらいは規定時間内にするが、それでも十分なフィードバックは就業時間内には取れないのである。

 

するとどうなるかと言えば。就業時間の終えた6時から指導時間となる。こちとら、患者を診ながら学生の面倒を見ている立場からすれば、わざわざ残って親身になって指導したら、「フィードバックが長くて帰れないから嫌だ」と学校に学生が言う。すると学校が慌てて、こっちにクレームをつけてくる。また逆に、おざなりなフィードバックで適当にやったらやったで「親身になって見てもらえない」と学生からクレームが入る。すると、学校から連絡が入って「ちゃんとしろ」的なクレームが来る。

 

いっておくが、学生がいくら来ても、こっちはサラリーマンなので一円にもならんのだ。親身になったらなったで、クレーム。適当にやればクレーム。全て学生本位。

 

やってられん。勝手にしろ!!

 

ふざけんな!!!

 

学生本位で実習するなら、実習なんか辞めちまえ!!

 

こちとら、実習要綱を丸暗記するぐらい読み込んで、指導しているんだ。学校側が高いレベルを求めてくるから、自然と厳しくならざるを得ない。もっと緩い感じで要綱を作っておけば、ゆる~い実習ができる。指導要綱が、高いレベルを学生に求めすぎなのだ。

 

そもそも、実習担当療法士に資質がどうのと言って、パワハラ、セクハラ、モラハラと騒いでいるが、学生がどうなのか?という事に新聞記事は振れていなさすぎる。

 

レポートは書いてこない。ことあるごとに実習を休む(実習期間の休める日数ぎりぎりまで、すべての学生が実習を休む)。態度も悪く、実習中にタバコを吸いに行って帰ってこない。それでも、実習を合格させるのか?

 

一定の基準は必要だ。「言われたことができない」(朝ちゃんと来る。とか、レポート提出日までにレポートを提出するとか。休み時間は1時間とか。笑っちゃうようなことができないってことですよ)「患者に対して失礼極まりない態度をとる」(患者の上着を足で跳ねるとか、ため口でしゃべるとか、挨拶もしないでいきなり検査を始めちゃうとか。検査の途中でどっかいっちゃって帰ってこないとか。信じられへんことを学生さんはやってくれるんです。)治療以前の資質に対して、誰がどう指導してきてくれるのか?

 

我々実習指導者は学校の先生でもなければ、親でもない。礼儀作法や決められた時間に実習地に来るといった、社会通念・一般常識すらない学生にどう対応するのか、きっちり整理して頂いたうえで、各学校には学生を実習に出してもらいたい。

 

また、楽したいだけの学生に迎合しなければならないような実習ならする必要もない。教育水準を学生目線に合わせてしまうと、「楽して単位だけくださいよ~」がほぼすべての学生の願いである。そんなところに合わせると、寝たきり患者が増えるばかりか、療法士自体の存在意義がなくなり、消滅する資格となるだろう。

 

通所介護と通所リハ

 

知人からデイのお話を書いてみたらと言われたので。早速書いてみよう。そうしよう。

 正直、デイサービスのタグをつけていますが、私の管轄部署の一つであるのは、通所リハビリテーションになります。タグがないので、ニアピンで、デイサービスのタグをつけているという訳ですね(笑)
 
デイ=日。つまり、介護保険で言うところの「通所系サービス」のカンムリ的な単語ですね。
 
介護保険下の通所系サービスは厳密には4種類である。
①  通所介護:あだ名 デイサービス
②  療養通所介護
③  認知症対応型通所介護
④  通所リハビリテーション:あだ名 デイケア
 
もうややこしいですね。何がどう違うのか、わかんないですよね。そこに来年平成30年度にはまた新たに通所系サービスを作るってんだから、利用者や家族はチンプンカンプンになっちゃう。お国は現在、自立支援法※と介護保険の両方を算定できる新たな通所系サービスを作っちゃう計画なのだ。
自立支援法はまぁ簡単に言うと40歳以上になると介護保険法適応となるが、40歳以下はどうするのってんで、40歳以下で障害のある方々に行うサービス区分を定義した法律があると言う訳です。
 
ではでは、現在ある通所系サービスを一つづつ紹介してみよう。
①  通所介護(デイサービス)
日帰りで施設に通い、食事や入浴など日常生活上の介護や機能訓練等を受けることのできるサービスです。施設で他の利用者と接することで引きこもりや孤立を防ぎ、また介護をする家族にとっても負担を軽減することができます。
通所介護は機能訓練と社会的孤立感の解消と家族の負担軽減というものが大きな役割。
·         被介護者が閉じこもりがちなので、他人とコミュニケーションできる場で介護してほしい
·         仕事や育児、自分の時間を作るために、半日被介護者を預かってもらいたい
·         ひとり暮らしまたは老々介護なので、自宅での入浴が難しい
そんな人向きの施設ですね。
 
②  療養通所介護
2006年の改正で誕生した通所介護の新たなサービスです。
看護師が常時1名付添います。このサービスは、医療機関訪問看護などと連携して、難病や癌末期の方を支援します。
 
③  認知症対応型通所介護
日帰りで施設に通い、他の利用者と共同生活をしながら、認知症に対応した介護や機能訓練をすることのできるサービスです。「認知症対応型デイサービス」、「認知症デイ」とも呼ばれています。
 
④  通所リハビリテーションデイケア
医療的なケアやリハビリテーションが中心となります。また、要介護者の内、医師が認めた人のみが利用できるサービスになります。リハビリテーション治療には、理学療法士作業療法士などの専門スタッフがあたります。この通所リハビリテーションは、医療系介護サービスに属します。デイケアの施設に在籍しているのは、「医師」「看護師」のほか「理学療法士(PT)」「作業療法士(OT)」「言語聴覚士(ST)」などです。リハビリテーションの専門職は、主治医の指示のもとに「理学療法」「作業療法」「言語聴覚療法」を行います。また、「介護職員」が食事・入浴・排せつなど日常生活上のサービスを提供する施設も多くあります。
 
以上が4種類も通所系サービスがある理由と言うことになっている。
 
違い分かりましたか?
 
②の療養介護は医療的な管理を必要とする重度患者。③の認知症デイは、読んで字のごとく、認知症症状の強い利用者用の施設。この2つは何となくわかりやすいですね。そうか~。気管切開や胃婁が開いていて、寝たっきりで、酸素だって一日中何リットルも入れなきゃいけないような人が行くところか~。とか、認知症で一日中奇声を上げていたり、喚いたり、徘徊で大変な人が行くところなんだな~。とか。なんとなく一般の人でもイメージがつきやすい。
 
問題は①と④です。
 
通所介護では、一日高齢者を預かってくれて、お風呂入れてくれて、食事を出してくれて、機能訓練をやってくれるのか~。
 
通所リハビリテーションでは、一日高齢者を預かってくれて、お風呂入れてくれて、食事を出してくれて、リハビリやってくれるのか~。ついでにお医者さんがいるのか~。
 
どうです?違いが判ります?
 
なるほど、通所介護にはお医者さんがいなくて、通所リハビリテーションにはお医者さんがいるのか~。程度の違いしか分からないのではないでしょうか?
 
そもそも、通所介護の「機能訓練」と通所リハビリテーションの「リハビリ」との違いは何でしょうか?
 
答えられる方はとーーーってもお勉強しておられる方々です。
 
違いを説明してみましょう。
①  まず、通所介護の機能訓練は、柔整師、あん摩マッサージ師、看護師が担当します。しかも一人何分と言う縛りがないため、1分でも可能であるということです。つまり、リハ専門職でない場合が多い。
 
厚労省資料
機能訓練指導員の資格等・個別機能訓練加算の届出
通所介護事業所の機能訓練指導員の資格は
「看護職員」が65.6%であった。「理学療法 士」が11.5%、「作業療法士」が6.1%、「柔道整復師」が10.7%であった。 (図表12) ○ 業務形態は、「機能訓練指導員の職務に専従」が34.2%であった。
説明しましょう:つまり、機能訓練の実態は看護師さんが兼務でお風呂入れたり、健康チェックしている合間にちょこっと、運動的なことをしているところがほとんどだという事です。
 
 
一方通所リハビリテーションでは、必ず、理学療法士作業療法士言語聴覚士リハビリテーション治療にあたる。と言うことです。
 
なるほど、通所リハビリテーションでは、理学療法士作業療法士がやってくれるのか~。でも、通所介護の柔整師や按摩師の人たちがやってくれる機能訓練と理学療法士作業療法士がするリハビリって何が違うの?と言う質問が出そうですね。
説明しましょう。
 
通所介護で行われる機能訓練はいわゆる運動が主体なんですね。エアロビクスを取り入れてみたり、最近はヨガ的なのもありますね。トレーニングマシンでえっちら、おっちら、機械に乗ってみたり、おいっちに!と体操をやって体を動かすことがメインと言うことになります。楽しそうです。按摩マッサージさんがいるところなんかは、按摩をしてもらえて、とーーっても気持ちがいい。
 
一方通所リハビリテーションの「リハビリ※」は楽しいとか気持ちがいいといったことは一切ない。何故なら、「治療」だから。投薬治療は毎日毎日お薬を飲まなきゃいけない。つまり、面倒くさいわけです。手術は死の覚悟もいりますし、体に刃物を入れるわけですから、術後の痛みや苦痛に耐えなければなりません。楽しいとか気持ちがいいとか想像できますか?できませんよね。それが、「治療」です。リハビリテーション治療は「しんどい」「面倒くさい」「痛い」「怖い」等のネガティブな感情が利用者の中で交錯する非常にきつい治療法です。
 
※リハビリとリハビリテーション治療はそれぞれ別の意味ですのでご注意ください。「リハビリ」は「元の生活を取り戻す」という広義の意味で現在は使われることが多い。一方理学療法作業療法は、「リハビリ」を実現するための一手段であるということです。リハビリの中には「教育的リハ」「社会的リハ」「医学的リハ」と大きく分けて3つに分けられますが、リハビリテーション治療は「医学的リハ」に属するわけです。通所介護等で体操のお兄さんが行う運動は運動を行うということを習慣化するための教育的リハに属します。意味合いが違う。
 
では、その「医学的リハビリテーション」とはなんぞや?ちゅうことになります。
 
「根拠に基づいた治療」と言うことになっていますが、一般の方はなんじゃそりゃ?てなもんだと思います。
 
簡単に説明しましょう。
運動をしたら体にいいらしい。なんだか、塗り絵とか計算とかしたら認知症に聞くらしい。と言うのは、なんとなく一般の方でもイメージがつくと思います。通所介護でやっている機能訓練はまさにこの一般的イメージによる「いいらしい」ことをやっているということです。
 
一方「医学的リハビリテーション」において、「いいらしい」では、話になりません。こうすれば、失禁が治る!こうすれば、トイレ動作ができるようになる!こうすれば、銭湯にひとりで行けるようになる!!こうすれば口で食べられるようになる!!と医学的見地から答えを導きだしていかなければなりません。
 
日常生活動作の一つの検査法でバーセルインデックス(BI)というのがあります。100点満点だったら家の中での動作はだいたいできるよ~。ってやつです。点数が低ければ寝たきり状態に近づくわけですね。この検査法で、歩けない人が歩けるようになる。もしくは、お風呂に入れない人が入れるようになるというように、点数をザクザクあげられるのがリハビリテーション治療と言うことですね。「できる」ための治療プログラムが的確に作れるか、作れないか。または、「できるようになる」ことが、一項目でも増やすことができるか、できないかが、リハビリテーション治療と機能訓練の大きな違いなのです。
 
通所介護でも理学療法士作業療法士が企業を起こしてやっているところもあるので、一概には言えませんが、多くの場合そうであるということです。
 
いやいや、うちの通所介護は頑張って日常生活動作を改善してるぞ!!と言うところもあるとは思いますが、通所介護を利用されている利用者のうち利用開始から6ヵ月以内に大体の人が能力低下をきたしているというデーターが出ていますので、参照ください。
 
↓ ↓ ↓ ↓
通所介護を利用している要介護高齢者を対象 と し て ADL の 縦 断調査 を行 い ,セ ル フ ケ ア ※が 42. 9%,排 泄 コ ン ト ロ ール が 13, 1% ,移乗 ・移 動 で は 32, 0%の 対 象者 に お い て ,わ ず か 6 ヵ 月間 で 各 ADL 能力が 低下 した。
 
※日本看護科学学会の定義】
「セルフケアとは、対象が良い健康状態を維持するために、自ら実施する日常生活上及び健康管理上の行動をいう」
 
簡単に言うと、飯・風呂・トイレ等を自分でできるかってこと。
 
参考文献:鈴 川 芽久 美,島 田 裕 之 ,他 :要 介護 高齢者 の 運動 機 能 と ADL 低 下 との 関係 .理学療 法学 .2011 ;38〔 1) :10−16.
 
厚生労働省参考資料
↓↓↓↓
 障害高齢者の日常生活自立度の変化(サービス利用開始時と調査時点との比較)
○ 日常生活自立度は、通所リハでは「向上」が26.6%、通所介護は12.4%であった。
○ 傷病別にみると、通所リハの「脳卒中」では、「向上」が30.1%であった。(通所介護では14%)
 ○ 通所リハでは、利用期間が「3~6か月未満」の場合、「向上」が33.7%であった。(通所介護では6%)
 
向上率も通所リハと通所介護では違いますね。
 
ちなみにですが、うちのリハ部は向上が50%超えてますけどね(笑)
要介護度5だった人が、リハ開始から、6ヵ月経った今ではトラクター乗り回してますよ。最初は寝たきりだったのにね~。よく頑張りました。まぁ、そういうことです(笑)
 
        
  最後にどーしても言っておきたいのが、「リハ特化型デイ」というやつです。あれ、やや こしいですよね。通所介護全体の15%も占めている。あれね、通所介護なんですよ実は。
 
なので、理学療法士作業療法士の配置はないんですね~。ややこしいですね~。
 
「リハ特化型デイ」全体の約75%が理学療法士作業療法士の配置がない。つまり、ほとんどが、看護師さんがお世話のついでに兼務で機能訓練やっているんですね~。
 
そりゃ、治らないですよね~。
 
参考資料
平成29年9月6日 介護給付費分科会資料
理学療法士等が配置されていない事業所は、 リハビリテーション特化型を標榜していても、日常生活自立度の改善は低い。」
 
紛らわしいので、来年の改正では理学療法士作業療法士等の配置がないリハ特化型デイのリハビリの表示を禁止する動きが、今、出ているんですね~。そうして欲しいですね~。
 
違いが分かっていただけたでしょうか?ではでは、「デイ」のお話でした。
 
終わり。

f:id:goumax:20170916184955j:plain

 

あれほど、ゴムしてって言ったのに!!注意一秒怪我一生。

あれほど言ったのに。しなかった、結果と言えば結果。しょうがないとも思うが、人間、楽したい方を選んでしまうのが性と言うもの。

 

皆さん、ゴムを舐めていませんか?ゴムは大事ですよ~。

 

カツカツと音が鳴れば、その合図。替え時です。注意一秒怪我一生。

 

杖先のゴムはちゃんと変えましょう。

 

劣化したゴムを使い続けていると転倒して、骨折しちゃう。

 

認知症の原因の第三位が骨折。

 

年取って、こけたら、こっちの世界に戻ってこれなくなりますよ。注意しましょう。

 

日ごろから、口酸っぱく言っているのに、「買いに行くのが面倒だ」「足がない」とかの理由でゴムを買わないと、取り返しのつかないことになっちゃいますよ。

 

このゴム。結構変えない人が多い。杖を買って何十年と使っているのに、一度も変えたことがない、なんてよくある話です。

 

道具は手入れが大切なんですね。

 

なので、うちの施設では、「この杖のゴムだめだな」と思ったら、日常生活平行動作練習として、買い物に行き自分で買っていただくようにしている。

 

転ばぬ先の「ゴム」ですよ。

 

そんなこんなで、家でこけちゃって入院した人が最近いたので報告までに。

 

何はともあれ、ゴムが大切だというお話です(笑)

 

 

壮絶バトル!!勇猛果敢、「帰り隊」の戦歴

知人に「短編で書いてみてはどうだろうか?」とアドバイスをいただいた。

 

元来、めちゃんこ、、人の意見に左右される性分の私は、なるほど短編か~。と思い。ちょっと書いてみることにしてみた。

 

壮絶バトル!!勇猛果敢、「帰り隊」の戦歴

 

今日も「施設」では熱い戦いが繰り広げられる。戦闘の最前線、面会者用ドアの前にはチーム「帰り隊」が陣取っている。所謂、帰宅願望者である。隊員達は、隙あらば大脱走を図ろうと昼夜問わずドアの前でチャンスを窺っているのだ。

 

面会者到来!

 

開かずの扉が今、開かれる。戦闘開始の合図である。

 

キックオフ!(試合開始の合図)

 

駿河「さぁ。今日も熱い戦いが繰り広げられようとしています。私、面会者用窓口で受   け付けをやっております。駿河、スルガと申します。実況を担当させていただきます。コメンテーターに主任理学療法士の鴻池さんに来ていただいております。よろしくお願いします。」


鴻池「よろしくお願いします。」


駿河「ディフェンス介護士達がオフェンス「帰り隊」の前にカバディーさながらに立ちはだかり、鉄壁の陣を組んでおります。」


鴻池「介護士越前君(23)はディフェンスの司令塔として最近若手の中で頭角を現している、ニューフェースですからね。楽しみです。今日は鶴翼の陣ですね。流石と言うところですか」


駿河「陣が形成されたようです。越前君がオフェンス「帰り隊」を凝視しながら、リモコンで扉を開いた!!帰り隊の面々が自動ドアに向かって突進していきます!!」


鴻池「やっぱり予想通り菊江さんが出てきましたね。」


駿河「菊江さん(68)は前期高齢者と言うこともあり、機動力が違います!」


鴻池「菊江さんはランニングバック(華麗なステップで相手ディフェンスを翻弄しながら前進してく係)としても定評がありますからね。」

 

駿河「オフェンス介護士軍団が、菊江さんにタックルで制止する。しかし、菊江さんディフェンスのタックルをスイム (腕をクロールで泳ぐように使って相手ブロッカーを横へかわすこと)で交わした!!」

鴻池「左手には荷物が詰まった紙袋を抱きかかえていますからね。右手一本で20代の介護士のタックルをスイムで交わすなんて、かなりの高等技術ですよ。」

 

駿河「菊江さんの単独ランで鶴翼の陣が崩れた!!おっと!菊江さん左手に抱きかかえた荷物を落とした!!」


鴻池「ファンブル(ボールを持っている選手が落とすこと)ですねぇ。これは痛い。」


駿河「菊江さん。荷物に気を取られている間に、介護士に抑え込まれた。」


鴻池「逆サイドから、塩見五郎さん(82)が出ましたよ。」


駿河「追いかける介護士。ディフェンス随一のランナー国立君(22)が後を追う!真っすぐ自動ドアに出るかと思いきや、五郎さん国立君の突進を予測していたのか、カットバック(守備側の選手を避けるために急激に方向転換すること)で国立君を交わし、ゴール(自動ドアの外側)に向かって一直線だ!!」


鴻池「取り押さえられている菊江さん以外のオフェンス(帰り隊)全員がチャンス到来とばかりに自動ドアに突進した!!」

 

駿河「右翼陣営は菊江さんの攻撃で少し手を取られていますが、左翼ディフェンスは無傷。オフェンスに総攻撃を仕掛けます。ディフェンス(介護士)とオフェンス(隊員達)の壮絶な戦闘が繰り広げられる!!帰り隊歴16年のベテラン奥州花江さん(82)が一人は中央突破を図ろうとしています!!花江さん!ディフェンス(介護士)の陣が崩れたところを縫ってゴールを目指す!!」


鴻池「遠江信彦さん(86)は両手で抱えた荷物だけでも娑婆の空気を吸わせようと開けられたドアの外に荷物を投げ捨てましたね。

 

駿河「おっとーー!!花江さんが自動ドアの前に後2mと迫ったところで、無情にもドアは閉まってしまった!!!試合終了!!!花江さんは悔しさのあまりドアを蹴り倒しております。強化ガラスの鈍い音がホールに響ています。」


鴻池「遠江の荷物だけが、ゴール(自動ドアの外に投げ出されている)してますねぇ。」


駿河遠江さんの投げ出された荷物に哀愁させ感じますね」


鴻池「そうですね。後で拾っておきますね。」


駿河「実況は駿河がお送りしました。鴻池さんありがとうございました。」


鴻池「ありがとうございました」

 

またもや帰り隊は、介護士軍団に敗北。壮絶バトルを繰り広げた隊員達は、何事も無かったように、再び所定の位置に戻り、次の機会を狙うのだった。

 

おわり

 

理学療法士って何ができるの?

知り合いの介護支援専門員に素朴~~な感じで聞かれた。

 

「生活上で利用者が困っていることは多いんだけど、理学療法士に頼んだらどうなるの?何ができるの?」

 

と、別にケンカを売っている風でもなく、ただただ頭上に?マークを浮かべているような感じで聞かれた。

 

ほほう。なるほどいい質問だ。と思い。それじゃぁ。メニューを書いてみよう。

 

メニュー

① 行為・動作の構築

 

基本動作の構築

・寝返り

・起き上がり

・ベッド上の移動・動作

・立ち上がり

・立位動作

・立位保持

 

日常生活動作の構築

・歩行

・移乗

・食事動作

・お風呂動作

・階段動作

・排泄コントロール

・整容動作

・トイレ動作

 

日常生活平行動作の構築

・投薬管理

・洗濯

・炊事

・掃除

・車の運転

・自転車の運転

・電車・バス等の公共交通機関の利用

・電話の受け答え、携帯電話の利用

・車への乗り降り

等々

 

② 機能の向上

・心臓リハビリテーション

・呼吸リハビリテーション

・糖尿病リハビリテーション

 

③ 各動作・行為を阻害している原因の除去

・認知機能・精神機能の改善(認知症の中でも訓練次第で改善するやつもある。むろん、しないやつもある。精神機能に関しては、心が動かなければ、体は動かない。ゆえに心を動かす。)

・除痛(特殊なアロディニアやカウザルギー等は取れないが、取れるものも多い)

・バランス機能・反射・反応の賦活

・筋・骨の強化

 

④ 代償動作・依存的自立の構築

・複合した疾病による障害に対して適切な装具や道具を選定して日常生活や行いたい行  

 為・動作を可能にする

 

・使える筋を用いて動作・行為の構築

 

・エンパワーメントの表在化を行い、依存先(道具、環境、友人や家族・店の店員、電車の駅員等人的依存の組み立て)

 

・患者・利用者の強味の引き出し。(職業が大工さんとか自治会長やってたとか、友達100人いるとか、その人の持つ強み)

 

御用のある方はベルを鳴らして注文してください。

 

まぁざっとこんなもんだろうか?

 

しかし、メニューを書いては見たが、これが欲しいと言ってもらえるものではない。

 

なぜなら、メニューに書いたのは、例えるならば、お薬の名前を羅列したにすぎない。

 

患者が医者に行って「この薬をくれ」と言っているようなものである。

 

まず、患者さんは「仕事がしたいので、できるようにして」とか、「グランドゴルフに行きたいので、いけるようにして」と言うように、〇〇がしたいので、と注文したほうがいい。

 

ただ単に「膝が痛いので直してください」と言われれば、「あなたの膝は変形しているので、お医者さんに相談してください」となる。

 

しかし、「畑仕事をしたいのでできるようにしてくれ、膝が痛くて出来ねぇーんだ」とオーダーを出せば、「なるほど、それでは、膝の痛みがなく畑仕事ができるようにしましょう」という事になる。

 

何が違うんだ?

 

と思う方も多いと思いますので、解説してみましょう。

 

「膝が痛いので治してください」

 

これは、膝の変形そのものを治さなければ痛みは取れない。ゆえに医師の仕事になる。

 

しかし、「膝が痛いので畑仕事ができない」これは、言い換えれば「膝が痛くなければ畑仕事ができる」という事になる。

 

膝が痛くないように動作パターン、畑の環境や作物を作る方法を変えればいいのだ。必要なら、筋骨に対して多少アプローチすれば済む。

 

どう変えれば膝が痛くないかを調査・評価し、方法論が決まればスキル向上のための訓練が始まる。

 

つまり、膝が痛くない方法・体作りを練習して体得し、目的とする行為・動作を行えるようにするという事ですね。

 

しかし、なんか直してもらっているような気がしない。そんなんだったら、自分でやるわ。と思った方も多いでしょう。

 

だから、日本は寝たきりが多いのです。車やテレビが壊れて、自分で分解して修理する人は少ない。でも、ひとたび障害に対しては自分でやろうとするから寝たきりになる。

 

私のところの病院に寝たきり状態で来られた患者さんのほとんどがこのパターン。自分で何とかしようとしちゃった人たち。この手の自分でやっちゃった系の人たちで一念発起する人は、ちゃんと理学療法を受ければ、まぁまぁ、復活する人が多い。

 

(ちょっと愚痴だが、我がリハビリテーション部は介護度5・4を要介護1とか要支援にしちゃうので、売り上げを考えてください!!!!と経営者からいつも怒られている。介護保険は治すと売り上げが下がる。利用限度額が下がるので患者の家族に烈火のごとく怒られる。いつか首になっちゃうなぁ。まぁ患者さんが喜んでいるのでよしとしますか(笑))

 

ちゃんと、餅は餅屋に聞きましょうね~。勝手にメニューの項目をオーダーメイドで注文しちゃったら、「あんたが注文したのだから、寝たきりになっても私は知らないよ」「ケアプラン通りやったんだから、寝たきりなってもケアマネかあなたのせいでしょ」と療法士たちに言われちゃいますよ~。(現にそんな療法士もいる。なんだかなぁ~である。)

 

上記に描いた理学療法は厳密には理学療法等である作業療法や言語療法分野も入っている。しかし、世界基準ではおかしいが日本基準と言うのがある。日本では理学療法作業療法も言語療法も明確な区分がない。全て名称独占免許であり、なんでもいいから、お前らやっとけ的な扱いを受けているので、理学療法士だから精神や日常生活応用動作は診れませんなんて言っていたら、仕事にならない。また逆に作業療法士が私は作業療法士なのでシーティングや基本動作は分かりませんなんて言っていたら、これまた、仕事にならない。なので、療法士の専門性の区分があいまいになり、専門性が年々希薄なものになりつつある。日本で求められているのは、専門的なプロフェッショナルよりも広く浅い知識でそこそこできるジェネラリストなのである。ただジェネラリストはプログラムの組み合わせが天文学的数字になるので、個人に合わせた組み合わせをプログラムできる訓練が必要。

 

なので私は理学療法士だが、畑やタケノコ山に長靴を履いて動作分析に出る毎日です。おかげで、イチジク栽培の方法や害獣除けの網の張り方等々やたら詳しくなっちゃいましたよ。(笑)

 

歩く理由。

「専門性と両立かああ わかりやすい 表現で 難しいことを書いてくださる と ハートフルなのではないだろうか?」

 

とコメントをいただいたので、それやってみようと思います。

 

例えば「歩けない」患者さんがいたとします。

 

歩けないので移動手段は、車いすに乗っているとします。

 

生活期のリハビリテーションにおいては、歩けない原因を探り、「歩く理由を」確かめます。

 

ここが重要ポイントです。

 

なぜ歩かなければならないのか?を考えていただく。

 

これが病院治療と生活期治療の大きな違いである。

 

施設に死ぬまでいるのが決定している人が「自分の足で歩く理由」皆さん考えてみてください。

 

施設では屈強な介護士さんたちが上げ膳据え膳で、着替えやお風呂等すべて本人が、何もしなくてもやってくれます。歩かなくても車いすに乗せ換えてくれて、すべて運んでくれます。何もする必要はありません。

 

さー。シンキングターイム。

 

カチカチカチ、チーン。

 

どうですか?見つかりました?

 

「盆正月に家に帰るので、歩けなければ困る」

 

と言うのなら理由がある。しかし、死ぬまで家に帰れない人は?理由がなければ、人は努力できません。

 

東大に入る理由もないのに、東大に行け!!勉強しろ!!といきなり他人に言われてもびっくりしちゃいますよね。

 

「歩く理由」が見つかれば、どうすればその理由を達成できるかをプログラムしていくことができます。

 

「歩きたい」という人の本能である欲求に対しても何故がなければ決して達成できないのである。お金だったり、労力といった、代償ももちろん支払わなければならない。

 

しかし、お金を出すのも努力も嫌。欲しいものだけくれ。と言う患者さんが多いのも現実ですけどね(笑)

 

どうですか?ハーートフルでした?

専門性があって、ハ~~~トフルなお話。

お知り合いに、「ブログは、専門性があってハートフルな記事がいいよ」と教えていただいた。

 

専門性・・・。まぁ、これはいい。

 

しかし、しかしである。この後の「ハ~~~トフル。」ちゅうのがメチャンコ難しいのである。

 

私の職業は、主に理学療法士、介護支援専門員等である。若い人もちょっとは見ますが、比率的にはがっつり高齢者よりの医療区分である。

 

高齢者区分と言うのは本当に救いがない。滅入る話ばかりで、希望がない業界である。

 

そこで、こんな面白い患者さんがいましたとさ。とか、断片的な面白エピソードを書く人は世の中に大勢いて、少々、介護のお話は過食気味である。

 

医療のお話も同様で、世間でもてはやされるドラマや小説は医療。とりわけ、医師、看護師区分である。なぜ、世間は医師の話が好きかと言うと。やっぱり、日本はお医者様教の信者が多いためであると推察できる。

 

また、病気に対しての医療ミステリー的なのも多分に漏れず好きなようである。薬や医療機器を用いたトリックなんて世間様の大好物である。

 

はたまた、若い人が病気になるととてつもない同情票が集まり、人気が高い。

 

そこに持ってきて高齢者医療のお話は世間様に人気がない。

 

では何故だろう。

 

それは・・・・。もう世間が60過ぎた人間のことに興味を持っていないからに他ならない。

 

「年だからしかたない」という、諦めで蔓延している。

 

しかし、寿命が延びに延び、これからも伸び続けるだろう。

 

60や70なんて、まだまだ、ひよっこだ。的な時代に突入しているにもかかわらず。

 

「しょうがない」が蔓延していて、医療でせっかく拾った命を無駄にしている。

 

あーーーーもったいない!!!

 

と、憂いてみても誰も興味さえ持たない。

 

「そんときは、そんときだ」

 

と、年を取ることを見ないようにしている青年期、中年期の人も多い。

 

ひどいのになると「私はそんなに長生きしないから」と夢のようなことを言う若人も少なくない。

 

高齢者医療は、いくら障害を治しても、喜ぶのは本人だけ(私はそれで十分なんですけどね)。しかし、医師や看護師、はたまた家族からは迷惑がられ、怒られる。

 

「若人に迷惑かけずに早く死ね」と世間が大合唱しているような状態である。

 

そんな、なか

 

ハートフル。ハ~~~トフルねぇ。

 

か、考えてみます・・・・。

 

 

「夏の《映画・ドラマ・アニメ》」、『君が踊る、夏』

うちのオカンは、生粋の大阪人である。しかし、何故か「よさこいダンサー」として日本全国を踊り歩いている。

 

なので、私の家では、夏と言えば、よさこい。高知ヨサコイ祭り!!

 

ヨサコイダンサーの聖地、高知ヨサコイ祭り!!

 

去年まではペギー葉山も毎年参加していた歴史あるお祭り!!

 

という事になっている。

 

そんなオカンなので、『君が踊る、夏』 ヨサコイ祭りが取り上げられた映画ができたときはもうそれはそれは、オカン的には大大大ニュースである。

 

それと言うのも、実は親父殿のご実家が高知県なので、

 

「何!!高知県が舞台の映画とな!」

 

と、高知県をこよなく愛する親父殿としても、狂喜乱舞して大喜びの映画だった。

 

家族全員で、『君が踊る、夏』を鑑賞したのだが……

 

まぁ、出るわ出る。映画のダメ出し大会が始まった。

 

まず、他県の方は分からないだろうと高をくくって作っているので、地理的なカットの矛盾が多い。

 

オカンと親父殿は映画の内容より、そっちの方が気になってしょうがなかった様子で。

 

「どこの高校やねん」「100キロぐらい瞬間移動しとるがな」と不満たらたら。

 

「いや、映画なんだから、いい感じの絵面がいるんだよ」

 

と私がなだめてもご両親たちは聞く耳を持つはずもなく、

 

「せやけど、これおかしいやんけ。高知市内から自転車でなんで、四万十川までいっとんねん」

 

とてんやわんや。

 

まぁ、まぁ。どう、どう。

 

と両親をなだめるのに一苦労した夏の映画の思い出でした。

 

f:id:goumax:20170904001557j:plain

岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」

ルポライター中村 淳彦の記事があまりにも言いえて妙だったので、シリーズで紹介。正にその通り。スタンディングオベーション並みの記事です。

 

私以外にもちゃんとわかっている人がいるんだ~。と嬉しくなっちゃったので、ご紹介します。

 

本当に現実は以下の通りです。心理学でいうところの楽観の法則に従い「そんなはずはない」と夢を以っておられる方もおいででしょうが、現実は現実。じっくりと熟読してくださいね。

 


また、介護施設高齢者が死亡する事件が起こった。
岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で今年(2017年)7月末以降、入所する高齢者男女3名が死亡し、2人がケガをしていることが判明。8月17日から県が立ち入り調査をはじめ、県警は事件と事故両面の可能性があるとして捜査を続けている。
「介護=ブラック」はもはや一般常識だ。2000年に介護保険制度が始まり民間に渡された介護は、一時は業界全体が潤っているように見えたものの、圧倒的な人材不足を皮切りに人材の劣化、施設内での虐待や窃盗、ついに2014年には殺人事件が起こる事態にまで転落した。
私が2008年から2015年まで経営していたデイサービスでも、開業当初からまるで地獄絵図のような出来事が常態化し、結局は廃業せざるを得なくなった。私の事業所では「中年童貞」職員が跋扈し、職員同士のセクハラやパワハラは当たり前、逆恨みした介護職にストーキングされたり、失踪する女性介護職もいた。
介護は確かに重労働でキツイ仕事だ。その上低賃金という問題もある。外とのつながりの薄い、小さなコミュニティーのなかで安い給料で仕事をしていれば、人格が壊れたり、精神疾患になったりということもある。しかしそれにしても度を超えた酷すぎる7年間を振り返り、なぜここまでの惨状に至ったのかと考えていくなかで、ある介護フランチャイズの大手企業に思い当たった。
介護の「カ」の字も知らなかった私は事業開業前に、株式会社日本介護福祉グループの前身である(株)フジタエージェントが主催する「介護施設の管理者研修」を受けた。そこで私は施設運営のノウハウや介護を学んだと同時に、人手の足りない介護業界は、長時間労働が「当たり前」と示唆された。
その詳細はhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/48578で記事にしているので省略するが、人材が劣化した一因はこの介護ベンチャーが象徴しているのではないかと思うようになった。
当時、グループの代表取締役会長を務めていた藤田英明氏は「介護業界の風雲児」と呼ばれ、民営化した介護業界のカリスマ的な人物であった。だが一方で自己啓発セミナーまがいの「ポエム」で人材を集める「介護甲子園」のスポンサーであることを知り、疑いを深めた私は取材を重ね介護職への「ポエム採用」の実態に迫るルポを書いた。
今年に入ったある日、その藤田氏から「介護業界はもう末期的な状態です。今のままだと立ち直りようがない。自分の力だけではどうもならないので距離を置きます」という連絡が入った。あれほどまでに「介護から日本を元気に」と言っていた藤田氏にどんな心境の変化があったのか、彼の話を聞くことにした。
白紙の履歴書が送られてくる
中村 国民の3人に1人が65歳、5人に1人が75歳となる2025年問題は、もうずっと日本の課題として認識されてきた。そのために国は2000年4月に介護保険制度をはじめて、超高齢社会を迎えるための準備をしようと頑張ってきたけど、もう限界です。異常な人手不足を筆頭に問題だらけ。
藤田 今の介護業界を取り巻く環境は、あまりに酷い。人材が集まらない上に、たまに履歴書が送られてきてもプリクラが貼られていたり。名前だけの白紙の履歴書とか、エンピツ書きとかザラです。応募があったから丸1日面接を組んでも、誰1人来ないとか。それでも人手不足だから、能力に期待せず誰でも入れざるを得ない。それが嫌ならば、施設をたたむしかない。そんな状況です。
中村 藤田さんを含む介護ベンチャーの経営者層は人材不足に焦り「低賃金」「重労働」を「夢」や「絆」に置き換えて、従業員のやりがいを搾取する「ポエム採用」に乗りだした。しかしそれも通用しなくなって、焼け野原みたいな現在があると。当時のその「人の集め方」について藤田さんは今どう思っているの?
藤田 当時はマスコミの過剰な報道によって浸透した「介護は3K」という一般的なイメージを払拭するのが目的だった。ただ、3Kであることは事実だし、そんなことをしても人材が確保できない上に、2015年には介護報酬の本格的な削減が始まって、このままでは社会保障としての介護は本当にダメになると思った。
「介護甲子園」は確かにイベント創設時のスポンサーではあるけど、お金を出して欲しいと頼んできた主催者が「感謝、感激、感動」などの稚拙なキラキラ言葉を駆使した宗教紛いのイベントをやるとは思っていなかった。ご指摘の通りにポエム的な採用をしてきた僕自身も、あれは気持ち悪いし、正直一緒にしてほしくない。


当初は介護業界を元気にして、介護職たちの技術向上になればという気持ちからスポンサーになったけれど、結果として人材の質が上がるワケでも、業界全体が潤うワケでもなかった。それどころか年々酷くなるばかり。それを実感したから僕個人だけ方針転換した。続けるのは無理だと思ったんです。
中村 彼らが介護職を思考停止させて低賃金で働かせることを目的に「高齢者のありがとうが報酬です」みたいな方向に持っていきたいのは、もう透けて見える。
藤田さんを含むベンチャーの経営者層が、自己都合で苦し紛れな美辞麗句をまき散らした結果、介護に集まってくる人たちも一定数いたのは確か。介護は人が人を支援する仕事だから、入所者と介護職が疑似家族みたいになりがちで、チームワークで業務が成り立つ部分も多く、希望や絆といった綺麗な言葉と相性がよかった。思惑通りに“夢”とか“スイッチオン”とか“未来を創る”といったポエムは今でも蔓延している。
藤田 稚拙なキラキラ言葉で集まるのは、意識高い系やメンタルの弱い人が多い。面接でどうして介護をやろうと思ったのかを訊くと、「おばあちゃんと接していると癒されるんで」みたいな。いやいや、君が癒されるために仕事をするんじゃないんだよって。そういうレベル。
中村 このままでは本当に介護崩壊すると伝えているけど、大きな理由の一つは精神的に難を抱える介護職が多すぎること。
以前僕が運営していたデイサービスでは、カッとなってすぐに暴力をふるう男性の介護職や、突然失踪した女性の介護職などさまざまいて、彼らに振り回され続け疲弊し生き地獄を見た。
不健康な人は自分のことで精一杯なのと、安定して規則正しい生活を送れないので、高齢者の生活をつくる介護には向かない。
僕の実感だと、不健康な人は全体の少なくとも1割、多かったら3割くらいはいるでしょう。いま介護職は約170万人いると言われています。その3割だとすると最大推定約50万人だよ。

藤田 介護保険前は行政が介護が必要と認めた人に対する行政処分として介護サービスを提供する、措置制度が敷かれていた。職員の給与は租税方式で徴収した税金でまかなわれ、給与も公務員に準ずるくらいの賃金だった。
けれども、2000年の規制緩和で民間に介護が渡されると、ニチイ学館コムスン、ベネッセ、メッセージといった企業が事業展開、さらに不景気の煽りをうけた「介護」を知らない経営者をはじめあらゆる人たちがどっと参入した。
そうなると、当然人材が足りなくなる。事業をまわすために、誰でもいいから採りたいという経営者側と、介護職の基準に達していない人材が集まり劣化した。
中村 2005年あたりまで介護保険制度にあやかる、ヘルパー2級の資格ブームがあった。介護にたくさんの人が興味を持ったのに、介護業界は高齢者の生活の質の向上を煽るばかりで介護人材を大切にしなかった。介護職を使いたおし潰しまくって、産業として発展する大きなチャンスを逃した。
措置制度時代の優秀な福祉人材や、介護に興味を持った一般人たちは、その状況にうんざりしてみんな逃げた。もう今の惨状は自業自得。その後は不景気による失業者と不健康な人たちが入職者のメインとなって、今は彼らが介護現場の中心になっている。
藤田 ヘルパーはハローワークの支援制度を使えば無料で取れる上に、要件を満たせば受講給付金までもらえる。

 

つまり国がお金を払って量産したヘルパーたちが2009年あたりから出始めて、その後介護福祉士、実務経験の5年をつんで今はケアマネジャーになっている。

 


そもそも介護職を目指して業界に入った人たちじゃない、「介護をする」ということに興味のない人たちが、

 

現在ケアマネジャーをやっている事態。だからまともなケアプランを作れない。

(補足:「まともなケアプラン」とはなんぞやという事だが、自立支援を促すためのケアプランである。ここで、「自立」の概念について書いておかねばなるまい。「自立」とは、独り立ち、独立。を意味する。一人で介助なしでできる。という事を目指しなさい。という事である。しかし、実際は、利用者のいいなりのサービスの垂れ流し状態で、あれが欲しい、これが欲しい、と利用者に言われれば、その通りのプランが出来上がる。いわゆる「御用聞きケアマネ」が大半を占めている。まともでないケアプランとは、利用者やその家族のいいなりにケアプランを立てることを言う。しかし、まともでないケアプランを作っているケアマネたちにももちろん言い分はある。介護保険の根幹となる介護保険法に「利用者本位」と言う文言が書かれているからである。この言葉をそのまま受ければ、「御用聞きで何が悪い」と言う理屈が正当化される。しかしその結果。寝たきり、認知症高齢者が大量生産される。その現実に対して「御用聞きさん」たちはこぞって「年だから仕方ない」と平然と言ってのけるのである。私に言わせれば、寝たきりも認知症もケアプランが招いた人的被害以外の何物でもないと思っている。しかし、まったくケアマネにペナルティがないので、やりたい放題になっている現実がある)

 

そういう問題も起きていますね。

元株式会社日本介護福祉グループ代表理事会長の藤田英明氏

中村 ケアプランが作れなければ、現場も機能しない。

 

いまやそんな量産された人たちが専門学校や初任者研修の講師をしている。

 

量産された人たちの中には、もともとケアに対する意識が薄い人たちも多い。ケアへ心構えのない人たちが教えれば当然、同じタイプの介護職がさらに増える。

 

介護に向かない人材の量産体制が常態化する。


藤田 介護保険制度が敷かれる以前の措置時代にいた人たちと現在の介護職とでは、本当に人材の質はまるっきり違いますよ。昔の介護職は介護職になりたい人たちが大半だった。だから勉強もする。自分のスペックを上げようとする姿勢があった。今はそんな話はほとんど聞いたことがない。
中村 国の雇用政策が大きく影響したね。国が介入した瞬間から産業に歪が生まれて、最終的に崩壊まで壊れる一部始終を初めて眺めて驚いた。ビフォーアフターで本当に全然違う。
介護現場は社会保障費の削減という国策に巻き込まれ、失業者の生活保護の代替として利用された。それが決定的な原因となって、絶望的な現状を迎えてしまった。もうやり直すには規模が大きすぎて動かしようのない状態にまで陥っている。
若者はみんな逃げるべき
藤田 僕個人が起業した2004年ごろから3年くらい前まで、介護業界の発展のために「若者を介護職へ」と謳った。それは最初、自社のためではなく、社会にとって本当によいと思ってやっていた。
けど少子高齢化で、生産人口が少なくなるなか、日本はGDP600兆円が目標と言う。「国の売上」を上げていかなければならないのに、若者を生産性のない介護で働かせていいのかって自省的に考えるようになったんだよね。
中村 国は1ヵ月暮らしていけるレベルの賃金を介護職に支払うつもりはないでしょう。若者はこれから何十年も働かなければならないので、本当に介護職はやめた方がいい。自分の人生潰すことになる。
やり直しの利く20代の介護職は全員、今すぐに辞めたほうがいいし、介護を専門にする学生だったらお金を返してもらって他業種の養成学校に転校したほうがいい。若者は生産して納税するのが社会貢献だよ。
藤田 僕もいまの現状を見る限り若者に介護職は勧められない。でも介護職の人手不足は何とか解決しないといけないのも確か。そんななか、外国人技能実習制度に介護職種を加えることが決まった。働きながら日本の介護職の技術を学び5年したら帰国するという建前で11月にベトナム人が1万人くる。
中村 失業者の次は、本格的な外国人の受け入れですね。2008年からの経済連携協定EPA)では、候補者は人材マッチングにより選定され、訪日前と後に半年~1年程度の日本語研修経てやっと受け入れ施設で働くという厳しい基準があった。
でもこれから始まる外国人技能実習制度は、発展途上国地域の経済発展の人づくりに協力するという趣旨で見直された制度で、日本語のレベルも低く政府のバックアップ体制もない、つまり簡単に言えば労働力になってくれる外国人は誰でも受け入れるという制度。
日本語がほとんど話せない外国人が慢性的に忙しい介護職に就いたら現場はさらに混乱する。労働組合は賃金のさらなる低下を危惧して外国人の受け入れに反対だし、保守系の人は未来の日本に日本人がいなくなると憤る。
2016年にはこの制度を使って日本に入国した中国人が5年間で1万人も失踪、不法残留や資格外活動をするケースも多いと話題になった。実習生は人件費が日本人と比べて安いことから、空き巣などの窃盗罪で逮捕されるケースも多いという。

藤田 介護業界の一部の“意識高い系”はセミナーとか、コミュニティカフェをやっていて、そこで僕が介護業界が直面している問題を投げかけても、彼らは基本的に介護業界の惨状は見たくない、聞きたくないといって話をずらす。「どこにも問題はないこと」が基本姿勢です。
さらに自分たちは素晴らしい、介護は素晴らしいといった自画自賛の話ばかり。目の前には問題が山積みなのに業界内ではそれを誰も議論しない。介護業界全体にそんな雰囲気が漂っています。
中村 2014年には神奈川県川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で起こった連続殺人事件は、介護業界の問題が凝縮した大事件だった。逮捕された今井隼人容疑者は同所で認知症高齢者3人を突き落とし殺害。今井容疑者は施設内で窃盗したとして、この事件発覚前に解雇されている。


「Sアミーユ川崎幸町」は慢性的な人手不足のため、入所者80人を2人でまわす勤務体制や15分単位で刻まれたスケジュールで現場をまわすなどの労働環境に関する問題点もあった。
でも、こんな大事が起こっているのに、僕の実感として介護関係者は誰も当事者の意識を持っていなさそうに見えた。人が殺されても何事もなかったようにキラキラした意識高いばかり話を続けて、行政もそれに乗っている。業界全体が思考停止する間に、また3人が殺された疑いのある「それいゆ」事件が起こってしまった。いったい何人殺されたら、彼らは現実を見るのだろうか。
藤田 虐待されようと、人が殺されようと、現実に正面から向き合おうとすると、介護業界全体から排除される。同調圧力もあって、業界を挙げてみんな汚い現実に蓋をするし、大きな問題からは徹底して逃げる。最近は現実をみないとダメだよって声をあげているけど、介護業界の人たちは本当に興味を示してくれないですね。
東京が認知症だらけになる
中村 介護は人材がすべて。それが崩壊したので、事態は深刻ですよ。儲からなければ産業が潰れちゃうのは仕方がないけど、介護は社会保障なのでそうはいかない。超高齢社会を考えると、介護にかんしては高齢者が諦める、高望みしないことが最優先なんじゃないかなって思う。
藤田 それは当然ある。でも国は、要介護になった高齢者をもう一度自立できる状態に戻し、施設への介護保険給付費を減らすという「自立支援介護」に方針転換している。
高齢者を地域で支える取り組みを全国に先駆けて始めた「和光モデル」、介護予防で成果をあげている市区町村を優遇する「財政インセンティブ」、日本の介護技術やケアシステムをアジア諸国の地域に輸出する官民連携のプロジェクト「アジア健康構想」と色んな計画と思惑が絡み合って、色んな人が机上で夢みたいなことを語っている。
「自立支援介護」は高齢者に対して「自分でやってもらう」ということではない。例えば排泄がうまくできないためパッドを使用している高齢者に対して、その高齢者が尿意をもよおした時、パッドを使わずトイレまでどうやったら辿り着けるのか、その方法を考え個々人の状態に沿ったケアプランを考えていくというのが本旨。介護職のスキルや倫理が求められる。

 


深刻な人手不足で、かつ、

 

まともなケアプランを作れる優秀な人材がいない、

 

その上介護報酬まで削られるとなると、どう考えても現実離れしたプランにしか思えないし、実現できるわけがない。

 

ちなみに人間の状態をよくするのは医療の領域

 

で、介護ではないですよ。

 

(補足:多くのケアマネは自分たちのわかる範囲(福祉領域)のみでやりたがるので、医療を排除して、「優しい気持ち」のみでケアプランを作る。結果的に寝たきり、認知症高齢者を大量生産することになっている)


中村 今の介護現場は本当に仕事に対する意識も能力のレベルも低い人が多いので、時間通りに出勤して誰とも喧嘩をしないで一日平穏に終える、ことすら危うい。
藤田 現在、介護職の就業者数はおよそ170万人もいと言われてる。彼らが失業するとなると社会的なインパクトも大きいし、これからも高齢者はどんどん増え続ける。もうやり直す余裕ない。
さらに社会保障の縮小、社会保障費の削減に国が必死になっているので、高齢者に対するケアの体制が整う状態に立ち直るのは本当に難しい。今は要支援1、2が保険適応外で、要介護1~要介護5までを保険でみようってなった。
今の介護人材の質や人手不足の状況を考えたら要介護1、2の認知症高齢者を介護保険でみるのは難しい。本当に丸くおさまる案がない。

中村 そもそも介護保険制度は、誤解を前提とした制度設計。実際はまだ歩ける認知症高齢者の要介護1、2の介護が一番難しい。要介護4、5のように寝たきりになっちゃえば、徘徊をしないので介護はしやすし、労力も少ない。
今の介護保険制度では要介護1、2の支援は継続になっているけど、これから近いうちに要支援だけではなく、要介護1、2までを切ることも充分ありえる。要介護3~5だけが介護保険適用になるという。
藤田 要介護1、2を制度から切り離したらそれこそ社会全体が大変なことになりますよ。
以前、要介護認定の厚労省の担当者に実際は歩ける認知症の人が一番大変、だから認知症の介護度1、2を高く評価して社会保障費をあげないと、実態に合いませんよって伝えた。でも厚労省の人には認知症高齢者の介護の実態が伝わらない。「歩ければ、移動が楽でしょう」というまったく危機感のない返答だった。
中村 寝たきりの高齢者こそ縮小して在宅、歩ける認知症の多い要介護1、2を重点的に施設介護するほうが合理的だし、理に適っている。
藤田 重度の人はヘルパーが訪問してそれこそ入浴や食事、排泄介助をすればいいだけだから、在宅でいけるよね。
中村 計画通りに将来的に要介護1、2を制度から切り離したら、当然の結果として街中が認知症だらけになる。本当に大変なこと。路上に遺体が転がるし、車の徘徊で子供が殺されるし、線路には高齢者が自宅を求めて彷徨う…といった絶望的な状況が常態化する可能性すらある。冗談ではなく、国の機能が麻痺するよ。
藤田 2020年のオリンピックのときは、もう東京が認知症高齢者で溢れかえり外国人が衝撃受けることも考えられます。大袈裟ではなく、身元のわからない高齢者の死亡のニュースが連日連夜報道されることもありえる。
ただこの状況を変えていこうとしても、本当に手がない。その現実は介護関係者ならば簡単に想像がつくはずなのに、わかっていても、臭い者には蓋、見ないようにしているか、言わないようにしているか、考えないようにしている。もう本当の崩壊に向かっていますよ。