GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

今週のお題 「カバンの中身」

今週のお題「カバンの中身」

 

カバンの中身とな?

 

まずは私のカバンから説明せねばなるまいて。

 

45リッターリュックである。一見登山家さんですか?と目を疑わんばかりの大きなリュックサックをいつも背中にしょって移動している。

 

何をそんなに持って歩いているのか?とよく聞かれる。

 

中身を説明しよう。

 

まず、白衣。各種鍼(1号鍼から5号鍼、顔鍼、円皮鍼等々)を10本づくくらい。シャーレ、消毒用綿花。艾。線香。爪切り。やすり等を入れた。バックが入っている。つまり、カバン in カバンですね。

 

次に教科書(解剖学、生理学、病理学、運動学等々)教科書を持ち歩いていないと落ち着かないんですね~。付属品として、ノート、筆箱ですね。この筆箱がまたデカい。付箋やノリ、ハサミ、ホッチキスとやまもり~。

 

次にノートバソコン。付属品

 

 

最後に仕事や勉強の資料山盛り。

 

後は、整容道具バックですね。中身はスケルトンブラシ、歯ブラシ、歯磨き粉、ワンデイコンタクト、ケーブ携帯用。日焼け止めスプレー(サラサラ日焼け止めスプレー。最近のお気に入りグッズです)髭剃り、ムダ毛カッター(電動です)これも、バック in バックですね。

 

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後は、寄る年波に抗うことができず、じょじょ~に大きくなっていく、ドラックケース。

 

 

Tシャツの着替え(稀勢の里Tシャツが最近のお気に入りなのだ。)

 

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てなところですかね~。携帯、タバコ(最近IQOSにした)も入ってますね~。IQOSのタバコは短くて、消費量が多いので、常に5箱は持ち歩いていますね。

 

はたまた、こんなどでかいリュックサックで飲みに行くのはいやだから。飲みに行く用のボディバックも忍ばせている。

 

いや~。改めて書き上げてみると。大量だね~(笑)

 

 

 

 

 

今週のお題「高校野球」

今週のお題高校野球

 

高校野球の思い出を書いてみよう。正直言って、私は野球に対してまったくもって興味がない。

 

だが、今までには、甲子園や大阪球場、東京ドーム、広島球場と数多の球場で野球観戦をしてきた。アメリカで大リーグ観戦も楽しかった。

 

しかし、しかしである。野球に対して興味はゼロ。

 

そんな私の「高校野球」の思い出・・・。野球に関しては全く覚えていないが、高校野球を見ていた人たちはよ~く覚えている。

 

私がまだ小学生の頃、桑田や清原がPL高校に在籍していて優勝しただかしないだかで、友達のおばあちゃんがハンケチ片手に号泣していたのをよく覚えている。(意味が全く分からなかった)

 

また、高校野球と言えば、親戚のおじさんを思い出す。叔父は高校野球の時期になると、長期休暇をとり、朝から夕方まで、高校野球をテレビで観戦する。朝一からビール片手に、ランニング、ステテコ姿でプシューっとやる。

 

腕枕でテレビの前に横たわりながら一日中高校野球を見ていた。

 

大人たちをここまで熱狂させる「高校野球」とはなんぞや?

 

と不可思議にいつも思っていた。

 

そんな幼少期を送っていた私もお年頃となり、中学三年生。高校を選ばななければならないという時節柄となった。中学の担任の先生が私に提示した高校が今まさに甲子園で野球をやっているとのことだった。

 

甲子園にも野球にも全く興味のない私だったが、なぜか甲子園出場校に入学する羽目となった。しかし、私が高校に在籍していた3年間で野球部が甲子園に出場することはなかった。

 

高校野球」に熱狂する人たちの気持ちが未だにちっともわからない。

 

でも、野球を観戦して一喜一憂している人を見るのはちょっと好きだ。阪神が負けると腹を立ててテレビをひっくり返す人とか、カープが負けるとテレビの前で、ガクッと膝を折って号泣する大人とか。ちょっといないですよ~。横で見ていると、野球ファンの人って、なんだかとってもエンターテーメント。面白いんですよね~。

タブーをぶっ潰せ。タブーこそ面白い。


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読もう読もうと思っていた作品をついに読みました。

 

聖☆おにいさん」 荒れ狂うナンセンスの濁流。いや~いつか熱狂的な信者から刺されますよ。と思いつつ、無宗教国家日本。いや、なんでも取り込み可能なムシュウダ日本人に乾杯。

 

誰もが思いついていても、それは書けないだろうと、いや書いちゃいけないだろうと思っていたことを事も無げにウリャと書いちまった作者渾身の作品。

 

「江戸ムラサキ特急」並みのインパクト! やっちゃいけないなんて、通念に囚われていた私が恥ずかしい。

 

 

知らない人にちょっと紹介。母ちゃんの脇の下から生まれた奇跡の御仁と処女なのに子どもを産んだ奇跡の母親を持つ子どもが東京都立川市でアパートをシェアリングして休暇を楽しむ。といった塩梅のお話。

 

世界的ビックネームを著作権料なしで主人公にしちまった大胆不敵さがたまらない。 少子化社会で檀家確保を喫緊の課題と迫られた、大乗○教系のどこかとプロテス○○かカトリ○クのえらいさんがブレーンになっているんじゃないの?と思わされるほどのネタの細やかさ。 どこぞの檀家さんや洗礼を受けた皆さんも一読してみてはいかがだろうか。

 

ブッダとキリストが神社でおみこし担いでいるなんて、なかなかにシュールで面白い。 いや~思い込みで委縮してちゃいかんな~と思わされた逸品でした。

 

「心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは心得たるなり。弥陀の御たすけあるべきことの尊さよ」

 

ですな~。

アイスな日々

今週のお題「好きなアイス」

 


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好きなアイス。子供の頃の定番アイスと言えば、「王将アイス」「ソーダーアイス」「ホームランバー」どれも駄菓子屋で帝王の座に君臨していたアイスたちである。1本三十円。この絶大な費用対効果が子供たちのハートをゲットして離さなかった。そして値段の安さの割に美味しいと来ている。夏の定番アイスである。平素は30円アイスを軸に、考える。

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お金のないときは、「チューチュー」をセレクト。「チューチュー」は何と10円で売っていた。今では考えられない価格である。

 

親戚の叔母やおじいから特別ボーナス(お小遣い)をもらった時は、「ガリガリ君」を筆頭に挙げられる、50円アイスをご購入。

 

もうどうしちゃったんだ???おいらの財布に天変地異が起きた!!

 

ぐらいの衝撃金額が天から舞い降りたときのみ買うことができる。「ピノ」「パピコ」等のひ、ひゃ、100円アイス!!(一口頬張れば、気分は王様、大名、大富豪!もうこの世の極楽。)

 

とまぁ、アイス一つに情熱を燃やす少年時代だった。

 

レディーボーデン

 

「一日、スプーンで「2すくい」しかあかんで!!!!!!」

 

と、オカンに言われていた頃が懐かしい。

 

「大人になって自分で稼ぐようになったら、レディーボーデンの大きい方を買って、兄弟で分けずに大きなスプーンで腹いっぱい喰らってやる!!!」

 

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と、子供のころ決意したものです。

 

「オカン!!アイス冷凍庫に入ってるって言うたやんか!!「バナナ」ラップで包んだんはアイスちゃう!!!!!」

オカンに食って掛かる私。

 

「お兄ちゃんが、パピコ2個喰いしよったーーーーー。お母さーーーーーん!!お兄ちゃんシバイてーーーー!!!!」

アイス一つで泣き叫ぶ妹。

 

あずきバーか、よりによって、あずきバーと最中アイス。なんでや、何でこのチョイスなんや、オカン」

と、冷蔵庫の前で膝を折った日々。

 

子供の頃、兄弟喧嘩しながら、一喜一憂して食べたアイスが一番おいしかった気がする。

介護×人工知能


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「介護×人工知能」、(株)シーディーアイと豊橋市

人工知能によるケアプラン作成の実証プロジェクト開始

「お世話する介護」から「⾃⽴を促す介護」へ。⼈⼯知能を使って⾼齢者の⾃⽴⽀援型介護に向けたパラダイムシフトを⽬指す。

 

平成 29 年 7 ⽉ 10 ⽇付けで株式会社シーディアイと愛知県豊橋市人工知能(AI)によるケアプラン作成の実証研究を実施する協定締結をした。

 

 豊橋市が匿名加⼯した介護保険データを提供(平成 21 年度〜28 年度 約 10 万件)し、シーディーアイがケアプランを策定する人工知能を提供し豊橋市のデータを読み込むことで⾃⽴が促進されるケアプランを⼈⼯知能が学習し、この⼈⼯知能が⾃⽴⽀援型ケアプランを作成する。その後、⼈⼯知能が作成したケアプランをケアマネジャーが確認、利⽤者の個別状態に合わせて調整した上で利⽤者へ提供する流れとなっている。人工知能が作成したケアプランがどこまでリアルなニーズに応えられるのか、研究結果に注目したい。

 

寝たきりを助長する現在のケアプラン作成の在り方に国がいよいよテコ入れを始めた。自民党が掲げている、「自立支援型介護」の先鋒隊となるプロジェクトだろう。

 

これは期待できる。しかし、誰が(どの職種が)プログラムするのか?が一番の焦点になるだろう。(POSにやらせて~。寝たきり減るよ~確実に)

 

介護、福祉分野の職種がプログラムに参加すれば、「お世話する介護」からの脱却は不可能となるだろう。また、介護支援専門員がAIの出したケアプランを変更できるとしたら、「お世話する介護」が横行しAIは形骸化する。

 

介護保険サービス中毒利用者」を生産し続けている現在のケアプランの在り方に一石を投じる結果となればいいのだが・・・まぁ。寝たきりになるのはケアプランだけが原因ではないが、大きなリスクファクターになっていることは確実である。

 

ガンバレAI。もう人間(※現時点において多くの介護支援専門員の立てるケアプラン)では寝たきりを止めることができず、どうにもできないのでお願いします。

 

(*- -)(*_ _)ペコリ

 

※現時点でと注釈を入れたのには理由がある。昨年度より、介護支援専門員の教育制度が変更した。まだまだ、中身が薄い状態だが、それでも教育時間の延長は有用である。

(昨年度から開始したばかりなので、時間つぶし的な内容は否めない。実習もバイザー教育ができていないので、形骸化している。受講者がある一定の教育を持っており、バイザーの弱点または、強味を判断できるのであれば勉強にはなると思うのだが・・・。ケアプランや介護支援専門員の仕事は学問体系ができていない。そこが一番の弱点である。「ケアプランに正解はない」を講習で講師が繰り返すのは裏を返せば、自立支援が形骸化していることを受講者に植え付けているに過ぎない。)

医療(医学)に対する教育をもっと入れなければならないが、以前のものと比較すれば格段に水準は上がっている。私も含めて現状に危機感を持っているケアマネもいるが、もっとマジョリティーにならないと、AIに仕事を奪われる結果となるだろう。介護支援専門員でもある私としては、今後に期待である。

 

課外活動


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お題「課外活動」

 

高校一年春のことである。悪友Tから電話がかかってきた。

 

「バンドやろうぜ」

 

という内容の話だった。当時は、バンド全盛期。ボウイにブルーハーツバービーボーイズと人気アーティストがメディアを賑わせていた時代。

 

その当時、まことしやかにふんわりと高校生男子の中で流れていた怪情報があった。それは、

 

バンドマン=女にもてる。

 

と言う図式だった。

 

元来、女好きで名を馳せていたTもその噂にどっぷりつかってやろうという計画だった。Tの熱心な勧誘にとうとう根負けした私は、バンドを始めることになった。

 

15歳から初めて20歳まで、何じゃかんじゃでバンド活動を続けることになった。でもここで断言しておこう。私は、バンドをやったからって一切女子には持てた記憶がない。つまり、結論。バンドマン=女にもてる。という当時のうわさは、嘘だったということが証明されている。(´;ω;`)

 

21才のころ、Tから電話が入った。

 

「俺のサークルで、男子が枯渇してんだよ、頼むからイベントに来てくれよ」

 

と言う内容の電話だった。当時Tは大学でイベントサークルとやらをやっていて、ことあるごとに、ダンスパーティーだのクリスマスだのとイベントを開いては、女子に囲まれることを生きがいにしていた。

 

彼らイベント執行部の引き立て役となる男子がイベントでいつも枯渇していたので、しょっちゅう呼ばれていた。そりゃそうである。執行部の男子目当ての女子が集まるパーティーなんぞに行って、こっちに何の得があるものか。他の男が来ないのは当たり前の現象なのだ。

 

でも、まぁ、ただ酒飲ませてくれるというので、ホイホイイベントには参加させていただいていた。

 

25歳のころTからまたよく電話がかかってきていた時期がある。

 

その当時「キャバクラ」なるものが、世の中で認知し始めたころである。昨日は、難波、今日は梅田、明日は京橋と夜な夜な「浪花キャバクラ巡り」につき合わされた。

 

今思うと私が経験してきた、女がらみの課外活動はすべてTによるものだ。Tとの課外活動で美味しい思いをしたことは一度も、本当に一度もない。しかし、Tのおかげでいろんな経験をさせてもらった。バンドもパーティーもキャバクラもTがいなければ私の人生で経験することはなかっただろう。そう思うとTには感謝しないといけない・・・のかな?

 

まぁ、私の話はさておき、あれだけ、女子に情熱を燃やしていたTは、今も嫁以外の女子にご執心である。

 

かわいい、かわいい、一人娘に( ^ω^)・・・

 

ひとりの時間の過ごし方


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お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

音楽を聴きながら、掃除、洗濯、炊事、ごみの分別、車の掃除。そこまで来たら、アイスティー(ダージリンあたりにでもしておこうか)をグラス一杯に氷を入れて、注ぎ込む。

 

仕込んだ料理を寝かせつつ。一息ついたら、紫煙をくゆらせ、読まなきゃいけない論文や書類に目を通す。

 

それが終われば、勉学。そして勉学。さらに勉学。書くべし!読むべし!覚えるべし!

 

そんなことをしていたら、一人の時間なんて、何時間あっても足りやしない。

 

飲みに行きたいよう~。旅行きたいよ~。野営で火遊びしながらウイスキー飲みたいよ~。(スエディッシュトーチが倉庫で俺を待っているんだよ~)マンガだって一気読みしたいものが何作品も溜まっている。小説も映画も。あーーーー時間が欲しい!!

 

と、雄たけびを上げたところで、勉強しましょう。来週また、テストです。

 

いかんなぁ~。勉強しようとすると、ブログ更新しちゃう。ダメだな~。

 

朝ごはん


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お題「朝ごはん」

 

朝ご飯は基本的に食べない。コーヒー一杯で終了。

 

しかし、私は朝ご飯が大好きである。食パンにバター。フランスパンに生ハム。オレンジジュースをワイングラスに注いで、ちょっと贅沢な気分を味わう。ベーコンエッグなんてものに、フレッシュサラダペンネ添え。素晴らしい。または、ご飯に味噌汁。鮭の切り身にほうれん草のお浸し。ブラボー。ワンダホー。である。

 

でも食べない。忙しい。万年睡眠不足なので、食より睡眠。また、朝ご飯を食べると太る。もろもろの理由が重なり。パス。

 

でも、朝ご飯好きの私は、旅に出かけるとここぞとばかりに朝ご飯本位で旅館やホテルを選ぶ。ホテルピエナ神戸。ホテルニューグランド杉乃井ホテル。等々、いやー思い出しただけでも、よだれが出ちゃいますね。

 

私は朝ご飯が大好きである。でも食べない。(笑)

貯金の方法


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お題「貯金の方法」

 

「貯蓄」って思って貯金をしたことがない。纏まったお金が必要な時って、大体決まっているので、逆算して使っていれば、何とかなる。

 

目的もなく、唯々、お金を貯めることを趣味にされている方からすれば怒られると思うが、余った分が結果的に貯蓄になる。それで、何が悪いのだろうかと思ってしまう。

 

私が嫌いな言葉の中に「もし」がある。職場でも「もし」「もし」と繰り返して変革を嫌う輩が多い。「もし~」になった時の対応策を一切持たず、ただ単に「もし」を繰り返す。対応策を持たない「もし」はヤカラでしかない。

 

なので、私は「もし」をあまり考えないで生きている。「もし」はきりがない。「もし、ケガをしたら」「もし、病気をしたら」「もし」・・・「もし」。無限ループである。

 

ゆえに、普通に生きていて溜まった分で何かをする。それでいい。

 

着道楽もない、博打もしない。旅とお酒をこよなく愛するが、旅だって忙しくて年に数回もいけない。酒もいい日本酒に出会わなければ、何週間も飲まないときもある。食事だって、野菜を山盛り頂く機会が多いので、急いで消費しなければならず、結果的に菜食主義みたいな生活になっている。(ちなみに今はゴーヤ地獄に陥っている(笑))

 

「米、醤油、塩」と同等の必要物資以外は、使うところがあまりない。

 

厳密に言うと必要物資の中には、立ち飲み屋代、百均代(趣味なので)が入っているが、まぁ、散財するほどではない。

 

つまり、生活水準(出資)と収入の収支が適合していれば、勝手に貯金はできるというお話です。短い人生(たかだか100年)無理して貯金なんて、ナンセンス~。とひそかに思っている。。「雨風しのげる、畳二畳。一日米二合、味噌半合」まぁ、それだけありゃ、人なんて生活できちゃうんだから。(笑)

 

 

ここで一句

お題「ここで一句」

 


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とても印象的だった、一句を紹介しようと思う。

 

私が病院からの出向で、特養(特別養護老人ホーム)に行っていた時のお話。

 

特養と言えば、まぁ、誤解を恐れずいうなれば、いわゆる、現代版姥捨て山。一度入れば死ぬまで出ることのできない、無期懲役老人収容所である。

 

そこに入所されていたご老人が私に言った一句が何十年経った今でも忘れられないでいる。

 

「ナースは朝来て昼帰る。医者は昼来て、昼帰る。息子は今来て、今帰る」

 

う、上手い!!

 

心に残る一句でした。いや、心に刺さる一句です。

 

誰にも信じてもらえない体験

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 


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21歳の時である。

 

役者仲間の一人が、ショットバーをオープンしたというので、祝いに駆け付けた時のお話。

 

バーは盛況で20人も入ればイモ洗いぐらいのスペースの店に30~40ぐらいすし詰め状態だった。どうにか人の波をかき分けて花束をオーナーに手渡し、早々に店を出た。

 

仕事帰りと言うこともあり時間は夜中の12時ぐらいだった。私は足早に車に乗り込み帰途に就いた。

 

いつものなれた近所の府道である。一本道で二車線。何もない比較的走りやすい道である。いつもの通り、普通に車を走らせていた。信号も何もない一本道で、急にハンドルがガタガタとぶれ始めた。

 

な、なんだ!?

 

私は、状況が呑み込めず、必死にハンドルを右往左往させて車を立て直そうとした。しかし、ハンドルがまるで生き物のように勝手に動き、制御できない。

 

とうとう、車は一回転してしまった。当然私はパニック状態。後続車がいればあわや大惨事である。どうにか暴れ馬のようなハンドルを力ずくで制御してようやく車を立て直すことができた。幸い後続車もなく、大事に至ることはなかった。

 

なんだったんだ、今の・・・

 

踊りまくっている心臓を落ち着けながら、無事家に就くことができた。

 

次の日、旅行に出かけているはずの母親が、日程を切り上げて、一日早く家に帰ってきた。

 

母親は家に入るなり大慌てで私に駆け寄り、20歳を超えた息子の体をパンパンと両手でたたき始めた。

 

な、なんなんだ、この異常行動は?

 

私が戸惑っていると、母親はその場にへたり込むように床に座った。

 

「よかった~。」

 

心底安心したような顔を浮かべて、憔悴したような声を上げた。

 

「どうしたの?」

 

状況の呑み込めない私は、そこでやっと、母親に話しかけることができた。

 

母親は、さっきまでの慌てた様子を一変させて、凛とした表情を作り、

 

「あんた、喪服用意しとき、今夜お通夜や」

 

と重苦しい口調で告げた。

 

思いもよらない展開に動揺しながら私は

 

「誰か死んだんか?」

 

と、構え気味に聞いた。

 

「〇〇君や」

 

母親は悲しみと同情をない交ぜにしたような口調で言った。

 

「え?」

 

私は驚いた。そりゃそうである。親戚のおじいさんやおばあさんが死んだのだと思うじゃありませんか普通。それが順番ってもんですよ。〇〇君は、何を隠そう私と同い年である。つまり21歳ってことですよ。幼少のころからともにボーイスカウトで苦楽を共にしてきた、いわゆる竹馬の友ってやつですよ。彼は別に病弱なわけでもなく、健康体そのもの、しかも頭が良くって子供のころは秀才で名を馳せ、医者にでもなろうかと言う、ひとかどの人物である。

 

しかも、母親はその〇〇君のオカンと一緒に昨日まで旅行に行っていたのである。

 

母親の話が続く、

 

「夕べな、旅館で12時ごろやったかな?おかあちゃん、全然覚えてへんねんけど、みんなで、寝ててんけど、急に起き上がって、旅館の神棚に立って、あかん、あかん。言うてたらしいねん。みんな、そんなんちょっと変に思うやん。(ちょっとどころではない)〇〇さん(オカンの名前)〇〇さん言うて私のこと起こそうと思ったらしいんやけど、なんか急に泣き出して、その場で倒れてしもたんやて」

 

なんか変なもんでも拾て食うたんちゃうかこの人は?と思いつつ、同級生が死んだ話と、オカンの奇行がどうつながるのかさっぱり、わからなかった。

 

「おかぁちゃん、もうろうとしててんけどな、みんなが、私の名前読んでるのは分かっててんけど、嗚咽が止まらへんかってん。そんでな、なんでか、ごめんな、ごめんな、って勝手に口が動いてしゃべりよんねん。涙は止まらへんし、何か変なこと言うてるし、うち、どうかしてもうたんかな?思ってたら、気ぃ失ってん」

 

母上はそこまで一気に話して、大きくため息をついた。

 

「それから、私がどれぐらい寝てたかわからへんねんけど、みんなに起こされて、お茶のみ言われて、お茶のんで、ちょっと落ち着いてきてん。1時ぐらいやったかな?ほな、〇〇さん(亡くなった同級生のオカン)の電話が鳴ってな、〇〇さん、悲壮な顔して、すぐ帰るいうて、帰ったんよ。私らもそんなん、じっと寝てられへんやん。せやから、一緒に帰ってきてん」

 

と言うのだった。

 

「なんでアイツ死んだんよ。事故か?」

 

私の問いにオカンは大きくかぶりを振って、

 

「自殺やって」

 

と、重々しい口調で告げた。

 

!!!!

 

「なんでよ!!」

 

私が少し声を荒げると妹が家に帰ってきた、オカンは妹と私の顔を交互に見やって、

 

「ホンマ、あんたら、アホで良かったわ~」

 

と、突然言い放った。

 

「賢い子はいろいろあんねん。〇〇君医学部目指してたやろ、今年で三浪目や・・・いろいろあんねん。賢い子は。〇〇さんには悪いけど、あんたら、アホで良かったわ~。って心底思うわ」

 

オカンの言いたいことは分かるが、学校から帰ってくるなり「アホで良かった、良かった」と、状況もわからず言われる妹君もキョトンとした顔をしていた。

 

オカンの奇行。私の車が突然暴れ始めた時間、すべて、同級生の自殺した時間帯とぴったり一致する。

 

〇〇君からの何かのメッセージだったのだろうか?

 

これが、私の誰にも信じてもらえない体験です。

 

 

 

 

 

今日の晩御飯

お題「今日の晩御飯」

 


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今日の晩御飯。いつも悩まされる今夜喰うもの。時間はない。喰う暇も惜しい。でも、おいしいものが食べたい。それが毎日毎日。これは大変な作業である。

 

そんなルーティーンワークもまぁ、嫌いではないのですけどね。(笑)

 

さてさて、今日の晩御飯であるが、今日は「親子丼ぶり」に決めている。

 

たまにありませんか、親子丼ぶりを力いっぱい腹いっぱい口いっぱい頬張りたい時って。そう、それが今日なのです。

 

今日はちょっと趣向を凝らした作り方をしてみよう。

 

作り方。

 

①まず、オリーブオイルをフライパンに一振りして、玉ねぎと鶏肉を炒めちゃいます。少し鶏肉と玉ねぎに焼き色がついたところで、「めんつゆ」とお~~にゅう~。

 

②フライパンに蓋をして少し煮詰め、玉ねぎがクタ~~っとしたら、溶き卵とお~にゅ  う~。再び蓋を閉めて、2~3秒待つ。ふたを開けたら、あつあつのご飯をどんぶりによそって、上にかけると~。

 

③ハイ、出来上がり!!5分でできます。(三つ葉なんぞを添えるとこれまた最強)

 

めんつゆは万能調味料なので、時短料理に最適!!一度お試しあれ。

 

あ~腹減ってきた。

 

居酒屋で頼むもの

お題「居酒屋で頼むもの」

 


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吉田類なぎら健壱を師匠と仰ぐ私は、時間が取れると立ち飲み屋に出かける。知らないおやじたちと「袖触れ合うも何かの縁」的な感じで無駄話に花を咲かせる。泥臭い感じがたまらなく居心地がいいのである。

 

吉田類の軌跡を追い求め、青森まで行ってきたほどである。日本全国津々浦々、人を求め地酒を求めて彷徨う。

 

方言に地元愛がトッピングされた兄さん方の会話はどこまでも心地がいい。

 

そんな中、私が頼むものと言えば地元食材、地産地消!をモットーにしているので、地元のお百姓さんが必死に磨き上げたご当地ブランド野菜やブランド家畜は外せない。

 

その土地の風土、地元愛が重なってこそのその味なのである。

 

地ビールもそうだが、そこの土地で飲むのと、お取り寄せで飲むのでは風土が違うので、味の感じ方が変わってしまう。その土地の風土にドンピシャ合ったビールなのだから、そこの土地で飲まないとだめなのである。

 

食べ物もしかり、その土地、風土に合った野菜、肉なのだから、やっぱり、その土地で食べないとだめなのだ。

 

と、持論オンパレードな理由で、居酒屋ではご当地食材を食することにしているというお話です。

 

チャン、チャン。(なんのこっちゃ(笑))

 

無駄遣い

お題「ムダ遣い」

 


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無駄遣いと言えば、とてつもなく後悔しているものがある。

 

それは・・・パチンコ。

 

公営ギャンブル。競馬、競輪。ボート。オートレース。はまぁ、いろんなイベントとかやってくれるので、たくさんのお金を捨てたが、それでも少し高めのディズニーランドに行ったと、いや行きまくったと思えば、それなりに納得できる。

 

だがしかし、パチンコだけは日本津々浦々、どこにでもあってしかも景色も変わらず、何も得るものがない。(辞めた、今だから思えることですが(笑))

 

パチンコ、スロットで幾ら負けたのかもう計算するだけでおぞましい数字になってしまう。時間と費用をあれだけ割いて何も残らない。本当に後悔しかない。

 

あれだけの時間と費用があれば何ができるか。タイムマシーンがあったら当時の私に説教を喰らわせたいぐらいだ。(絶対に言うこと聞かないだろうなぁ~)

 

まぁ凝り性の私だから、凝りに凝ったわけです。回転数、設定、等々、朝一でパチンコ屋に入って、何も打たずに店員さんのように当り台をチェックして回るわけです。朝昼晩とチェックして回り、店のパターンを割り出す。または、その日一日のパターンを割り出して、厳選に厳選した一台に座り勝負をかける。(バカですね~。時間の無駄ですね~。若さの無駄遣い!!一人、思いだし怒りしてきた。己のアホさ加減に)

 

そこまでやって、一年トータルでトントンだったら、いい方で、負けていることの方が圧倒的に多い。それでも、なぜかパチンコをやめることができなかった。

 

それが今ではすっかり、辞めることができた。一昔前だったら、パチンコ屋さんのネオンを見れば、条件反射的に吸い寄せられていたのに、今では、メガスルーである。

 

何だったんだろうな~。あの煮えたぎるようなパチンコ熱は。今ではもう思い出すこともできない。

 

不思議なものです。

夏に食べたいおやつ

お題「夏に食べたいおやつ」

 


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夏に食べたいおやつと言えば、何と言っても、かん袋のかき氷!!

 

茹だるような夏にクルミ餅が入ったかき氷を一口頬張れば、口腔内パラダイス!!

 

暑さも吹っ飛ぶ、大阪泉州のソールフード!!

 

お土産に壺クルミを持って帰れば、そこのお父さん!家族の人気者・ヒーローになれること必至。

 

一度お試しあれ。

 

かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。

 

安土桃山時代に、豊臣秀吉大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。

くるみ餅の出来た頃


室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。

氷くるみ餅


明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。

 

二十七代 かん袋主人