「自立」とは何か?:依存的自立を踏まえて
世にも奇妙なリハビリ室。
夜間診療でのお話。
「先生三叉神経痛で痛くて、しゃべることもできないのよ~。」
と患者さんが言ってリハビリ室に入ってきた。
三叉神経痛・・・
私「診察は?」
患者「ドクターには診てもらいました。リハビリの先生に聞いてくださいとのことでし た。」
私「神経痛は鍼灸の領分だから、鍼灸の先生に相談してください。」
と患者さんを鍼灸院の方に行ってもらった。
てなわけで、私(理学療法士)の出番なし。
それから数分後。
「先生、今日バレーボールの試合があるんだけど、肘がちょっと痛くて、テーピングしてもらえないかしら」
と患者さんがリハビリ室に入ってきた。
スポーツテーピング・・・
私「ドクターには診てもらった?」
患者「診てもらいました。リハビリの先生に聞いてくださいって」
私「テーピングは柔道整復師の先生の領分だから、柔整の先生に相談してみてください」
と患者さんを接骨院の方に行ってもらった。
またしても、私(理学療法士)の出番なし。
それから数分後。
リハビリ室の電話が鳴り、受話器を取ると
「先生、スタッフで顎が外れてる人がいるんだけどどうしたらいい?」
と看護師からの内線。
「え~。ドクター・・・」
そこまで言いかけて、言葉を濁し
「柔整師の先生に電話回しておきます。」
と、静かに受話器を置いた。
またまた、出番なし。
今日の新患はそんなんばっかりだな~と思っていると。内線が入り
「先生、さっき来られた介護福祉士の〇〇さん、顎外れてませんでしたので、どうしましょう?」
と柔整師の先生からの内線だった。
「ドクターに診てもらってないんかーーい」
と心の中で突っ込みを入れて、
「それじゃ、すぐにドクターに回して!」
と意気揚々言葉を弾ませて受話器を置いた。
やったー!やっと出番ですね。親分!
うちの病院は、医師の方針で、「餅は餅屋」精神旺盛。リハビリテーション部組織の中に医療保険部と介護保険部、医療療養費部があるので、こんなことできるが、あんまりそんな病院ないよね~。なぜないのか。それは、言わずもがなですね。
(医師が行う医療行為と鍼灸・柔整の療養費区分は併用できない大原則がある。ゆえにお金にならない。)
未来の「カンブリア宮殿」はうちのドクターかもしれない。凄いですよ。
だから、私はいつの間にかどの保険で広義の意味でのリハビリテーション治療&療術を使うか選択するお仕事になってしまっている。(笑)
(私に振られた各専門職が医師のもとに行って治療方針のお伺いを立てる。方式になっている。しかし、各専門職と医師との話し合いの結果、結局病院リハ適応となり、差し戻されることもしばしば(笑))
私としては、介護支援専門員もやってるから、奇妙なリハ部だけど、便利っちゃ、便利ですようちのリハ部。
やっぱり中国4千年は奥が深い。
今日、鍼灸師の先生に恐ろしく可動域の広がる鍼を見せてもらった。
理学療法士が、しこしこ何十分も関節可動域訓練を行って、やっとあげられるほどの可動域の拡大を鍼一本で瞬時にやってのけたのだ。(しかもほぼ無痛で20°~25°up)かなり驚異的!
持続時間は定かではないが、一瞬でも最大可動域が広がる。これは凄い。理学療法と組み合わされば無敵だな。むふふふ。
それにしても、混合診療の壁何とかならんかなぁ。患者さんの身体的負担の大幅な軽減になるのになぁ。
理学療法の関節可動域は結構痛い。理学療法士も痛くないように関節包内運動とかマイオとかIDとか色々工夫はするが、それでもやっぱりちょっとは痛い。なので、ほぼ無痛である程度上げることができれば後は、少しの工夫で何とかなるじゃあ~りませんかってお話です。
勿体ない。
鍼灸治療を受けたことのある日本国民はたったの4%。
凄い数字を聞いた。なんと、鍼灸治療を受けたことのある日本国民は1億3000万人のうちたったの4%。
皆受けたことないんだなぁ。
医療費も医療や介護では約40兆円、接骨院では約4000億円。鍼灸は約300億たらず。
いや~。凄い差だなぁ。まぁ、保険制度の違いもあるが、それにしてもって感じだ。
お医者様は、他人に儲けさせても意味ないので、処方箋なんて鍼灸院には書いてくれない。自分のところで鍼灸師を雇おうにも混合診療の壁がある。
まぁ、そりゃそうだって数字か
接骨院はお医者様の処方箋が要らないので、4000億も医療請求がある。骨折、脱臼、捻挫、挫傷。この4疾患しか見れない接骨院がこの賑わい。このたびめでたくコンビニの数を超えました。日本列島けが人だらけなのだなぁ。
鍼灸の保険適応疾患は、「痛み」だが、痛みのある人より、けが人が日本人は多いという事か。
う~む。痛みある人の13倍のけが人。
皆さん。くれぐれも怪我には気を付けましょう。
費用対効果いいと思うんだけどなぁ。鍼灸って。この間も逆子が治った。つまり、医療費、何百万円分もそれだけで、節約したことになる。
鍼灸師のみなさ~ん。4%って、寂しすぎる数字です。知られてないのかな?もしそうだったら、日本国民にとっての不利益です。
とりあえず、早く、分裂している鍼灸の協会を統一して、選挙票を200万票集めたら、物言えますよ~。頑張ってくださーい。本当に凄いですよ。鍼灸治療。
(私の痛風発作もとりあえずその日仕事できる程度に抑えてもらった)
皆さんも一度お試しあれ。結構感動しますよ。
「勉強しない若い理学療法士・作業療法士が増えている!!けしからん!」
「勉強しない若い療法士が増えている!!けしからん!」
的な言葉をよく耳にするが、私的には????である。
なぜなら、私が所属しているリハビリテーション部においては、誰も何も言わないのに、若人たちはこぞって、勝手に勉強しまくっている。
私の感想としては「最近の若人は。凄いな~。」といつも思っているからである。
なんだか、昨今の療法士のブログとかTwitterとかはちょっとぎすぎすしているものが多くて、「療法士の数が増えて生き残りがどう」だとか、「勉強して俺は凄い」だとか、なんだか、自己顕示欲と将来不安が入り混じって、変な感じで「勉強」という言葉が使われているような気がする。
「もっと勉強しろ」
「患者さんのためにお前は何ができるんだ」
「俺たちの頃はもっと勉強したぞ」
なんて、先輩や上司の療法士に叱咤激励されても、患者を治したから給料が増えるわけじゃなし、どんなに凄い技術を持っていても、結局療法士の手柄は全部お医者様の手柄なので自己顕示欲が満たされるわけでもない。ましてや開業権があるわけじゃなし、患者が治らなくてもペナルティーがあるわけでもない。なんとなく配置基準で雇用されて、タイムカードきっとけば、雇用主と労働者のウインウインの関係である。
つまり、勉強なんぞしなくても、患者なんぞ治せなくてもいいっちゃ、いい職業。言い方は悪いが、お国に決められた診ておれと言う時間帯患者さんと関わって、監査でいちゃもんつけられないように、決められた書類書いてりゃ、成り立っちゃうお仕事なのだ。
言い方を変えて、簿記的に言えば、勉強にお金をかけても収入は変わらないのに支出だけ増えれば、マイナス。だから、勉強してもしょうがないって理屈が道理になる。個人経営的な見方をすれば、それなら支出(勉強費用+参考書代)を抑えて貯蓄や子供の教育費に回そうか的な思考が働いても、それはそれで、すこぶる正しい。
開業権があって、個人経営すれば、「あそこに行っても治らない」と風評を受ければ、死活問題である。必死に治すだろう。
でも今はそうじゃない。
「患者のために勉強しなさい」なんて、人のボランティア精神を搾取するような言葉では、誰も勉強しない。
人が動くのはやっぱり、所詮、自分の為でしょ。隠してもしょうがない。若人たちは馬鹿じゃないんだから。
私の場合は、患者さんが治ると気持ちがいいから、もっと気持ち良くなりたいから勉強する。後輩たちにいい格好したいから、勉強する。
やっぱり、ちょっとかっこ悪いじゃないですか、新人さんに質問されて、答えられないと。ちょっとは、先輩らしいこと言いたいし(笑)
勉強の動機なんてそんなもんですよ。全部自分の欲望のため(笑)
なので、勉強なんて人に無理強いするもんじゃないし、したことない(キッパリ)。
私の場合、勉強も治療も趣味。人に自分の趣味強要しますか?
ただ、気持ちのいい趣味だから、「すげー」「すげー」って飛び跳ねて喜びまくっていたら、若人たちが、「なんだか、おやじが楽しそうだぞ」って感じで、絡んできてくれる。
こっちも、嬉しいから「患者が治るとこんなに気持ちがいいんだぞ~」と気持ちよさをアピールする。(趣味だから)
すると、他職種の人たちも「何、何?」的な感じで私の趣味に興味を示してくれる。
楽しいことはみんなで共有した方がより楽しい。
だから、勉強しているだけである。
「職業だから」「患者のためだ」って片意地張って、「やらねば」的に、使命感でやるのもいいけど、楽しいのが一番だと思うんだよねぇ。勉強って(笑)
本当に今の若人はよく勉強する。おじちゃんも負けないぞ~。
初台リハビリテーション病院。「カンブリア宮殿」見ましたよ。
理学療法士のいいところを書いてみよう。
よし、ネガティブキャンペーン的な奴が多いと指摘を受けたので、理学療法の素敵なところを書いてみよう。
まず、長年寝たきり状態だった患者さんが歩けるようになって、生活を取り戻していく様を真横(特等席)で誰よりも先に見られるのは、療法士の特権である。お得感がたっぷり。
バーセルインデックス(BI) が 5点が85点に!! HDSR10点が26点に!!
なんてのが目の前で年に何回も見られるなんて、いや~幸せ。うひょー。って絶叫しちゃうね。
また、寝たきりが長いということは、その人にかかわってきた人たちの中で、誰もできなかったことをやり遂げたという、やったった感が半端ない。アドレナリンどばーっ!これはもう鼻血ものである。
後は、「奇跡だ」「奇跡だ」と周りが騒いでくれる。これはこれで、結構うれしい。
と、まぁ、とにかく、理学療法士は気持ちのいい仕事なのだ。
お金は人の「感謝」が集まれば、そのうちついてくるだろう。ぐらいのスタンスでいればハッピー。
将来のことで悩むのは無駄なのでやらないようにして、目の前の患者の笑顔が見られるようにひたすら頑張る。それで、安い、安いとは言われているが、いくばくかでも安定したお給料がいただけるのだから、結構な職業だと思うけどな~。
ね、結構いいお仕事でしょ。
療法士のブログはなぜ愚痴が多い?
知り合いの介護支援専門員から
「療法士のブログやTwitterはどうして、愚痴やネガティブアピールが多いの?」
と素朴~な感じで聞かれた。
もしやとは思い最近の自分のブログを振り返ってみると、確かに愚痴めいたことが多い。(笑)
なぜだろうか?
なんだか、みんな悶々としているのだろう。制度ビジネス上で医療をやっている連中なので、制度の中では、いいことをしたくてもできないジレンマが渦巻いているのだろうとは思う。また、将来不安が大きく、愚痴の一つもこぼさないとやってられないのかもしれない。
ネット上での他者攻撃は一番お手軽なストレス発散方法なのかもしれない。
将来不安や制度上のジレンマなんてどの業界も同じでしょ。まだ、恵まれてるほうだと思うけどなぁ。僕たちの業界は。
世界と比較したり、医師や弁護士とか他の職種と比較しても始まらないでしょ。
一つ一人ひとりができることと言えば、
「自分たち(理学療法士や作業療法士)はこんなことができるんだ!!凄いでしょ!」
って、一人でも多くの人に知ってもらうことじゃないかな?と思う。
人からの「感謝」や「ありがとう」が集まれば、自然と世界が変わってくると私は信じている。
療法士諸君よ、愚痴よりも宣伝ですよ。やっぱり、理学療法や作業療法はこんなに凄いんです。みなさん受けて下さーい。
涙・涙の感動を味わっていただけるものと信じております!
的な自信をもって、仕事に励み一つでも多くの結果を残し、患者さんに感動してしてもらう。これしかないと思う。
愚痴の一つもこぼしたくなる気持ちは分かるけどね ( ´∀` )
学校なんて大嫌い
私は学校が嫌いだ。小学校の頃から大嫌いである。雨や雪が降った日なんて朝からドーやって休んでやろうかとばかり考えていた。母親の目を欺くために体温計(当時は水銀)の温度を程よい37.1℃程度に上げる方法を模索する毎日だった。
中学に入ってからも事あるごとに休みまくった。高校でもそうだった。なんだろう?決して不登校という訳ではないが月に3回程度から5回程度まぁ、簡単に言うと勝手に週休二日にしていたわけだ。(当時は土曜日も学校だったので)
さて、話を戻して、この学校嫌いはどこから来るのか?友達もいたし、学校に行けば行ったで、友達と馬鹿話に花を咲かせていた。でも、そこはかとなく学校が嫌いなのだ。そんなのは全員そうだ。と言われればそうなのだろうが、とにかく嫌いで嫌いでしょうがない。ではなぜ嫌いなのだろうか?と自己分析してみる。
何が嫌いなのか?言わずもがなだろうが、教師がとにかく嫌いである。人にものを教えてやってるのだから、私は偉いのだ感がたまらなく癇に障る。
給料もらってるから職業としてやっているに過ぎない一社会人である教師と近所の八百屋のおっちゃんと何が違うのかまったくもってわからない。
八百屋のおっちゃんだって、野菜博士であり、今の時期はラディッシュがうまいのだ。なんてうんちくを教えてくれることもある。私の知らないことを教えてくれる。つまり先生なのだ。私はそんな話は大好きだし、質問だってしまくる。
では、学校の教師と何が違うのか?
それは、教師が無意味に偉そうで高圧的で暴力的だからだろう。今は体罰こそ少なくなったが、その分言葉の暴力や高圧的態度は威力を増している。
また、学校というところは、学問だけ教えておけばいいものをなぜか、生活指導的な要素を入れたがる。そこもたまらなく嫌いだ。
50歳を超えた生徒がいるような教室で、「茶髪はだめだとか」「ピアスは駄目だとか」学問となんの関係があるのかわからないオリエンテーションを何時間も繰り返す。一コマ計算で何万円もする講習の内容がこれか!と思うと涙が出てくる。
私は学校は嫌いなのだが、私は元来好奇心の塊君なので、事あるごとに年を重ねても学校に行く羽目になってしまう。
時代は平成に代わっても、教師の本質は何も変わらない。どこか、生徒を馬鹿にしているというか奴隷のように思っている節がある。
なぜだろう?なぞだ。
私の知り合いでも教職についている奴らはいるが、酒を飲んでいる場合は普通の大人。普通の人。偉そうなそぶりもない。話を聞いていると同情したくなるようなことだってたくさんあるくらいだ。
なのに、私の行く学校と呼ばれる場所で働いている教師や事務員たちはこぞって生徒を囚人扱いしたがる。どうしてだろう?学問を学ぶということは罪人扱いされるべきことなのだろうか?
教師ではないが、年を重ねて、人にものを教える=(伝える)世代になりつつある私だが、決して偉いわけではない。彼らよりちょっと先に業界に入っただけだ。逆に彼らから教えてもらうことの方が多いような気さえする。
私は後輩たちに免許を持ったから「先生」になるわけではなく、患者さんや家族の人たち、あるいは関係職種の人たちの「感謝」「ありがとう」が集まって、初めて「先生」にして貰える。「感謝」が集まらないうちの「先生」はあだ名でしかない。と後輩には伝えている。(偏った先生感だとは思うが、私個人としてはそう伝えている)
「先生」と「教師」は別物だとすると、なぜあいつらは「先生」なのだろうかとも思う。知識を金に換えているのだから、セミナーの講師と何が違うのか?お料理教室の先生は別に偉そうにしないし、竹細工の先生だって、別に偉そうにしない。いろいろ知らないことを教えてくれる、お坊さんだって偉そうなわけではない。人間たいしたことのない、わずかな特権でも持っちゃうと、馬鹿になっちゃうのかな~。
はぁ、学校嫌いだなぁ。明日も学校か~。憂鬱。
でも、学問は好きなんだよね~。また、何か免許的なものや学位的なものをくれるという対価(目に見える褒美)のない学問ができるほどお心強くないんだよね~。ん~。悩ましい。
要介護になったからって別 人になるわけじゃねえ。勝手 に”何もできない人”って 決めつけん じゃねー!!
要介護になったからって別人になるわけじゃねえ。勝手
に”何もできない人”って決めつけんじゃねー!!
★ヘルプマン!!
【著者】くさか里樹
イヤーなんて気持ちがいいタイトル!!くさかさん頑張れ~。
担当者会議に行っても、家人面談をしても、みんな一様に「何もできない人」「できなくなった人」という観点で話が進んでいく。
理学療法治療を受けて、こんなこともできるようになりました、あんなこともできるんです。寝たきりだったのがほら、一人でトイレに行けるように!!畑仕事だってほらこのとおり!!と力いっぱいプレゼンしても
「家から出てもらっては困る」
「ベッドから立たないでほしい」
「家事なんてさせられない」
「車いすのままで歩かせないでください」
とまぁ、「できない人」のレッテルがべったりと張り付けられていて、何もさせてもらえない。
「仕事がしたい」
と医療保険下で言えば、皆が
「頑張りましょう」
とエールを送ってくれるが、
介護保険下で同じことを言えば、皆が「何言ってるんですかできるわけないじゃないですか!!」
と止められてしまう。
今の介護保険の在り方は新たな差別を作ったとしか思えない。便利な保険だが、失うものも大きい。
「胃ろうになった高齢者が経口食に復帰できる確率6.5%。日本は胃ろう大国なんだよ」
「胃ろうになった高齢者が経口食に復帰できる確率6.5%。日本は胃ろう大国なんだよ」介護漫画『ヘルプマン!!』作者・くさか里樹
posが総力を挙げて、嚥下リハに取り組めば、確実に経口復帰率は上げられるのに、なぜしないのか?それは・・・posの政治力の弱さに尽きる。残念!!
胃婁治療や気管切開が治療の一助であり、経口摂取をするための過程の治療である。また、自発呼吸を促すためや誤嚥性肺炎にならないための治療の過程である等、それらの持つ本来の意味を取り戻していただきたいと切に願っています。今の胃婁の在り方は、作って終わり的な使われ方があまりにも多い。
「国が言う介護は、家畜を死なせないように、どう面倒を見るかという感覚」
まぁ、介護だけじゃなくて、医療も同じなんですよね~。だから胃婁の例がまかり通る。
さーいよいよ。来たぞ!WHILL!始動開始だ!!
未来型移動手段!車いすはもう古い!歩行困難になってもこれで安心。これからは、レイバーの時代なのだ。
もし、寝たきりになってもこれなら安心なのだ!未来型移動手段。レイバー!!頑張れ水道橋工業!期待しているよ~。歩けなくなったら、こいつで、飲みに行ってやるぅ~。