GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

うちんち㉘

今回は小説だけ。

 

とある夏の暑い日。


「も~、なんで宿題なんかあんねん! うちは老人介護してる、多忙極まる小学生やで!」


山積された宿題に追われ、ドリルに八つ当たりしながら、花梨は鉛筆を走らせていた。


「おじいちゃんも絵日記がんばってや! 七月分から溜まってんやさかい!」


夏休みも残りわずかとなり、宿題もなんとか目途がついた。あとは、源三郎に頼んだ工作が完成すれば終了だ。


その日、岡本は二時を過ぎても姿を現さなかった。


「こんちはぁー」


花梨が玄関に行くと、坂東と、知らない女の人が立っていた。


「こんにちは」


花梨はぎこちなく、初対面の女性に挨拶した。エプロン姿のその女性は軽く会釈した。


「あのさ、花梨ちゃん。岡本さん、病気になっちゃったんさ。そいで、今日からしばらくヘルパーさんが来てくれることんなったんさ」


坂東がそこまで言うと


「えっ! 岡本さん病気? 大丈夫なん? 入院したん?!」


花梨が驚いて坂東に質問を浴びせた。


「ああ、大丈夫みてーよ。ちょっと風邪っ気(け)なんだって。おじいちゃんや花梨ちゃんにうつしちゃったら悪(わり)いからっつってたよ」


「なーんや、そうなんや。良かった」


花梨は胸を撫で下ろした。病院は大変な目に遭わされる世にも恐ろしい所だと、花梨は思っている。


――病(あ)院(れ)はまずい……縛られちゃう。


坂東の傍らにいた女性が、花梨に近づいて言った。


「荒井です。よろしくね。今日は私だけど、明日はまた違う人が来るからね」
「よろしくお願いします」


花梨はぺこりと頭を下げた。


「そいじゃあ私は帰(けぇ)るけんど、何かあったらすぐ電話くんないね」


坂東は自分の携帯電話を振って見せた。


坂東が帰ると、荒井は「さっ」とかけ声をかけて、料理、洗濯とテキパキと仕事をこなしていった。古希をとうに越している岡本と比べると、まだ四十を過ぎた頃合いの荒井は動きが違う。


「ちょっとごめんね」


荒井が掃除機をかけ始め、テレビの音が全く聞こえなくなった。なんだか居場所がないような気がした花梨は、掃除の邪魔にならないよう、自分の部屋へと避難した。


花梨は学校の図書室で借りてきた本をランドセルから取り出して、ベッドに飛び乗り、読み始めた。しかし、妙に文字が読みにくい。花梨は目を擦ったり細めたりしてみたが、具合は変わらなかった。


「どないしたんやろ」


ふと見渡すと、周りがチカチカしている。


「これか~」


花梨は天井にへばりついている蛍光灯を眺めて言った。蛍光灯が切れかかっていたのだ。


花梨は困った。子供の花梨には、蛍光灯の交換は骨の折れる作業だ。一度自分でやってみようとチャレンジしたことがあったが、机の上に椅子を乗せてその上で背伸びしてみても、どうにも手が届かなかった。その時は結局、幸子に頼んで交換してもらった。


「そうか」


花梨は急いで階段を駆け降り、居間へ行った。すると、荒井が帰り支度をしていた。


「あれ、おばちゃんもう帰っちゃうの?」


「そうなのよ。おばちゃん四時までやから。そうそう、花梨ちゃん、説明しとくね」


荒井はそう言って、花梨を台所まで連れて行った。


「このお魚、食べる時に温めてね。ご飯は釜の中に一合炊いてあるから。それと、お鍋に煮物入ってるから、それも食べる時に温めてあげて」


荒井は早口で言い、洗面所に花梨を連れて行った。


「おじいちゃんの分の洗濯物は干しておいたけど、花梨ちゃんの分はこのカゴの中に入れてあるから、また誰かに洗濯してもらって」


花梨が洗濯カゴに目をやると、花梨の衣類だけが綺麗に汚れたまま残されていた。


「おじいちゃんの分だけなんや」


不思議そうに花梨が荒井に言った。


「そうなんよ。介護保険だから、おじいちゃんの分しか、したらあかんねん。せやから、花梨ちゃんのは自分でしてや」


荒井は淡々と言った。


「……うん、分かった。そうや、荒井さん。悪いんやけど、私の部屋の蛍光灯が切れかかってんねん。蛍光灯押し入れにあるから、換えてくれませんか? うちやったら、背が届かへんねん」


花梨は、ペロリと舌を出して言った。


荒井は顔を曇らせた。明らかに困っている。荒井の表情を読み取った花梨は


「嫌やったらええねんけどな。幸子おばちゃんに頼むねんけど……」


と、小声で付け加えた。荒井は少し慌てて


「いや、せやないねん。嫌とちゃうねんけど……法律でな、やったらあかんねん」
「法律?」


花梨は首を傾げた。


「そう、法律。おじいちゃんの使う部屋以外は、私は行ったらあかんねん。それに、蛍光灯の交換とか庭掃除とか、ガラス拭きなんかも、やったらあかんことになってんねん」


「へ~、あかんことが多いんやな~」


「せやから、花梨ちゃんの分の洗濯物かて洗濯したらあかんし、ご飯も作ったらあかんねん。別におばちゃん達は、一人分も二人分も手間は同じやからええんやけど……法律がなぁ……」


荒井はお手上げと言わんばかりに、ホールドアップして見せた。


「なんや分からんけど、おばちゃんらも大変なんやな~。よし、わかった。うち、もう一回自分でやってみるわ。前より背ぇ伸びてるかもしれへんし。おじいちゃんちょっと、ゴメンやっしゃ。よいしょっと」


花梨は食台の椅子を引きずって、二階まで運び始めた。


「ちょっと、ちょっと!」


荒井は慌てて花梨を止めた。


「幸子おばちゃんに頼んだら? 花梨ちゃんじゃ無理やて」


荒井は、先ほどのような説明を他の家でも何度となくしてきた。利用者以外の分の家事や雑事は法律でできないことになっている、と言うと、多くの家族は〝なんでや!〟と怒鳴り出す。


しかし、目の前のこの子は怒るどころか自分達の気持ちを汲み取り、理不尽な決まりを理解し、懸命に自分で何でもしようとしている。荒井は法律に縛られた、不自由極まりない制度ビジネスを恨むしかなかった。


「ごめんね花梨ちゃん……おばちゃんら、本当はしてあげたいんやけど……」


胸が張り裂ける思いで、荒井は佐藤家を後にした。


花梨は、椅子を二階まで持ち上げ、以前やったようにコタツ机の上に椅子を乗せて、その上に立ってみた。


「よっ……ほい……ほれっ」


椅子の上で爪先立ちになって、指をこれでもかと伸ばすが、蛍光灯には届かない。花梨は背伸びをやめ、椅子に腰かけた。


「やっぱりあかんな。早よ背ぇ伸びひんかいな。和田アキ子ぐらいあったら、机も椅子もいらんのになぁ」


花梨は背筋を伸ばして言うのだった。


蛍光灯を諦め、ご飯の用意をしようと、花梨は階段を降りた。台所のグリルの中には、魚が一匹入っていた。花梨は鍋やジャーの中を覗いてみた。


「な~るほどね」


鍋の煮物は小鉢に移すと、ちょうど一人分。ご飯は一合程度。


「洗濯だけやのうて、ご飯も一人前なんや。神業やな。うちが作るといっつも大量にできてまうから」


花梨は荒井の一人前の仕事ぶりに感心した。


花梨は自分で卵焼きを作り、荒井の作ったおかずを半分こにして、源三郎と食べた。もちろん、源太と小源太はカリカリのみ。二匹は気乗りしない顔で餌皿をつつくのだった。


ちょっと物足りない夕飯を終えると、花梨は自分の洗濯物を洗濯機に投げ込み、スイッチを入れた。


「おじいちゃん、お散歩行こ」


花梨は源三郎に声をかけた。さっきまで座っていたはずの椅子に、源三郎の姿が無い。
「あれ? おじいちゃん?」


花梨は台所や仏間を覗きながら源三郎を呼んだ。


「あれ? ホンマにどこ行ったんやろ、おじいちゃん」


風呂場やトイレも覗いたが、源三郎の姿は見当たらない。


「おじいちゃん!」


花梨は慌てて玄関を出た。


「おじいちゃん!」


家の敷地内をくまなく探し回ったが、源三郎の姿は見つからなかった。花梨は途方に暮れ、その場でしゃがみこんだ。


「おじいちゃん、どこ行ってん……」


しばらくして花梨は気持ちを一転させ、立ち上がった。


「……よし! 源太、小源太! おじいちゃん探しに行くで!」


花梨は二匹の首にリードをつけ、源三郎捜索隊を結成した。花梨達は勢いよく、家の門を飛び出した。


「源太! 警察犬ができるんやから、お前にできひんことは無い。ほら、おじいちゃんの匂いのする方に走って!」


花梨が言うと、源太は花梨を誘うように、迷うことなく走り出した。


「はぁ、はぁ、はぁ」


源太に連れられて行き着いた先は、いつも散歩に来ている河原だった。


「こ、ここ?」


花梨は呼吸を整えながら、半信半疑に源太に聞いた。


――ヘッヘッヘッヘッ


源太は息を切らしながらも、リードの張りを緩めない。一方小源太は、突然の激走に少々疲れを見せている。


「源太、まだなん? そっちでええん?」


リードを持つ手が疲れ、痺れてきた。だが、源太のリードを引く力は一向に衰えない。花梨が小石に躓いた瞬間、源太のリードが手から離れた。源太は走るスピードをさらに加速させた。


「源太! ちょっと待って、待ってって!」


源太と花梨の距離はみるみる離れていく。花梨の声も届かず、源太は遥か彼方へと消えていった。


「源太! 先に行ったら分からへんやろ!」


姿が見えなくなった源太に、花梨はありったけの罵声を浴びせた。


「源太のバカ! でべそ! 食いしん坊!」


源太の悪口が、あまり浮かばなかった。花梨は茫然とその場にへたり込んだ。


「どうしよう……」


しばらくして


「そうだ!」


花梨は急に立ち上がり、小源太の顔を両手でブニッと挟み込んだ。


「小源太! 今こそ本気を出す時や。いつも源太に遊んでもらってんねんから、源太の場所わかるやろ!」


小源太は変顔にされたまま、首を振ってイヤイヤしている。


「よし、行け! 小源太! いつもは源太の陰に隠れがちやけど、今日の主役は君だ!」


すると、小源太のリードが花梨の腕を引っ張り始めた。


「ちょっ、ちょっと!」


小源太は勢いよく反転し、源太の向かった方角とは真逆に走り出した。花梨は立ち止まり、再び小源太の顔を両手で力いっぱい挟み込んだ。


「そっちちゃうやろ! 源太あっち行ったやんか!」


花梨は右腕を伸ばし、源太の走って行った方を指差した。しかし小源太は花梨の声を無視し、もと来た道をぐんぐん進んで行く。小源太の引く力は源太に負けず劣らず強く、花梨は止むなく、今しがた源太に連れられて来た道を辿った。そして……


小源太の言うとおりに歩いて来ると、家に着いてしまった。


「え~! 帰って来てもうたやないか! 源太は? おじいちゃんは?!」


小源太は「へッへッ」と舌を出してリードを引っ張り、小屋の前に置かれている器に顔を突っ込んで、勢いよく水を飲み出した。


「ちょっと! 喉渇いてただけなんちゃうやろな? おじいちゃんはどうすんねん! 源太もおらへんし……」


花梨はどうしていいのか分からず、目頭に涙が滲んできた。


――ワン!


小源太は花梨に向かって吠えた。


「ワンちゃうわ、アホ! 小源太のせいやからな!」


小源太を叱る花梨の声は、涙で少し震えていた。


――ワン!


小源太はもう一度吠え、リードを引いて花梨を門の外へと連れ出した。


「どこ行くねん」


引かれるがまま門を出ると、小源太が立ち止まった。


――ワオーーーーン


小源太は大きく鳴いた。その声はオオカミの遠吠えのように町じゅうに響いた。こんな小源太の姿を、花梨は今まで見たことがなかった。


「小源太、どうしたん?」


小源太はお座りをしたまま、ヘッヘッと変わらず舌を出し、道路の先を眺めている。


「何?」


花梨も小源太の見ている方に目をやった。


「あ!」


花梨は驚いて声を上げた。一〇〇メートルほど先に、人影が見えたのだ。


「行こう、小源太!」


花梨の言葉と同時に小源太がリードを引っ張り始めた。近づくにつれ、人影の輪郭がはっきりしてきた。


「おじいちゃん!!」


源三郎だ。源三郎が源太のリードを握り、こちらに歩いて来る。


花梨のそばまで来ると、源三郎は「おっ」と片手を上げて答えた。


「〝お〟やないやろ! おじいちゃんどこ行っててん! おじいちゃんがどっか行ってもうたら、花梨一人ぼっちやねんど! 花梨、花梨……!」 


かろうじて止めていた涙が、堰を切って溢れ出した。花梨は源三郎の胸をポカポカと叩いて抗議し、その場で泣き崩れた。


「うええええん」


源三郎は、花梨の頭を優しく撫でた。


「帰ろう」


そして源三郎は、泣きじゃくる花梨を背中におぶった。


「重たぁなったな~」


源三郎は笑いながら、家まで花梨をおんぶして帰った。花梨は久しぶりに感じる源三郎の背の温もりを噛みしめていた。


「おじいちゃん……大好き!」


花梨はそう言って、力いっぱい源三郎にしがみつくのだった。

 

つづく