GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

女医との恋。

リハビリスタッフ男子たちがなにやら、楽しそうに笑っていた。

 

話の内容はよくわからなかったが、あきらかにエッチな匂いのする、笑みを零していてる。

 

私がワカランチンの顔を彼らに向けると、話をしていたリハ主任が若い2年目スタッフを指さして

 

主任「部長聞いてくださいよ。こいつがとんでもないことを・・・」

 

と、恐れと茶化しをないまぜにした口調で声を震わせた。2年目スタッフは、両手で自身の体を抱きしめるようにして、腰をくねらせ、よじれるように悶えながら、

 

二年目「インフルエンザの予防接種行ってきたんです。」

 

と言うのだった。

 

気持ちが悪い。

 

何より、若くてくそが憑くほど真面目で、男前で仕事のできるできるスタッフが、この身のよじらせ方。尋常ではない。

 

何事だ????

 

「主任どうしちゃったのこいつ?」

 

私が、あまりの異変に目を丸くして聞いた。

 

主任「いやね、こいつ、車好きでしょ?今来ている女医さんが、とんでもない車に乗っ   ているんですよ。高くていかつい外車なんですけどね。あー部長、車よくわかんないですよね。(私は車は何でもいい派。みんなの周知の事実なのです)とにかく、すげーくるまなんですよ」

 

二年目「いきなり、助手席乗せてくださいって言ったら、やっぱりまずいですよね」

 

と私に助けを求めるような視線を送ってきた。知らんがな!!

 

まぁ、この女医さん。最近うちの病院に赴任してきたばかりのお医者さん。

 

とにかく若くて、美人で医者と来ている。しかも、そこいらのサラリーマンじゃ一生雑誌でしかお目にかかれないような高級車を乗り回しているとのことだ。病院内でも超がつくほど高嶺の花である。噂好きの病院スタッフが瞬時に拡散していた。噂の女医さんだ。

 

主任は後輩のあまりの豹変ぶりにニタニタと笑い続けている。

 

二年目「こんな気持ち久しぶりですよ。ホント。女の人に好かれようとか、どうしたら話せるだろうなんて思ったの」

 

と、ちょっと、恋モードに入っているような話しぶりである。

 

おいおい。心の動揺が隠せきれず、

 

「お前、すげーな」

 

と、思わず称賛してしまった。こいつの目は確実にどうにかしてやろうとしている。なんてやつだ。しがない、いち、リハスタッフの二年目君が、美人女医を完全にロックオンしているのだ。

 

二年目君「今日、〇〇先生の日だったので、インフルエンザ打って貰いに行ったんですよ。だから、部長にインフルエンザ打っとけよって言われてたんですけど、今日まで待ってたんです」

 

恥じらいに少しやったった感を忍ばせて、ほほを赤らめた。

 

主任「俺も、インフルエンザ来週にしよう」

 

しれっと、主任も○○先生にインフルエンザを打って貰うつもりだ!!

 

「お前ら、アラフォー独身部長を差し置いて、そんな、楽し気な企画遂行していたのか!!」

 

残念ながら、そんなこととはつゆ知らず、私はさっさとインフルエンザの予防接種を受けてしまっていた。しかも、60過ぎのベテランおじ様ドクターに!!なんてっこった!!不覚!!

 

二年目「いやー○○先生。医者で美人なのに気さくで、ほんとにいい人なんですよ~。こんな気持ち久しぶりだな~」

 

色ボケを絵にかいたような顔をして視線を空に投げる。

 

「あのなぁ。お前、幸せいっぱいのところ、申し訳ないんだけども。医療ピラミッドの階級の格差がさ。その、あれだよ。王様とニートぐらい違うよ。」

 

と、老婆心ながら私が諭し、主任が

 

主任「成功確率がさ、摩訶不思議分の1ぐらいですね」

 

と、冷静に分析する。

 

二年目「でもですよ!女医さんっていっても、一人の女性です。男と女というカテゴリーに違いはないんですよ!!人間という意味ではみんな同じはずです!!」

 

私と主任は半目を開き小さく頷きながら、拍手をして彼の熱い演説に答えた。

 

二年目「アッ!○○先生診療時間終わったら即効帰るから、挨拶行ってきます!!」

 

突然、恋する二年目リハビリスタッフ君は走るようにしてリハビリ室を出て行った。主任も「それじゃ、僕も」と、ニタニタ、エッチな笑みを浮かべながら「失礼しまーす」と帰っていった。

 

平成生まれたちはそこはかとなくスゲーな。昭和生まれの私にはとてもできない芸当である。

 

勇気のないアラフォー男子は、アンパンマン張りに愛と勇気が友達の彼らの恋の行方を静かに見守りたいと思います。(*- -)(*_ _)ペコリ

 

 

 

 

残念な勉強会。日本の高齢者の未来はやっぱり暗黒。

大手介護系企業の講習会で、嚥下リハビリテーションを在宅で積極的に行っておられる先生。という触れ込みで紹介されて壇上にお立ちあそばしたのは、なんと「訪問リハビリマッサージ」という業態でお商売している。按摩・マッサージさんだった。

 

おいおい。突っ込みどころ満載である。

 

嚥下リハにおいては、言語聴覚士という立派な国家資格があって、日々嚥下と闘っているリハビリテーション専門職が居られるのを差しおいて、按摩さんが嚥下の講習。専門性もへったくれもあったもんじゃない。

 

会場にお集まりの介護支援専門員さん達もこぞって、医療のことはほとんど知らないので、

 

「嚥下のリハビリは按摩さんがするのか~。ふむふむお勉強になったぞ」

 

てな塩梅である。

 

やっぱりこの国の高齢者は助かる道が閉ざされているのだな。と思わざるを得ない一日でした。

 

はぁ~。残念!!!!

病と闘う医師の3つの武器

「病と闘う医師には3つの武器がある。まずは言葉の武器。はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき。できることなら言葉の力で病気を治すのが一番。2番目に薬の武器。どうしても言葉だけでは治らないときにやむを得ず薬を使う。そして3番目がメス。どうしても言葉や薬だけでは治せないときにやむを得ずメスをふるうべき。この、言葉・薬・メスはその順番に大事なものであり、その順番を決して間違えてはいけない。」
 
慈恵医科大学内科教授「阿部正和」先生の至言である。
 
これじゃ~。お金にならないじゃ~ん。って声が聞こえてきそうですよね。
 
検査、薬、手術。とにかく金、金!!お金が欲しくて医者になったのだから、当然でしょ!!患者とお話してお金になるの?ならないでしょ!!時間の無駄!!
 
それが日本の医療ですよ。
 
患者も世界で類を見ない安価で質のいい医療を好き勝手湯水のように使う。薬局で買うより数倍安価なお医者さんで薬局代わりに薬をもらう。
 
「先生。風っぽいから、総合感冒薬とちょっと頭痛いからSGくれや。ちょっと、ロキソニンが少なくなってきてるから、今日はちょっと多めに出しといて」てな具合。
 
医者も医者で、「はいはい、眠剤の方はどうですか?もうなくなってる頃だと思いますが、出しときましょうか?」てな塩梅。
 
阿部先生が草葉の陰で泣いてるよ。ホント。

 

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そもそも論

そもそも、

リハビリテーション治療とは?

リハビリテーションとは?

リハビリテーション専門職とは?

理学療法とは?

 

的なそもそも論をする療法士が多い。私的には今更感がぬぐえないが、とにかく、なぜか、理学療法士たちは、そもそも論が好きなのである。

 

語源は?とか元々的なやつが大好物である。

 

で、その議論から結局何が生まれてくるかと言うと、どうせ俺たちは・・・的な議論に終始する。

 

なんじゃそりゃ?

 

知り合いに相談すると、そもそも論をする人たちは、壁があった時に立ち返る作業をする。立ち返えって、壁を俯瞰するためにそもそも論をするのだ。という。

 

ふむふむなるほど。と思って話を聞いていたが、話には続きがあった。

 

もしくは、壁から後ろ向きに歩いて行って、できない理由を探し出し、〇〇だから、無理なんだよ。どうせ俺達にはできないことなんだ。と壁を登らなくてもいい理由さがす作業をするためだと。

 

そんなんだったら、理学療法士なんて辞めちまえ!!ドンガラガッシャン!!

 

と、ちゃぶ台をひっくり返しそうになって、話を聞いていた。

 

そもそも論は、できない理由を探すため。なかなかに私では、思いつかない思考だった。

 

そんな考え方もあるのか~。と思ったのでした。

 

私は、へそ曲がりなので、壁があったら、乗り越えるための手段手法を考えるのが元来好きなので、あれこれ考える。

 

登れなかったら、掘ったらいいのでは?とか、延々と壁伝いに歩いていったら壁の終わりがあるのでは?とか壁の一部にもろい部分があってウリャってどつき倒したら、壁がポロリと崩れるのでは?とか知らず知らずに考えている質である。

 

そして、今できることをシコシコやってみる。やってみた結果、駄目だったら、次の作戦を立てる。人生に正解はない。そして、近道ってのもそんなにないな~。とアラフォーになって、つくづく思う。人生なんてそんなもんだろうと思ってやっている。

 

一息ついたら、そもそも論でもやってみようかな(笑)

 

 

 

 

何のために痛みを取るの?

紆余曲折あって、私は、現在、鍼灸の勉強をしている。

 

クラスメイトが声を合わせて

 

リハビリテーション概論の授業が意味がない。役に立たない」

 

と言っていたので、理学療法士の私としては、聞き捨てならないではないか。

 

私は、リハビリテーション専門職なので、リハビリテーション概論の授業は既得なので、受けていない。

 

そこで、いったい、どんな勉強をしているのかとクラスメイトに聞いてみた。

 

ノートをペラペラと読ませてもらうと。

 

ICFやBI、FIMと言った、リハビリテーション治療を行う上での基本的評価だった。つまり、それらは、簡単に言うと、人の生活を構成している行為を分析するツールである。

 

人の生活を分析できないで、生活を作ることはできない。

 

鍼灸師協会は地域包括ケアシステムになんとか潜り込んで、活路を見出そうとしている。地域ケアの一端を担うのであれば、必ず必要になってくる知識である。

 

しかし、意味がない、無駄だ。と生徒たちが思ってリハビリテーション概論を学んでいるとしたら、リハ概論を教えている教師が鍼灸師が生活に与える影響。生活を豊かにするための治療法としての鍼灸治療の立ち位置を教えていないということになる。

 

鍼灸師医療保険下で言えば、「痛み」をとるプロ。と定義できる。

 

では、痛みを取る意味は何だろうか?と言うことである。地域包括ケアシステムにおいては、「高齢者の自立した生活」の獲得。と言う大きな概念の中に入り込まなければならない。

 

例えば、

「膝が痛いので、お風呂に入れない」

 

これであれば、鍼灸師はお風呂に入るために膝の痛みを取る。

 

と言う役割を担うということになる。

 

ただ単に痛みを取る。であれば、保険適応はもとより、地域ケアシステムには入れない。

 

どうして、痛みを取るだけじゃダメなの?とお思いの方もおられるでしょう。

 

ダメなんですねぇ。痛みを取るだけじゃ。

 

なぜなら、20歳健康男子であれば、膝が痛くてお風呂に入れない場合。痛み。を取れば、お風呂にはいれるようになる。しかし、高齢者の場合は、痛みを取ってもお風呂に入れないからである。

 

どうして?って思うでしょ。

 

高齢者の場合。痛みが取れても、足がしびれるだとか、恐怖心、目が見えにくい、バランスの低下、認知機能の低下等々、痛み以外の要因が合併している場合がほとんどなわけです。

 

つまり、痛みだけ取れてもお風呂には決して入れない。

 

ADL(日常生活動作)や参加、活動に治療がつながらなければ、治療として国に認めてもらえない。

 

しかし、「痛み」しか保険適応利権を持たない鍼灸師はそこを教えない。なので、うわべだけの授業になり、生徒たちが「意味のない授業」とレッテルを張るのである。社会制度をきっちりと教え、自分たちの職種が担うべき社会的役割をしっかりと精査できていれば、「リハ概論」=将来鍼灸師が生きていくための一つのツールとして重要な科目である。と認識してもらえると思うのだが、教えている教師がリハビリテーション専門職ではなく、鍼灸師が教えている現行の教育システムではどだい、無理な話か

 

ADL(日常生活動作)すら知らない。そんな鍼灸師さんたちが、卒業したら、リハビリマッサージと称してリハビリを名乗り、按摩をして、リハビリ、リハビリ、と言って商売を始めちゃうのだから、そりゃ、世間様的には「リハビリなんてやっても治らない。」とレッテルを張られちゃうわけですよ。とほほほほ。

 

ちなみに、按摩、マッサージによる障害に対する治療効果は、医療エビデンスレベルでは「効果なし」の判定が出ていますので、あしからず。

 

ならばお前は、どうして、鍼灸なんぞ習っているのだ?ってことになりますが、私の場合は、日常生活動作や参加、活動につなげるための治療法である理学療法を使えるので、より確実に痛みが除去できれば、とっても便利なので学んでいます。

 

欧米では、鍼灸による除痛と理学療法はセットでつかわれている。日本では免許が別々になっているので、欧米で広く使われている欧米式理学療法が日本では使えない。なので、鍼灸を学び、欧米式理学療法を日本でも普及させて、一人でも多くの患者さんたちを治せるようになりたいから、勉強しているわけです。

 

いいところをお互い(多職種)が補填しあえる社会ができれば最高なんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハメマラ

「ハメマラ」「ハメマラ」と連呼しながら、男性患者さんたちが何やら、にやにやと笑みを浮かべていた。

 

「ハメマラ?」

 

私は、頭上にはてなを浮かべて、小首をかしげていると、一人の患者さんが、

 

「ハメマラや、先生知らんのか?男はみんな知ってるぞ」

 

と言うのだ。

 

「すみません。語彙がないもので。初めて聞きました」

 

と答えると。患者さんは、

 

「ハメマラや。よう考えてみ。歯、目、」と言いながら、自分の歯や目を指で刺していき。最後に私の股間に手を伸ばし。

 

「マラや!!!」

 

と言って股間をつかむのだった。

 

「なんなんですかそれは?」

 

いきなり股間をつかまれて動揺を隠せないまま、何とか聞き返した。

 

「男があかんようになる(ダメになる)順番や。昔からそういうねん」

 

とのことだった。

 

なるほど!!私はポンと膝を叩いて独りごち、男性患者さんたちの顔を見た。

 

なぜかみんな嬉しそうにほくそ笑んでいる。

 

言い得て妙。そんな言葉があるんだなぁ。日本語はまだまだ奥が深い。もっと語彙を勉強しなきゃと思う。今日この頃です。

 

 

 

 

介護保険料削減は、年寄りも悪い!!

今日、判定会議の結果。介護度4から要支援1に判定が降りた利用者さんがいた。

 

寝たきり状態から歩いて畑仕事ができるようにまでなって、私達療法士たちはこぞって、

 

「よかったね。良くなって」

 

と賛美したが、ご本人は、不満たらたら。

 

本人も家族もケアマネもみんな、

 

「リハビリのせいで、介護度が軽くなってサービスが受けれなくなった」

 

と、ご立腹。

 

ケアマネは生き込んで

 

「もっと悪く書きますので、すみません。再判定してもらいますので!!」

 

とのこと。

(おいおい、そこは謝るところじゃないでしょ。あなたは正直に認定調査したのだから、褒められることをしたのだよ。どうして、そこで謝る?)

 

 

年寄りも年寄りで、

 

「ワシは、白髪もあるし、シワもある。年寄りなのに!!!」

 

と息巻く始末。

 

介護保険は介護がいる人のための保険なの。力いっぱい畑仕事をしている人は、もういらないの。」

 

と幾ら説明しても、興奮冷め止まないご様子。

 

「医者に言うて、病気もっと悪う(悪く)書いてもらわないかん!!!」

 

と、新たな病気をお医者さんに頼んで作ってもらうというのだ。

 

あきれてものも言えない。

 

どうして、寝たきりでなくなったことを、みんな喜べないのだろう。

 

介護保険制度の制度設計が本当に良くない。

 

介護保険料の引き下げばかり考えている政治家の皆さん。

 

元気になった人に報奨金を!

 

介護度を良くしたケアプランにインセンティブを!

 

悪くしたケアプランにペナルティーを!

 

これだけで、何兆円も儲かる。

 

どうしてこんな単純なことが分からないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

年よりは寝たきりにしてなんぼ

またまた、悲しい話を聞いてしまった。

 

リハビリテーションに力を入れていて、自立支援型介護を実践している通所介護事業所の管理者さんが、

 

「うちは、利用者を良くしてしまうので、介護支援専門員から疎まれて、人気ないんですよね~。」

 

と言うのだった。

 

高齢者の状態が良くなると、介護支援専門員は書類を書き直して、ケアプランを作成しなおさなければならない。非常にめんどくさい。また、介護度が軽くなると受けられるサービスが減るので、ケアマネはとても嫌がる。とのことだった。

 

なんだかなぁ~である。

 

ならば、ケアマネと言う職業は、サービスをたくさんはめ込んで、高齢者の生活力をそぎにそいで、寝たきりを作ることが使命なのか?

 

介護度が重くなれば、たくさん介護保険サービスが使えて、利用者の家族が喜ぶ。または、介護度が重くなれば、ケアマネが所属している事業所の介護サービスをたくさん使えるようになるので儲かる。なので、高齢者には寝たきりになっていただく必要があるってことか?

 

はぁ。やってられんな。

 

こちとら、経営者に怒られながら、私のしょうもない首をかけて必死こいて要介護度5を1や要支援にしてるというのに、世間がこれでは、泣きながらリハビリテーション治療に取り組まれている高齢者たちが浮かばれん。

 

悲しくなっちゃう。

 

だんじりの掛け声の違い

 

オカンと居酒屋に飯を食いに行った時の話である。

 

居酒屋に入ると、30人ほどの若人たちが、やんややんやの宴会をしていた。若人たちは、ことあるごとに「そーりゃ、そーりゃ」の大合唱をしていた。

 

私の住む地域は大阪でもだんじりバカ(ダン吉と私は呼んでいる)の多く住む地域である。

 

今は、9月10月のお祭りラッシュが終わり、一息ついた頃合いである。なのになぜ?

 

「なんで、祭り終わったのに、ダン吉らこんなんやってんねん?」

 

と私がオカンに聞くと

 

「打ち上げや、祭り終わって、次の週はなんやかんやあんねん。せやから、祭り終わって2,3週間後ちょうど今の時期に打ち上げしよんねん」

 

とのことだった。(私は若いころからだんじりに全く興味がなく、あんまりしらないのだが、オカンは生粋のお祭りおばちゃんなので、造詣がとーっても深い。

 

だんじり祭りの掛け声ってや「そーりゃ、そーりゃ」ってのと「ほいっさ、ほいっさ」ってのがあるやろ?」

 

と、オカンが豚玉のカリカリ部分を小手で口に入れながら私に聞いてきた。

 

「そーりゃ」と「ほいっさ」。だんじりの綱を引く時の掛け声である。確かに違う。でも、掛け声の違いなんて今まで、気にも留めたことがなかった。

 

「ほんまやな」

 

私がビールをすすりながら、興味を示すとオカンは得意げに

 

「あるやろ~」

 

と、鼻を高くした。

 

オカン「あれな、海側が「そーりゃ」やねん。ほんで、山側が「ほいっさ」になんねん」

 

私「でもオカン、この辺海ないけど、ソーリャやんけ」

 

私の住んでいる地域から海までは車で20分はかかる。オカンの仮説正しければ、このあたりの地域は「ほいっさ」にならなければならない。

 

オカン「この辺りは埋め立てで、海から遠くなってるけど、昔の古地図見てみたらええわ、海まで結構近いねん」

 

なるほど、そういうことか!と私膝をポンと叩いた。

 

大阪でも山の奥地、へき地の山側では確かに「ほいっさ」である。

 

でも、なぜ、ほいっさとそーりゃなのかと言う疑問が残る。

 

私「なんで違うの?」

 

オカン「ほいっさは何やと思う?山側や」

 

と突然クイズ形式にしてきたオカン。私は「ほいっさ、ほいっさ・・・」と考えを巡らせたが、さっぱり、答えを導き出すことができなかった。

 

オカン「降参か?」

 

嬉しそうに私の顔を覗き込み、ビールを一口啜った。悔しいが、完敗である。私は、悔しさをにじませながら「降参や」と白旗を振った。

 

オカン「山言うたら、畑や」

 

と言って、鍬を振り上げるジェスチャーをして見せた。

 

そ、そっかー!!ほいっさ、ほいっさ。確かに畑を耕すときの掛け声である。

 

「海は」とオカンが言いかけたところで、私の頭上で電球がぴかりと光った。

 

「地引網や!!網引きの時の掛け声や!」

 

オカンは「そうだ」というように、ニンマリと笑って頷いた。

 

なるほど、祭りと言うのはやっぱり、豊漁、豊作を祝うものなのだなぁと改めて思う今日この頃でした。

 

 

 

 

 

 

本人参加の戦い

今日も今日とてQ&Aのお時間です。

 

ご質問

メガネ屋さんに聞いた話で、補聴器ってお客さんがいかに積極的に「聞こえたい!」と思ってるかで調整の仕方や商品の進め方が違うって。家族から半ば無理やり「耳遠いから」と連れて来られた人はあかんそうです。


リハビリテーションも、本人の前向きな気持ちあるかないかでも効果違うんでしょうね
本人参加の戦いってことなんやろか。

 

お答えしましょう。

治療には投薬治療や手術等の治療法がありますが、これらは、受動的に「してもらう」治療法ですね。

薬は飲むだけ。手術は寝てるだけ。ほとんど努力はいりません。

 

しかし、リハビリテーション治療だけは、患者さんの「元の生活に近づきたい」という強い思いがなければ成立しない治療法なのです。

 

リハビリテーション治療は、「痛い」「しんどい」「こわい」「めんどくさい」の嫌なこと四天王から成り立っています。

 

つまり、嫌で嫌で仕方のない事ばかりさせられる治療法と言ってもいいでしょう。

 

特に高齢者は「やってもらう」ことが大好きです。受動的治療に慣れきっているので、能動的治療には積極的になれない。

 

リハビリ=マッサージ と言う思い込みが世間に横行しているのも、この受動的治療法が大好きな高齢者に迎合する人たちがお金儲けのためにやっているだけなんですね。つまり、日常生活動作や日常生活平行動作は増えない。

 

それでも、「やってもらう」ことにこの上ない喜びを感じている高齢者は、自分でできるようになる(治る)治療法よりも、自分では何もできない(治らない)リラクゼーションを選択するんですね~。なぜなら、楽だから。楽して、楽して寝たきりになる。なので、世界一の寝たきり大国なんですね~。日本は。

 

本人にやる気があれば、もうすでにリハビリテーション治療は8割がた終わっているといってもいいでしょう。

 

特に高齢者の場合は、とにかく本人にやる気がないところから、治療が出発します。

 

やる気を出してもらうためのアプローチから入らないと、理学療法をやらせてもらえません。

 

本人は基本的に「楽したい」という生物が持つ本能に忠実に生活を構築しておられます。しかし、人の生活は社会性から成り立っているので、適合しなくなってしまうのです。

 

「楽したい」から、「社会に戻りたい」にまず持ってくる必要があるのです。

 

(ここでいう社会性とは、排泄をトイレでできるとか、お風呂に入るとか人間の生活をつかさどっている活動のことも含まれているんですね~。)

 

なので、本人は家族に言われて無理やり連れてこられた状態がほとんどですね(笑)

 

本人と家族に前向きな気持ちがあれば、あっという間に障害は克服できるんですけどね~。家族も本人もあきらめている状態から始まりますからね~高齢者医療は(笑)

 

長い闘病生活が続くと、若い人でも社会に戻るのが怖くなってしまい。病気に固執してしまう例が多いですね。どうしても、社会に戻らなければならない理由がある人はちゃっちゃと治っちゃいますが、生活保護ももらって、もうこのままで、結構いいやって思っちゃった人は、もう治りませんね。

 

結論:リハビリテーション治療は本人参加型でないと成り立たない治療法なんですね~。本人が参加しない受動的治療ではもうどうにもならないところから、リハビリテーション治療は始まりますので。寝たきり状態だったとしても、「もう一度日本アルプスに昇りたい!!」ぐらいのものを持っていないと、障害は克服できないということですね。後、応援団も多い方がいい。家族や親せき、友達、恋人等々大事にしましょうね~。

 

 

薬食同源

 

今日スパにきていたら、交流磁気療法というのの体験会をやっていて、試してみました。自然治癒力を高め、脳梗塞の後遺症も治るとか、どうなんでしょう?
 
とご質問をいただいたので、今日はQ&A的にやってみよう。
 
あの手の電気治療器の宣伝文句というのは、薄い関係性を拡大して宣伝するもんなんです。例として認知症で説明してみましょう。

青魚に含まれる、DHAEPA認知症予防に役立つ!!なので、DHAEPAサプリメントを買うのだ~。と宣伝文句をつけます。あたかも、DHAEPAを摂取すれば、認知症にならないように聞こえますよね。そこが、宣伝文句を作る人の上手い所です。しかし、実際は、日本人は海に囲まれた国で近海に住んでいる青魚は古来より日本人は摂取している。なのに、なぜ、認知症患者世界一の称号を日本が持っているのか?

 

関係ないことはないが、DHAEPA認知症につながるまでのプロセスをお話ししましょう。DHAEPAは、血中の中性脂肪濃度や悪玉コレステロール濃度が高くなったり、血糖値が上昇すると、血液は粘性を増してドロドロの状態になります。これを改善し、動脈硬化や高血圧症などの症状を予防するのに、EPADHAはどちらも有効に働きます。


つまり、高血圧や動脈硬化が原因で、脳梗塞を引き起こす。脳梗塞を起こせば、脳の活動量が減少し、寝たきりに近づく、すると、認知症になる。なので、そうならないためには、脳梗塞脳出血リスクを下げることが必要となる。運動とか、塩分制限、肥満にならない等々あって、その中の一つとして、EPADHAも栄養面から考えたら、ちょっとは関係している。

 

この数多のリスク因子の小さなところを拡大して、コピーライターさんたちは、「だから!認知症にはEPADHAなのだ!!!」と声高に叫ぶ。


 
また、消費者も普段は東洋医学なんてと否定的で、「お医者さーん。お薬ちょうだい」と宗教的にお薬信仰しているのに、なぜか医食同源的なやつは好きなんですよね~。不思議。
 

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電気治療器も同じってことですね。コピーライターさんたちは、煽りが商売ですから。上手いですよね~。

ライターさん的には、ホメオスタシスとか言っときゃ、いいんでしょ的なところでしょうかね。
 
「後遺症が治る」に関しては、よーく、文章を読んだ方がいいですね。「後遺症が治った人がいる」もしくは「後遺症が軽減した例がある」等の文面になっているはずです。患者さんが様々な医療的治療を行っていることは省いて、こんな例がありました。的に宣伝を考える。脳梗塞脳出血の修復過程を知っていれば、ただ単に修復過程期の患者さんだった例でも、治療器具で治ったとデーターを上げることができますからね(笑)

 

残念ながら、現在は、電気療法で脳梗塞後遺症の治療(麻痺が治る的なやつ)ができるというエビデンス(医学的根拠)がないのです。なんだか、良さそうだってんで、今必死にエビデンスを出そうとお医者さんや理学療法士が頑張っているんですけどね~。今いっちょなんですよね~。(笑)

殺人車両

耳が聞こえにくくなってきておられる、患者さんに。
 
耳が聞こえにくくなってきているんじゃないですか?
 
と聞き、テストをするとやっぱり聞こえ辛そうだった。
 
私:耳鼻咽喉科行って補聴器考えてみたら?
 
患者さん:補聴器は持っているが聞こえ辛いんだ。壊れてんだよ。
 
私:修理したら?
 
患者さん:嫌だ
 
私:どうして?
 
患者さん:金がかかる。
 
何故か補聴器の調整を嫌がる人が多い。歯もそうだが、高齢者は、目、耳と歯にお金をかけたがらない。
 
車に関しては、固執度が高く、車、車と大騒ぎするが、目、歯、耳に関しては、極端に嫌がる。
 
私:車をやめたら、お金が浮くんじゃないですか?
 
患者さん:車はいるんだよ!!
 
と、ご立腹のご様子。
 
認知症予防で計算や字を書くのも大事だが、目、耳、歯の調整はもっと、もっと重要な認知症予防ファクターなのに、嫌がる。
 
認知症の診断が下りていても、運転に固執して免許の返還も嫌がる。その上、車の運転をするのに、耳も聞こえづらく、目も見えにくく、全身の踏ん張りを利かす歯も入れない。それでも、運転はすると言ってきかない。
 
いくら説明しても、怒るばっかりで嫌だと言い張る。
 
高齢者がいったん嫌だと言い出したら、もうテコでも動かない。認知症街道まっしぐら。殺人車両がまた増える。
 

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さーどうしたものか・・・・

女性と話すときは慎重に!

みんなで、飲みに行ったとき、知人の40代女性が、

 

「最近、耳が聞こえにくいんだぁ。病気かな?」

 

と私に聞いてきたので、

 

「若いのに聴神経衰えちゃってんだね。加齢決定!」

 

と、お茶目に答えると。

 

びーーっくりするぐらい怒られた。

 

どうどう、と何とかなだめて、

 

「ほ、ほら!宇治抹茶ソフトだってよ。竹村かな?上林かもよ。とにかく。すげー。すげー。食べる?」

 

と話をはぐらかすと、ソフトクリームを食べて機嫌がすっかり御治りあそばしたので一件落着。

 

いやー。女性と話すときは慎重に!

 

 

こういうところが、私が女性にモテない理由なんだろうな。反省(笑)

 

 

 

 

 

 

趣味で痛みを飼っている人々。

肩が痛い。足が痛い。腰が痛い。歩きにくい。起きるときにふらつく。等々。

 

アラフォー世代になると、周りの人たちも同じように年を取り、体の不調を訴えるようになる。

 

私が、理学療法士をやっているのを知ってか、知らずか、飲みに行っても同じような体の不調を聞くことが多い。

 

こんなところで、愚痴ってないで、治せばいいのに。

 

といつも思う。なぜ人は、不具合を人に言うだけ言って、治そうとしないのか?

 

いつも不思議に思っている。

 

足が痛い。痛い。と訴えて、何もしない人は、なぜだろう?

 

痛いのが趣味なのだろうか?

 

つい先日も、知人が足の小指が痛い。とあまりにもしつこく言うので、

 

「趣味で痛みを飼っているんじゃなかったら治してやろうか?」

 

と私が言うと「お願いします」って運びになり、ちょっと30秒ほど治療をして、痛みを取ると。

 

「痛みは無くなったけど、どうせ、すぐ元に戻るんでしょ?」

 

と言いながら、さっきまで、痛みで触れることもできなかった小指をつまみ上げ、ぐりぐり回している。

 

この行動は患者さんに多く見られる行動パターンである。痛みが取れたり、痺れを取ると、いつもはしないような動きをして痛みを探し始める。

 

そして、「奥の方にちょっと残ってる」だとか、「痛みが取れた気がする」とか即座に判断したがる。

 

あのね~。痛みが何日も続いていたのだから、痛みの原因を取っても、若干は脳に痛みの記憶が残存しているのだよ。

 

じっとしとけ!じっと!治療の後は安静でしょうが、ぐりぐりするな!そのうちちょっと残っている痛みもとれるから!

 

というのだが、患者さんはグリグリしたくてたまらない。なんなんだろうね~。あのグリグリ痛かったところを動かす行為は。

 

薬物療法をやっていると、この人たちは本当は痛いのを取ってもらいたくないんじゃないだろうか?

 

と思ってしまうような言動や行動が多く見られる。

 

数日後。足の小指を痛がっていた知人に

 

「足の痛みどうだった?」

 

と聞くと。

 

「いや~。あれから痛くないんですよ。不思議なことに」

 

と何故か不服そうに答えた。そして、顔を一変させて

 

「あっ!でも、足は痛くなくなったけど、今度は肩が痛い」

 

と嬉々として言葉をつづけ、自慢げに肩に貼ったシップを私に見せた。

 

どういうことだ?

 

やっぱり、痛みの訴えをする人は趣味なんだな。趣味で痛がっているから、取られると困るんだな。としか思えない。

 

もしくは、理学療法のことを完全に舐めてやがる ブチッ(# ゚Д゚)ブチッ

 

薬で治したいなら、飲めばいいのに。治し方はいろいろある。好きなのを選べばいい。

 

もう治しちゃらん。プンプン。シップ=御札 が好きなら、初めから、御札に頼んでおきなさい!!

 

親切心で治して、なんだか、損した気分の今日この頃でした(笑)

 

後、これを読んでくれた療法士諸君たちよ。患者さんの除痛治療の際の評価は、VASじゃなくて、可視化できる数値的フィードバック可能な評価法を用いましょうね~。せっかく治療しても損した気分になるから。(大笑) 

 

障害VS療法士

私が、「あの患者さんの障害は強いね。勝てるかな~?」と漏らしていると、

 

それを聞いていた、新しく入ってこられた介護福祉士さんに「勝負なんですか?」と不思議そうに聞かれた。

 

「勝負です。患者さんの抱えている障害を取り除くことができるかできないかは、療法士と障害の戦いなのです。」

 

と答えると。介護士さんは驚いた表情を見せていた。

 

なるほど、介護士さんたちは障害と戦うという意識が無いんだな。と改めて納得した。

 

療法士たちは医療職であるがゆえに障害を取り除くために日々戦いを挑んでいる。

 

障害は本当に手ごわい。痛み、痺れ、麻痺、疲労、拘縮、骨変形、胸脇苦満、意欲低下、自殺願望、認知機能低下、嚥下機能低下等々様々な原因で、日常生活を阻害している。

 

患者さんの日常生活を取り戻すためには、これらの症状を抑え込んでいかなければならない。しかも、「人間」の障害である。人以外の動物とは違うのである。人は器質的変化を取り除いたらできるようになるという生き物ではない。

 

どこも、器質的変化がない状態でも、寝たきりになり、日常生活を送れなくなる。自然界においてとても稀有な動物である。

 

人の医療は、患者さん一人一人の個別性から治療方法が引き出されるのである。特に非薬物療法の場合は、患者さんのその日のコンディションで治療プログラムが変更されていく。患者さんが治療室に入ってきた瞬間から、療法士と障害の勝負は始まっているのである。

 

戦う姿勢がなければ、障害は絶対に取り去ることができない。

 

私のリハビリテーション治療において、リハビリテーションチームによる、チームアプローチは不可欠である。

 

チームの強化こそが、障害という強大な敵と戦うことができる唯一の方法だ。

 

理学療法は療法士一人でするものではない。療法士はその日その日の患者さんの状態を的確に判断し、治療プログラムを変更させていくプランナーなのである。

 

介護士さんたちはいわばリハビリテーション治療の最前線で戦う戦士たちである。

 

「戦いです。毎日が大戦(おおいくさ)ですよ。一緒に頑張りましょう!!」

 

と、私に質問してくれた介護福祉士さんの肩をポンと叩くのだった。