GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

うちんち㉔

諸事情があって、久しぶりに解剖学と生理学の教科書を読んでいる。何十年ぶりかに出会う、ふぁーたー乳頭さんやアデノシン三リン酸さん達に「よっ!久しぶり」と中学時代の級友に声をけるかの様な気持ちで、読み込んでいる今日この頃です。

 

さーて小説の続き、続き。

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「さすがやなぁ、坂東さん」


送迎車の後部座席の山田が言った。


「普通、老健が退所者に車椅子の貸出しなんかしてくれへんで。しかもタダで。坂東さんのことやから、無理やり借りてきたんやろな。すごいわ~」


「そやなかったら、介護度3でデイサービス週七日なんて、あり得ませんもんね」


ハンドルを預かった福島が山田の言葉に乗ってきた。


「ホンマに。〝4―6で五時間半看(み)てくれ!〟言われて看(み)るの、うちぐらいのもんやで」


「ホンマですね。迎えは八時二十五分で九時スタート。施設出るのが二時三十分で到着三時きっかり」


「せやから近所の施設やのうて、わざわざ車で三十分かかる、うちに白羽の矢が立った言うわけや」


バックミラー越しに山田と福島の目が合った。二人はほぼ同時に


「うまいこと考えてはるわ~」


と声を揃えて言い、噴き出して笑った。

 


「どこに行くんや」


源三郎は一人、小難しい顔をしていた。

 

学校からの帰り道。花梨はしきりに顔をしかめて歩いていた。


「八時半にお迎え来たら、完全に朝礼アウトやな。どこでもドアあったら話は別やけどな。そんなん無いしな。……二十五分やったら、まーギリやな」


花梨は、困難なタイムスケジュールを慮っていたのだった。「う~ん」と腕組みしてぶつぶつ言いながら歩くうちに、家に着いた。首からぶら下げた鍵を取り出して玄関を開けようとして、花梨は鍵が開いていることに気づいた。


――そうか。おじいちゃん居(お)るんや。


「ただいま!」


花梨は急いで家に駆け込んだ。


居間に行くと、源三郎が優雅にコーヒーを啜りながら新聞を読んでいた。


――新聞、逆さまに読んどる――


花梨はそう思ったが、突っ込まなかった。


「お帰りなさい」


台所の方から、聞きなれない女の人の声がした。花梨が目をやると、和服を凛と着込んだ、白髪交じりの女性が見えた。


「こんにちは。はじめましてかな?」


女性はそう言って、濡れた手をエプロンで拭きながら花梨に近づいてきた。


「岡本やゑです。よろしくお願いします」


岡本はそう言って、玉ねぎのように大きく束ねた頭を深々と花梨に下げた。花梨は、頭が当たるんじゃないかとヒヤリとした。


「うち、佐藤花梨。よろしくお願いします」


花梨も負けじとペコリ。頭を下げた。


「あらまぁ、えらい子ねぇ。感心、感心」


岡本はにっこり微笑んで言った。


岡本はこの辺りの人間にしては珍しく、綺麗な標準語を話した。頭には白いものが混じっているが、品の良さで歳を感じさせない。


岡本は、五十代の頃に夫の介護を一人でやり遂げ看取った経験を活かし、還暦を過ぎた頃からNPO法人の有償ボランティアに登録していた。介護保険で賄える在宅介護サービスの不具合を知り尽くしていた坂東は、花梨と源三郎のライフスタイルを鑑(かんが)み、敢えて有償ボランティアをケアプランに組み込んだのだった。


「今日からこちらにお世話になります。と言っても、三時から、お嬢ちゃんが帰って来る四時までの間だけだけどね」


「三時? なんで?」


花梨は不思議に思った。


「三時にはデイサービスが終わって、おじいちゃん帰って来るんですって。だから、私が雇われたってわけ」


「へー。花梨の学校は三時半まであんのに、おじいちゃんの学校は三時で終わりかぁ……うらやましぃ~」


悔しがる花梨を見て、岡本はクスリと笑い、台所に戻った。ほどなく、家じゅうにいい匂いが漂ってきた。


「何?」


花梨が聞くと、岡本は楽しそうに言った。


「カレーよ」
「やったー!」


花梨はカレーと筑前煮には目が無い。


ふと源三郎に目をやると、やはり新聞は逆さまのままだった。


「まぁいいか」

「花梨ちゃん」


花梨がお気に入りのテレビアニメを楽しんでいると、岡本が花梨を呼んだ。


「ちょっと来てくれる?」


岡本に手招きされて、花梨は台所に行った。


「これ。カレーできてるから、ご飯の時間になったら、温めて食べてちょうだい。ご飯も炊けてるからね」


「え? 岡本さんは一緒に食べへんのん?」


「岡本さんは作るだけ。もう帰る時間なの」


そう言って岡本はエプロンを脱ぎ、襷を外した。


「もう帰ってまうんか。な~んや」


一人ぼっちで、広い一戸建ての家に住んでいた花梨にとって、人の匂いがするのはとても嬉しかった。なのに、花梨が学校から帰ってきて、わずか三十分で帰ってしまうというのだ。花梨は少し残念な気がした。


「明日、また来るからね」


岡本はそう言って玄関を出、佐藤家を後にした。


「また明日ね~」


花梨は手を振って岡本を見送った。


居間に戻ると、源三郎が花梨に尋ねてきた。


「母さんはどこや?」
「おばあちゃんちゃうやろ。岡本さん。分かった? おじいちゃん」


花梨が源三郎に言って聞かせた。


「母さんどこ行ってん?」
「もう!」


花梨は痺れを切らし、源三郎の手を引いて仏壇の前まで連れて行った。


「おばあちゃんとお母ちゃんは、こ・こ!」


花梨は仏壇の上にかけられている、時恵とさつきの写真を指差した。


「ふ~ん」


源三郎は腕組みをしながら、分かっているような分かっていないような顔をして、二人の写真を眺めている。


花梨は食台まで源三郎を連れて帰り、椅子に座らせると、新聞をちゃんとした向きで手渡した。


「はい、新聞。この向きやから」
「お」


源三郎はそれだけ言って、新聞を読み始めた。花梨はまたテレビの前に行き、正座して画面を見た。


「あ~あ。もう終わってら」


残念そうにつぶやき、チャンネルをガチャガチャと変えながらテレビを見始めた。しばらくすると、花梨の腹の虫が泣き出した。


「あれ? 今日、幸子おばちゃん来えへんのかな」


いつもならそろそろ幸子が来る時間だが、今日はその気配がない。


――リリリリーン。


電話が鳴った。相手は幸子だった。


「花梨ちゃん。今日岡本さん来てくれた?」
「うん。今、カレー作ってくれて、帰りはったところ」
「そう。これからは岡本さんがご飯作ってくれるから、おばちゃん、花梨ちゃん家(ち)行かへんけど、いける?」
「うん。大丈夫やけど……」
「何かあったら、すぐ電話くれたらええから」


幸子はそう言って電話を切った。


「……おばちゃん来(け)ぇへんのか~」


花梨は少し寂しそうに言うだった。


「おじいちゃん、お散歩行こ」


花梨は源三郎に声をかけ、玄関を出て犬小屋に向かった。源太と小源太は餌皿に顔を突っ込んでいた。花梨が近づいても顔を上げようともしない。


「あれ? ご飯まだ入れてへんねんけどなぁ」


花梨は小源太の餌皿を覗き込んだ。


「あ!」


いつものカリカリ(ドックフード)の上に、香(かぐわ)しいカレーがとろりとかけられていた。


「岡本さんや! 良かったなぁ。カレーおいしいやろ」


聞くまでもない。花梨に目もくれない二匹の様子を見れば一目瞭然だった。


「無視かい。まぁ、うまいんやな。晩ご飯が楽しみや!」


花梨はそう言って玄関に戻った。


はて、源三郎が来る様子がない。


「おじいちゃん何やってんねん? お散歩行くで~」


返事もない。


「も~」


花梨は、再び居間へと戻った。源三郎がテレビの正面に座っている。


「いや~そうですか。それは大変でしたなぁ。ワシなんか……」


源三郎は、画面の中のニュースキャスターに話しかけていた。


「おじいちゃん!」


花梨が大声で源三郎を呼んだ。だが源三郎は振り向きもしない。


「もう! お散歩!」


花梨はテレビを消した。


「あ~! 何すんねん! 今、自治会長さんと話(はなし)しとったのに」


源三郎は憤慨した。花梨は目を丸くして


「テレビとは、あんましお話(はなし)せぇへんもんやねん!」
「テレビやない、自治会長さんや!」


源三郎も負けじと声を上げた。


「も~!」


花梨は源三郎の腕を引き、玄関まで連れ出した。


「あ~、会長は~ん」


源三郎は花梨に手を引かれつつ、テレビに名残を惜しんでいた。


花梨は源三郎を連れて犬小屋に戻った。ご飯を食べ終わった二匹は、今度は花梨達に向かって両前肢で空(くう)をかき、喜びを露わにした。


「お散歩行くで」


花梨が玄関を出ると、一台の軽自動車が家の前に着いた。


「あれ? 坂東さんや」


花梨が車に近づくと、坂東はよっこいしょ、と重そうな体を持ち上げ、車から降りると、トランクを開けて何かを取り出した。


「はいこれ」
「何これ? 乳母車?」


花梨が坂東に聞いた。


「あっはっはぁ!」


坂東が豪快に笑って、シルバーカー(高齢者用手押し車)だと花梨に教えた。


「これさ、安楽苑の成井先生がさ、おじいちゃんにどうだんべって」
「成井先生!」
「そっさー。おじいちゃん、どーも転んじまうだんべ? これ押っぺして歩(ある)きゃあ、ちったぁ良かんべぇって、先生が言ってたんさ」
「これ、誰がくれたん?」


花梨がシルバーカーを突っつきながら聞いた。坂東は得意満面で、へへと笑った。


「小宮山さんが貸してくれたんさ」
「えっ、小宮山のおっちゃん?!」


花梨は驚いて聞き返した。


坂東は源三郎の自宅復帰に当たって、希望の里にも、デイサービスに関する問合せをしていた(特養にはデイサービスを併設している所が多い)。その時、源三郎が以前、希望の里のセンター長だったことを知った。源三郎が病に倒れて退職した後、小宮山はセンター長に昇格したという。その小宮山が坂東の話を聞いて驚き、シルバーカーの永久無料レンタルを快く承諾してくれたのだった。


「はい源三郎さん、これ使って下さい」


坂東はそう言って、善意の詰まったシルバーカーを源三郎に手渡した。


「なんやこれ?」


源三郎は、持ち手を握ってシルバーカーを前後させた。


「これ持って歩くんか?」


源三郎が坂東に聞いた。


「歩(ある)ってみて下さい」


坂東が促すと、源三郎はスタスタと勢いよく歩き出した。


「あー、おじいちゃん! 先行ったらあかんて!」


慌てて花梨は、源太と小源太にリードをつけた。


「坂東さんありがとう。あれがあったら、おじいちゃんこけへんわ。ほなまた!」


花梨は坂東に礼を言って、源三郎の後を追った。


「さ~て。次は、オムツだんね~」


坂東はポキポキと指を鳴らして、車に乗り込んだ。

 

散歩から帰った花梨と源三郎は、岡本の作ったカレーを温め直して食べた。源三郎の作る本格インドカレーも美味しいが、ジャガイモやニンジンがごろごろ入った岡本のオカンカレーも、これまた味わい深い。


「岡本さんのカレー最高!」


花梨がガッツポーズを決める横で、源三郎はカレーに、どぼどぼと醤油をかけていた。


「せっかくの味付けが台無しやん」


花梨は残念そうに源三郎に言うのだった。

 

つづく