何のために痛みを取るの?
紆余曲折あって、私は、現在、鍼灸の勉強をしている。
クラスメイトが声を合わせて
「リハビリテーション概論の授業が意味がない。役に立たない」
と言っていたので、理学療法士の私としては、聞き捨てならないではないか。
私は、リハビリテーション専門職なので、リハビリテーション概論の授業は既得なので、受けていない。
そこで、いったい、どんな勉強をしているのかとクラスメイトに聞いてみた。
ノートをペラペラと読ませてもらうと。
ICFやBI、FIMと言った、リハビリテーション治療を行う上での基本的評価だった。つまり、それらは、簡単に言うと、人の生活を構成している行為を分析するツールである。
人の生活を分析できないで、生活を作ることはできない。
鍼灸師協会は地域包括ケアシステムになんとか潜り込んで、活路を見出そうとしている。地域ケアの一端を担うのであれば、必ず必要になってくる知識である。
しかし、意味がない、無駄だ。と生徒たちが思ってリハビリテーション概論を学んでいるとしたら、リハ概論を教えている教師が鍼灸師が生活に与える影響。生活を豊かにするための治療法としての鍼灸治療の立ち位置を教えていないということになる。
鍼灸師は医療保険下で言えば、「痛み」をとるプロ。と定義できる。
では、痛みを取る意味は何だろうか?と言うことである。地域包括ケアシステムにおいては、「高齢者の自立した生活」の獲得。と言う大きな概念の中に入り込まなければならない。
例えば、
「膝が痛いので、お風呂に入れない」
これであれば、鍼灸師はお風呂に入るために膝の痛みを取る。
と言う役割を担うということになる。
ただ単に痛みを取る。であれば、保険適応はもとより、地域ケアシステムには入れない。
どうして、痛みを取るだけじゃダメなの?とお思いの方もおられるでしょう。
ダメなんですねぇ。痛みを取るだけじゃ。
なぜなら、20歳健康男子であれば、膝が痛くてお風呂に入れない場合。痛み。を取れば、お風呂にはいれるようになる。しかし、高齢者の場合は、痛みを取ってもお風呂に入れないからである。
どうして?って思うでしょ。
高齢者の場合。痛みが取れても、足がしびれるだとか、恐怖心、目が見えにくい、バランスの低下、認知機能の低下等々、痛み以外の要因が合併している場合がほとんどなわけです。
つまり、痛みだけ取れてもお風呂には決して入れない。
ADL(日常生活動作)や参加、活動に治療がつながらなければ、治療として国に認めてもらえない。
しかし、「痛み」しか保険適応利権を持たない鍼灸師はそこを教えない。なので、うわべだけの授業になり、生徒たちが「意味のない授業」とレッテルを張るのである。社会制度をきっちりと教え、自分たちの職種が担うべき社会的役割をしっかりと精査できていれば、「リハ概論」=将来鍼灸師が生きていくための一つのツールとして重要な科目である。と認識してもらえると思うのだが、教えている教師がリハビリテーション専門職ではなく、鍼灸師が教えている現行の教育システムではどだい、無理な話か
ADL(日常生活動作)すら知らない。そんな鍼灸師さんたちが、卒業したら、リハビリマッサージと称してリハビリを名乗り、按摩をして、リハビリ、リハビリ、と言って商売を始めちゃうのだから、そりゃ、世間様的には「リハビリなんてやっても治らない。」とレッテルを張られちゃうわけですよ。とほほほほ。
ちなみに、按摩、マッサージによる障害に対する治療効果は、医療エビデンスレベルでは「効果なし」の判定が出ていますので、あしからず。
ならばお前は、どうして、鍼灸なんぞ習っているのだ?ってことになりますが、私の場合は、日常生活動作や参加、活動につなげるための治療法である理学療法を使えるので、より確実に痛みが除去できれば、とっても便利なので学んでいます。
欧米では、鍼灸による除痛と理学療法はセットでつかわれている。日本では免許が別々になっているので、欧米で広く使われている欧米式理学療法が日本では使えない。なので、鍼灸を学び、欧米式理学療法を日本でも普及させて、一人でも多くの患者さんたちを治せるようになりたいから、勉強しているわけです。
いいところをお互い(多職種)が補填しあえる社会ができれば最高なんだけどなぁ。