閉店ガラガラ。リハビリ辞めました。
オカンがヨサコイを引退したのを機に私もリハビリをやめることを決意しました。
以前からやめよう、やめようとは思っていましたが、とうとうやめる決意をしちゃいました。
数日前、とある患者さんが、
「先生のところのリハビリは、揉んだり、按摩してくれたりはないのかい?普通リハビリ言うたら揉んでくれるもんやろ」
と、素朴な疑問。
リハビリ=按摩
の構図がどこで患者さんに植え付けられているのか検証してみよう。
まず第一に病院の急性期・回復期リハで検証してみよう。
彼ら急性期・回復期の理学療法の大きな役割の一つとして、関節可動域の低下を防ぐというものがある。
いわゆる、関節可動域訓練というやつですね。確かに、関節を動かすのだから、はた目には揉んでいるように見えるのかもしれない。
体に触れる=按摩
と認識しているのだろうか?ならば、医者が腹部を抑えたり、注射を打つときに看護師が血管を浮き上がらせるために上腕部や肘部をタッピングするもの按摩に見えているのだろうか?
多分それはないだろう。ならば、リハビリテーションにおいて関節可動域練習をしているのは、按摩に見えるのはなぜだろう?
私の感覚では、関節可動域訓練は、それはそれは痛いものです。まぁ、最近の流行で痛みのない方法が主流にはなってきていますが、それでも決して気持ちのいいものではない。治療において、気持ちいいというような、慰安的な部分は一切ない。
ではなぜ?と疑問が浮かび上がる。治療を受けている人が言っているのではなく、周りで見ている人が勝手に按摩と認識しているということなのだろうか?
「リハビリ」という言葉は独り歩きし、今や無資格者はもとより、だれでもかんでも「リハビリ」を冠にお仕事している時代である。
つまり、患者さんのリハビリ=按摩のイメージは、按摩・マッサージの類を施行して「リハビリ」とうたっている人たちの方が「リハビリテーション専門職」より多くなってきているということであろうか。
う~む。按摩マッサージの類は慰安はできるが、治療効果は全くない。それはエビデンスもでている。
しかし、患者が治らないものを欲している節がある。気持ちが良くなくて、治るもの。と、気持ちがよくて治らないものでは、圧倒的に気持ちがよくて治らないものを欲しがる患者が多いのも事実である。
(語弊があるかもしれないので補足すると、治るといわれて、治らないことをしてもらって喜んでいる患者さん達。でも、患者さんは悪くないですよね。治るって何等かしかの白衣を着た素人の人に言われるのだから。)
そんなものに大事な国税を使ってもらっては困るのである。
でも、商売である以上お客さんが望んでいるものを提供するのがサービス業ということになる。なので多くのリハビリテーション職以外の人たちのやる「リハビリ」は、気持ちがよくて楽しくて、まったく治療にならないものを提供しているだろう。
そして治りもしないものをありがたがって、頑張ってリハビリ、リハビリと妄信している患者さんがたくさんいるということか。
寝たきりが増えるわけだ。
つまり、治るけど気持ちのよくない理学療法や作業療法、言語療法はニーズがないということなのか?
う~む。である。
そんなさなか、先日違う患者さんが
「私の通っているデイサービスでは、リハビリやってくれるボランティアの人がやってきて、大正琴や折り紙を教えてくれて、とっても楽しいのだ。」
と、豪語されていた。
ムムム。である。もはや、「活動」=リハビリ
というICFのもっとも恐ろしい読み方を世間がし始めている。
つまり、なんでもやりゃ「リハビリ」になってしまうのである。ボランティアさんが歌を歌ってくれてもリハビリ、みんなでテーブル卓球をやってもリハビリなのである。
声が出ない人に歌を歌ってもらえるような技術と方法論を持っていて、「歌」というツールを用いて、日常会話ができるようにする言語療法ならば話は別だが、歌える人に歌を歌ってもらって「リハビリ」なのだから、できないことができるようには決してならない。
「リハビリ」という言葉の汎用性が高くなってしまったため、「リハビリなんかやってもどうせ治らない。私は何年もリハビリをしてきたが治らなかった」という人が近年とみに増えているのはこのなんでもかんでも「リハビリ」せいだと思わざるを得ない。
「リハビリをやっても治らなかった」と言われる患者さんの多くが、按摩・マッサージの類やレクリエーション的なリハビリを懸命に受けてこられた方々ばかりである。
なので、私はこの怪しげで治りもしない「リハビリ」という言葉は私の辞書の中から、廃棄しよう。そうしよう。
理学療法・作業療法・言語療法とちゃんと固有名詞で公言していこう。
「本気で障害を治したいのならちゃんと、理学療法・作業療法・言語療法を受けた方がいいですよ。」と言ってみよう。
今日さっそく患者さんたちに、
「今日からリハビリはやめましたので、理学療法か作業療法、言語療法しかうちでは受けられません」
と公言してきた。患者さんたちはポカンと口を開けていた。(笑)
もし、何かの偶然でこれを読まれた、posの皆さんもご協力お願いいたします。ペコリ。
御幣を生みまくる文章なので補足をまたまた、書いておこう。ここで言う「治る」とは、「障害を取る」ということですので、悪しからず。
分り辛いと思いますので例を挙げてみましょう。
患者さんの主訴:歩けなくなってトイレに行けずに困っている。
理学療法検査の結果:膝の変形が強く、また、膝の痛みが強烈に出ている。また、脳梗塞の影響で立位のバランスが悪い。
とまぁ、簡単に設定してみた。
では、膝の変形があって痛みがあって、尚且つバランスが低下していてもトイレに行く方法をまずは見つけ出す。
(今現在の問題解決)
痛みや膝が治って、バランス能力が返ってくるまでの間の数か月間おしっこに行かないわけにはいかないですからね。
今現在の問題点の解決。これも治療になります。この人がトイレに行けた時点で、一つ治療は終了します。
しかし、どうでしょう。これで、
「はい、膝は痛いまま、立位バランスは悪くて今にもこけそうですけど、ベッドにL字バーを設置して、ベッド脇に設置したポータブルトイレはいけるようになりましたね。治りましたね。よかったね。」
と言われても、なんだか納得できなくないですか?
(納得しちゃう人もたくさんいるんですけどね(苦笑))
膝は痛いまま、バランスは悪いまま。変形はもちろんそのまま。
なので、とりあえず、おしっこできる環境が整ったらいよいよ、膝の変形や痛み、バランス能力の改善を目的とした理学療法が開始します。
痛みが取れて、バランスが良くなって家のトイレに行けるようになったら、なんとなく納得できるのではないでしょうか?
そこで、「痛み」というキーワードが出てきたので、分りやすいので「痛み」を例に「リハビリ」を考えてみましょう。
「痛み」にはいくつも種類があります。それぞれによって、治療法も様々です。
お医者さんで「痛い」と言えば、鎮痛剤を飲むか、注射で関節に入れるか。で「痛み」を消してくれます。
しかし、どうでしょう?これは、治っているんでしょうかね~。「痛み」には原因があります。鎮痛剤で原因が取れるのでしょうか?
理学療法を受けに来られる患者さんの多くは、
「関節注射打っても2・3日しか持たないから」
と言われる場合がほとんどです。それが分かっている数少ない医師から理学療法のオーダーが出るんですけどね。
では、鍼灸師のアプローチはどうでしょう。「痛み」に対しては、彼らは結構なプロ度です。腕のいい鍼灸師に当たれば、おおむねの痛みは取れます。(針や灸では絶対取れないやつもある)しかし、痛みは取れますが、膝の変形やすり減った軟骨は帰ってきません。つまり、また痛くなってきます。ブロック注射と似てますね。
柔整師は、亜脱臼や炎症処置がありますから、急性期の一部の痛みの種類によっては適応ですが、慢性疼痛となると分野が違う。
無資格のリラクゼーションの方々はどういうアプローチをするでしょうか?慰安で膝の変形が取れたり、半月板が返ってくるエビデンスは一切ない。(でも気持ちがいい)
とまぁ、目に見えない「痛み」に対しては多種多様な職種がターゲットとしていて、それを、「リハビリ」の名の下に行っています。(なので、リハビリ=按摩 なんですね~)
理学療法において「痛み」はトイレに行けなくなった要因の一つの原因でしかない。「痛み」が取れたから、トイレに行けるようになるのではないのです。
リハビリ=按摩 と同じぐらい勘違いされているのが、リハビリ=筋力アップ である。
医者も介護支援専門員も家族も本人も歩けなくなった原因がすべて「筋力低下」だと思っている節がある。
歩けなくなった方のほとんどはバランスや反射・反応の低下等の他の要因であり、「筋力低下」だけが原因で歩けなくなった患者さんなんて10分の1もいない。
ここでいう、治る治らないの定義は「トイレに行けないで困っている」という症状を改善出来たら「治った」ということになる。という意味です。話があっちこっち行っちゃったのですが、分っていただけたでしょうか?
(治るの定義は理学療法、作業療法、言語療法においても急性期・回復期・生活期で意味合いが変わりますのでご注意ください。ここで言う「治る」は生活期における治るに近いですね。)
まぁ、簡単な話いわゆる「リハビリ」では痛みが取れたり、楽になったとかは得られることもあると思いますが、病気や怪我をしてをして「できなくなったこと」が「できるようになる」がないということです。なので「リハビリ」辞めました。
炎上たぱーんかな?嫌だな~。