GOMAXのブログ

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どえらい、大雪ですわ~。うちんち⑥

今日も大雪えらいこっちゃ。朝から降っていた雪が今現在、ナウ降り続いている。膝ぐらいまで積もっとるがな。関西やでここは。こんな大雪はじめてですわ。明日の朝を迎えるのが怖い。仕事いけるやろか。心配。

 

うちんち⑥

源三郎は落胆していた。役人時代、源三郎は老人施設を〝収容場所〟から〝生活の場〟へと変革させるために、その最前線で働いてきた。そんな源三郎にとっては、あまりにもショッキングな光景が目の前で繰り広げられていたのだった。


車椅子に乗った二十人ほどの入所者が、大広間に集められ、一様に同じ方向を向いて座らされていた。車椅子の群れの前には十四インチほどの小さなテレビがちょこんと置いてあった。二列目以降の老人達は、無表情に前方の老人の後頭部を眺めていた。


施設内はやけに暗かった。節電が義務付けられ、昼間は蛍光灯をつけてはいけないと、府から指導が入っているそうだ。薄暗い施設内で、大広間のテレビだけが嫌に明るく光っていた。


スタッフ不足のせいで利用者を入浴させることもままならず、介護士が週に二回、タオルで清拭して回るのがやっとだ。体位交換(寝返り)も満足にしてやれず、寝たきり利用者の皮膚は破れ、骨が露出する重度の褥(じょく)瘡(そう)が後を絶たない――小宮山が臍を噛むように源三郎に訴えた。


「……これが、生活か……」


源三郎は堪らず漏らした。寝かせっきり、座らせっきりの介護現場の実態を目の当たりにし、意気消沈して家へと逃げ帰って来たというのが正直な所だった。また明日もあそこへ行くのかと思うと、気が重い。


夕食時、何も知らない時恵が

「さつきも大学生になったし、お父ちゃんには、もうちょっと頑張ってもらわんとな」
と、笑顔で源三郎にビールを注いだ。


――はぁ……俺、鬱になっちゃうかも。


密かに思う源三郎だった。

 

源三郎は買物にも、碁会所(碁は源三郎の唯一の趣味である)に行く時も、必ず源太を連れて行った。源太は源三郎が出て来るまで、何時間でも座って待っていた。そして建物から出てくる源三郎の姿を見つけると、指示もしていないのに、お手とおかわりを交互に繰り出すほどの殊勝ぶりを振りまいて、源三郎を出迎えた。


「源太、遅うなったな。はいこれ」


源三郎は、碁会所の帰りに、必ずお菓子を一つまみもらって来ては、源太に与えた。源太は愉悦してお菓子をほおばった。いつの間にか、喜ぶ源太の姿を見るのが源三郎の一番幸せな時間となっていた。


「行くで」


源三郎が源太に声をかけると、源太はリードを引っ張り、家まで源三郎を連れ帰った。


「これじゃ、どっちの散歩か分からんな」


源三郎は息を切らしながら、笑って言うのだった。

 

源三郎は職場で『センター長』という大層ご立派な肩書を戴き、悪戦苦闘していた。


「なんでこないにスタッフが少ないんや?」


スタッフ達の仕事ぶりをここ数日見てきた源三郎の、卒直な感想だった。もちろん、源三郎もずぶの素人ではない。法律上の人員配置基準は知っているし、希望の里は基準を満たしている。しかし、現場ではそんなものは全く意味を持たないことを、源三郎は思い知らされた。数字上の基準は満たされているのに、満足なケアが少しも行えていないのだ。


介護士達は誰も怠けているわけではない。やれ風呂だ、飯だ、トイレだと尋常でない働きぶりを見せている。だが、たった一人でもスタッフが休もうものなら、風呂は無し、食事はミキサー食をおざなりに口に流し込むだけ、トイレへ誘導する時間もないのでオムツを履かせる――たちまち「生活援助」から「飼育」へと業務が変貌してしまう。


――こんな状態で人としての生活を守る言うたかて無理や。でも俺は介護士でも看護師でもないし――


源三郎は考えた。答えは至極簡単だった。


「俺にできることは、これぐらいやな」


源三郎はすぐさま背広を脱ぎ捨て、ジャージに着替えると


「よっしゃ、バッチコイ!」


と気合を入れ、風呂場に向かった。


湯張りをしていた介護士の一人が、源三郎の姿を見つけ、驚いた表情で話しかけた。


「せ、センター長……ですよね?」


「せや。数日前にセンター長になった佐藤や。こないだまで役人やっとって、現場のことは何もわからん。素人やよって、利用者に直接触(さわ)れんから、それ以外は教えてくれ」


源三郎はそう自己紹介して、年の頃ならさつきと変わらぬであろう、若い介護士に教えを請うのだった。源三郎が考え抜いた末に出した答えは〝雑用係になること〟だった。


――俺が雑用に当たれば、介護士達に余裕ができる。そうなれば寝かせきり・座らせきりの現状を変えられるかもしれへん――


源三郎は庭の草抜き、エアコン掃除、電球交換等、センター長の肩書からはおよそ想像できない仕事を次々とこなしていった。

 

二年が経った春。珍しくさつきから連絡が入った。さつきは大学三年生になっていた。
電話を受けた時恵から、久しぶりにさつきが家に帰って来ることを、源三郎は聞かされた。


「そうか」


源三郎はそう言うと、自分の書斎へ入った。


ドアが閉まると、時恵はクスッと笑った。言葉には出さないが、源三郎は喜んでいる。時恵にはそれが手に取るように分かった。長い間互いに避けていただけに、顔を合わせるのはとても気まずい。が、それでも会えば安心できる。さて、どんな顔をして会(お)うたらええもんか……源三郎の胸中は複雑だった。


家に帰ると、時恵とさつきが神妙な面持ちで居間に座り込んでいた。時恵に促され、さつきはゆっくりと源三郎に目を向けた。源三郎は視線を合わせることがなかなかできず、おどおどと見慣れた室内に目を走らせた。


「お父ちゃん」


さつきが口を開いた。源三郎は戸惑い、「なんや」と答えるのが精いっぱいだった。

 

さつきは続けた。
「赤ちゃんができてん。三ヶ月やて、お医者さんが。せやから大学辞めて働こう思て、報告に――」


さつきの言葉が終わらぬうちに、源三郎は殴りかかっていた。自分でも、何が起こったのか理解できなかった。理性の箍が外れたように、無我夢中でさつきを殴っていた。時恵が二人の間に割って入り、振り下ろされる拳に必死に縋り付いた。


「お父ちゃん、赤ちゃん! 赤ちゃんがおるねんで!」


時恵の言葉に、源三郎はふと我に返った。足元には、腹を庇ってうずくまっている愛娘の姿がある。源三郎はしばらく、その場で立ち竦んだ。そして逃げるように書斎に入り、椅子に傾れ込んだ。どうしようもない怒りと悲しみが腸(はらわた)から噴出していた。


――なんでこんな目に遭うねん。あんなに可愛がって育てたのに。なんでやねん――


源三郎は書斎の机に顔を埋め、その夜を明かした。


明け方、時恵が書斎に入って来た。こちらを見ようとしない源三郎の背中に、時恵は語りかけた。


「あの子なりに考えたあげくのことやねん。応援してあげよう」


その言葉に源三郎は振り向き、時恵に詰問した。


父親は誰や。なんで今日来てへんねん?」


時恵は大きくため息をついてから、源三郎の質問に答えた。さつきが言うには、旅先で出会った見ず知らずの男と、一夜限りの関係を持ってできた子供であるとのことだった。源三郎は怒りで全身が震えているのを自覚した。ガタッと椅子を押しどけて立ち上がり、さつきの元に向かおうとしたが「もう帰ったで」と、時恵に制された。


「……どうやって暮らしていくねん! 腹かて、これからどんどん大きゅうなんねんど」


できるだけ落ち着いて時恵に話しかけたつもりだったが、その声は震え、聞き取りにくいものになっていた。


「大丈夫やて……私達の子やねんから」


時恵にそう言われ、源三郎は腰が砕けたかのように椅子に体を沈めた。
さつきが家出した時はあんなにうろたえ泣き崩れていた時恵が、今は自分よりしっかりと事態を受け止めている。我が妻ながら強いものだと、源三郎は感心するのだった。


「……あっ! 床の間、床の間どないすんねん! 無駄になってもうたやないか!!」


源三郎はやり場のない怒りを抑えきれず、床の間に力いっぱい八つ当たるのだった。