GOMAXのブログ

楽しいお話を書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。

歩く理由。

「専門性と両立かああ わかりやすい 表現で 難しいことを書いてくださる と ハートフルなのではないだろうか?」

 

とコメントをいただいたので、それやってみようと思います。

 

例えば「歩けない」患者さんがいたとします。

 

歩けないので移動手段は、車いすに乗っているとします。

 

生活期のリハビリテーションにおいては、歩けない原因を探り、「歩く理由を」確かめます。

 

ここが重要ポイントです。

 

なぜ歩かなければならないのか?を考えていただく。

 

これが病院治療と生活期治療の大きな違いである。

 

施設に死ぬまでいるのが決定している人が「自分の足で歩く理由」皆さん考えてみてください。

 

施設では屈強な介護士さんたちが上げ膳据え膳で、着替えやお風呂等すべて本人が、何もしなくてもやってくれます。歩かなくても車いすに乗せ換えてくれて、すべて運んでくれます。何もする必要はありません。

 

さー。シンキングターイム。

 

カチカチカチ、チーン。

 

どうですか?見つかりました?

 

「盆正月に家に帰るので、歩けなければ困る」

 

と言うのなら理由がある。しかし、死ぬまで家に帰れない人は?理由がなければ、人は努力できません。

 

東大に入る理由もないのに、東大に行け!!勉強しろ!!といきなり他人に言われてもびっくりしちゃいますよね。

 

「歩く理由」が見つかれば、どうすればその理由を達成できるかをプログラムしていくことができます。

 

「歩きたい」という人の本能である欲求に対しても何故がなければ決して達成できないのである。お金だったり、労力といった、代償ももちろん支払わなければならない。

 

しかし、お金を出すのも努力も嫌。欲しいものだけくれ。と言う患者さんが多いのも現実ですけどね(笑)

 

どうですか?ハーートフルでした?

専門性があって、ハ~~~トフルなお話。

お知り合いに、「ブログは、専門性があってハートフルな記事がいいよ」と教えていただいた。

 

専門性・・・。まぁ、これはいい。

 

しかし、しかしである。この後の「ハ~~~トフル。」ちゅうのがメチャンコ難しいのである。

 

私の職業は、主に理学療法士、介護支援専門員等である。若い人もちょっとは見ますが、比率的にはがっつり高齢者よりの医療区分である。

 

高齢者区分と言うのは本当に救いがない。滅入る話ばかりで、希望がない業界である。

 

そこで、こんな面白い患者さんがいましたとさ。とか、断片的な面白エピソードを書く人は世の中に大勢いて、少々、介護のお話は過食気味である。

 

医療のお話も同様で、世間でもてはやされるドラマや小説は医療。とりわけ、医師、看護師区分である。なぜ、世間は医師の話が好きかと言うと。やっぱり、日本はお医者様教の信者が多いためであると推察できる。

 

また、病気に対しての医療ミステリー的なのも多分に漏れず好きなようである。薬や医療機器を用いたトリックなんて世間様の大好物である。

 

はたまた、若い人が病気になるととてつもない同情票が集まり、人気が高い。

 

そこに持ってきて高齢者医療のお話は世間様に人気がない。

 

では何故だろう。

 

それは・・・・。もう世間が60過ぎた人間のことに興味を持っていないからに他ならない。

 

「年だからしかたない」という、諦めで蔓延している。

 

しかし、寿命が延びに延び、これからも伸び続けるだろう。

 

60や70なんて、まだまだ、ひよっこだ。的な時代に突入しているにもかかわらず。

 

「しょうがない」が蔓延していて、医療でせっかく拾った命を無駄にしている。

 

あーーーーもったいない!!!

 

と、憂いてみても誰も興味さえ持たない。

 

「そんときは、そんときだ」

 

と、年を取ることを見ないようにしている青年期、中年期の人も多い。

 

ひどいのになると「私はそんなに長生きしないから」と夢のようなことを言う若人も少なくない。

 

高齢者医療は、いくら障害を治しても、喜ぶのは本人だけ(私はそれで十分なんですけどね)。しかし、医師や看護師、はたまた家族からは迷惑がられ、怒られる。

 

「若人に迷惑かけずに早く死ね」と世間が大合唱しているような状態である。

 

そんな、なか

 

ハートフル。ハ~~~トフルねぇ。

 

か、考えてみます・・・・。

 

 

「夏の《映画・ドラマ・アニメ》」、『君が踊る、夏』

うちのオカンは、生粋の大阪人である。しかし、何故か「よさこいダンサー」として日本全国を踊り歩いている。

 

なので、私の家では、夏と言えば、よさこい。高知ヨサコイ祭り!!

 

ヨサコイダンサーの聖地、高知ヨサコイ祭り!!

 

去年まではペギー葉山も毎年参加していた歴史あるお祭り!!

 

という事になっている。

 

そんなオカンなので、『君が踊る、夏』 ヨサコイ祭りが取り上げられた映画ができたときはもうそれはそれは、オカン的には大大大ニュースである。

 

それと言うのも、実は親父殿のご実家が高知県なので、

 

「何!!高知県が舞台の映画とな!」

 

と、高知県をこよなく愛する親父殿としても、狂喜乱舞して大喜びの映画だった。

 

家族全員で、『君が踊る、夏』を鑑賞したのだが……

 

まぁ、出るわ出る。映画のダメ出し大会が始まった。

 

まず、他県の方は分からないだろうと高をくくって作っているので、地理的なカットの矛盾が多い。

 

オカンと親父殿は映画の内容より、そっちの方が気になってしょうがなかった様子で。

 

「どこの高校やねん」「100キロぐらい瞬間移動しとるがな」と不満たらたら。

 

「いや、映画なんだから、いい感じの絵面がいるんだよ」

 

と私がなだめてもご両親たちは聞く耳を持つはずもなく、

 

「せやけど、これおかしいやんけ。高知市内から自転車でなんで、四万十川までいっとんねん」

 

とてんやわんや。

 

まぁ、まぁ。どう、どう。

 

と両親をなだめるのに一苦労した夏の映画の思い出でした。

 

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岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」

ルポライター中村 淳彦の記事があまりにも言いえて妙だったので、シリーズで紹介。正にその通り。スタンディングオベーション並みの記事です。

 

私以外にもちゃんとわかっている人がいるんだ~。と嬉しくなっちゃったので、ご紹介します。

 

本当に現実は以下の通りです。心理学でいうところの楽観の法則に従い「そんなはずはない」と夢を以っておられる方もおいででしょうが、現実は現実。じっくりと熟読してくださいね。

 


また、介護施設高齢者が死亡する事件が起こった。
岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で今年(2017年)7月末以降、入所する高齢者男女3名が死亡し、2人がケガをしていることが判明。8月17日から県が立ち入り調査をはじめ、県警は事件と事故両面の可能性があるとして捜査を続けている。
「介護=ブラック」はもはや一般常識だ。2000年に介護保険制度が始まり民間に渡された介護は、一時は業界全体が潤っているように見えたものの、圧倒的な人材不足を皮切りに人材の劣化、施設内での虐待や窃盗、ついに2014年には殺人事件が起こる事態にまで転落した。
私が2008年から2015年まで経営していたデイサービスでも、開業当初からまるで地獄絵図のような出来事が常態化し、結局は廃業せざるを得なくなった。私の事業所では「中年童貞」職員が跋扈し、職員同士のセクハラやパワハラは当たり前、逆恨みした介護職にストーキングされたり、失踪する女性介護職もいた。
介護は確かに重労働でキツイ仕事だ。その上低賃金という問題もある。外とのつながりの薄い、小さなコミュニティーのなかで安い給料で仕事をしていれば、人格が壊れたり、精神疾患になったりということもある。しかしそれにしても度を超えた酷すぎる7年間を振り返り、なぜここまでの惨状に至ったのかと考えていくなかで、ある介護フランチャイズの大手企業に思い当たった。
介護の「カ」の字も知らなかった私は事業開業前に、株式会社日本介護福祉グループの前身である(株)フジタエージェントが主催する「介護施設の管理者研修」を受けた。そこで私は施設運営のノウハウや介護を学んだと同時に、人手の足りない介護業界は、長時間労働が「当たり前」と示唆された。
その詳細はhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/48578で記事にしているので省略するが、人材が劣化した一因はこの介護ベンチャーが象徴しているのではないかと思うようになった。
当時、グループの代表取締役会長を務めていた藤田英明氏は「介護業界の風雲児」と呼ばれ、民営化した介護業界のカリスマ的な人物であった。だが一方で自己啓発セミナーまがいの「ポエム」で人材を集める「介護甲子園」のスポンサーであることを知り、疑いを深めた私は取材を重ね介護職への「ポエム採用」の実態に迫るルポを書いた。
今年に入ったある日、その藤田氏から「介護業界はもう末期的な状態です。今のままだと立ち直りようがない。自分の力だけではどうもならないので距離を置きます」という連絡が入った。あれほどまでに「介護から日本を元気に」と言っていた藤田氏にどんな心境の変化があったのか、彼の話を聞くことにした。
白紙の履歴書が送られてくる
中村 国民の3人に1人が65歳、5人に1人が75歳となる2025年問題は、もうずっと日本の課題として認識されてきた。そのために国は2000年4月に介護保険制度をはじめて、超高齢社会を迎えるための準備をしようと頑張ってきたけど、もう限界です。異常な人手不足を筆頭に問題だらけ。
藤田 今の介護業界を取り巻く環境は、あまりに酷い。人材が集まらない上に、たまに履歴書が送られてきてもプリクラが貼られていたり。名前だけの白紙の履歴書とか、エンピツ書きとかザラです。応募があったから丸1日面接を組んでも、誰1人来ないとか。それでも人手不足だから、能力に期待せず誰でも入れざるを得ない。それが嫌ならば、施設をたたむしかない。そんな状況です。
中村 藤田さんを含む介護ベンチャーの経営者層は人材不足に焦り「低賃金」「重労働」を「夢」や「絆」に置き換えて、従業員のやりがいを搾取する「ポエム採用」に乗りだした。しかしそれも通用しなくなって、焼け野原みたいな現在があると。当時のその「人の集め方」について藤田さんは今どう思っているの?
藤田 当時はマスコミの過剰な報道によって浸透した「介護は3K」という一般的なイメージを払拭するのが目的だった。ただ、3Kであることは事実だし、そんなことをしても人材が確保できない上に、2015年には介護報酬の本格的な削減が始まって、このままでは社会保障としての介護は本当にダメになると思った。
「介護甲子園」は確かにイベント創設時のスポンサーではあるけど、お金を出して欲しいと頼んできた主催者が「感謝、感激、感動」などの稚拙なキラキラ言葉を駆使した宗教紛いのイベントをやるとは思っていなかった。ご指摘の通りにポエム的な採用をしてきた僕自身も、あれは気持ち悪いし、正直一緒にしてほしくない。


当初は介護業界を元気にして、介護職たちの技術向上になればという気持ちからスポンサーになったけれど、結果として人材の質が上がるワケでも、業界全体が潤うワケでもなかった。それどころか年々酷くなるばかり。それを実感したから僕個人だけ方針転換した。続けるのは無理だと思ったんです。
中村 彼らが介護職を思考停止させて低賃金で働かせることを目的に「高齢者のありがとうが報酬です」みたいな方向に持っていきたいのは、もう透けて見える。
藤田さんを含むベンチャーの経営者層が、自己都合で苦し紛れな美辞麗句をまき散らした結果、介護に集まってくる人たちも一定数いたのは確か。介護は人が人を支援する仕事だから、入所者と介護職が疑似家族みたいになりがちで、チームワークで業務が成り立つ部分も多く、希望や絆といった綺麗な言葉と相性がよかった。思惑通りに“夢”とか“スイッチオン”とか“未来を創る”といったポエムは今でも蔓延している。
藤田 稚拙なキラキラ言葉で集まるのは、意識高い系やメンタルの弱い人が多い。面接でどうして介護をやろうと思ったのかを訊くと、「おばあちゃんと接していると癒されるんで」みたいな。いやいや、君が癒されるために仕事をするんじゃないんだよって。そういうレベル。
中村 このままでは本当に介護崩壊すると伝えているけど、大きな理由の一つは精神的に難を抱える介護職が多すぎること。
以前僕が運営していたデイサービスでは、カッとなってすぐに暴力をふるう男性の介護職や、突然失踪した女性の介護職などさまざまいて、彼らに振り回され続け疲弊し生き地獄を見た。
不健康な人は自分のことで精一杯なのと、安定して規則正しい生活を送れないので、高齢者の生活をつくる介護には向かない。
僕の実感だと、不健康な人は全体の少なくとも1割、多かったら3割くらいはいるでしょう。いま介護職は約170万人いると言われています。その3割だとすると最大推定約50万人だよ。

藤田 介護保険前は行政が介護が必要と認めた人に対する行政処分として介護サービスを提供する、措置制度が敷かれていた。職員の給与は租税方式で徴収した税金でまかなわれ、給与も公務員に準ずるくらいの賃金だった。
けれども、2000年の規制緩和で民間に介護が渡されると、ニチイ学館コムスン、ベネッセ、メッセージといった企業が事業展開、さらに不景気の煽りをうけた「介護」を知らない経営者をはじめあらゆる人たちがどっと参入した。
そうなると、当然人材が足りなくなる。事業をまわすために、誰でもいいから採りたいという経営者側と、介護職の基準に達していない人材が集まり劣化した。
中村 2005年あたりまで介護保険制度にあやかる、ヘルパー2級の資格ブームがあった。介護にたくさんの人が興味を持ったのに、介護業界は高齢者の生活の質の向上を煽るばかりで介護人材を大切にしなかった。介護職を使いたおし潰しまくって、産業として発展する大きなチャンスを逃した。
措置制度時代の優秀な福祉人材や、介護に興味を持った一般人たちは、その状況にうんざりしてみんな逃げた。もう今の惨状は自業自得。その後は不景気による失業者と不健康な人たちが入職者のメインとなって、今は彼らが介護現場の中心になっている。
藤田 ヘルパーはハローワークの支援制度を使えば無料で取れる上に、要件を満たせば受講給付金までもらえる。

 

つまり国がお金を払って量産したヘルパーたちが2009年あたりから出始めて、その後介護福祉士、実務経験の5年をつんで今はケアマネジャーになっている。

 


そもそも介護職を目指して業界に入った人たちじゃない、「介護をする」ということに興味のない人たちが、

 

現在ケアマネジャーをやっている事態。だからまともなケアプランを作れない。

(補足:「まともなケアプラン」とはなんぞやという事だが、自立支援を促すためのケアプランである。ここで、「自立」の概念について書いておかねばなるまい。「自立」とは、独り立ち、独立。を意味する。一人で介助なしでできる。という事を目指しなさい。という事である。しかし、実際は、利用者のいいなりのサービスの垂れ流し状態で、あれが欲しい、これが欲しい、と利用者に言われれば、その通りのプランが出来上がる。いわゆる「御用聞きケアマネ」が大半を占めている。まともでないケアプランとは、利用者やその家族のいいなりにケアプランを立てることを言う。しかし、まともでないケアプランを作っているケアマネたちにももちろん言い分はある。介護保険の根幹となる介護保険法に「利用者本位」と言う文言が書かれているからである。この言葉をそのまま受ければ、「御用聞きで何が悪い」と言う理屈が正当化される。しかしその結果。寝たきり、認知症高齢者が大量生産される。その現実に対して「御用聞きさん」たちはこぞって「年だから仕方ない」と平然と言ってのけるのである。私に言わせれば、寝たきりも認知症もケアプランが招いた人的被害以外の何物でもないと思っている。しかし、まったくケアマネにペナルティがないので、やりたい放題になっている現実がある)

 

そういう問題も起きていますね。

元株式会社日本介護福祉グループ代表理事会長の藤田英明氏

中村 ケアプランが作れなければ、現場も機能しない。

 

いまやそんな量産された人たちが専門学校や初任者研修の講師をしている。

 

量産された人たちの中には、もともとケアに対する意識が薄い人たちも多い。ケアへ心構えのない人たちが教えれば当然、同じタイプの介護職がさらに増える。

 

介護に向かない人材の量産体制が常態化する。


藤田 介護保険制度が敷かれる以前の措置時代にいた人たちと現在の介護職とでは、本当に人材の質はまるっきり違いますよ。昔の介護職は介護職になりたい人たちが大半だった。だから勉強もする。自分のスペックを上げようとする姿勢があった。今はそんな話はほとんど聞いたことがない。
中村 国の雇用政策が大きく影響したね。国が介入した瞬間から産業に歪が生まれて、最終的に崩壊まで壊れる一部始終を初めて眺めて驚いた。ビフォーアフターで本当に全然違う。
介護現場は社会保障費の削減という国策に巻き込まれ、失業者の生活保護の代替として利用された。それが決定的な原因となって、絶望的な現状を迎えてしまった。もうやり直すには規模が大きすぎて動かしようのない状態にまで陥っている。
若者はみんな逃げるべき
藤田 僕個人が起業した2004年ごろから3年くらい前まで、介護業界の発展のために「若者を介護職へ」と謳った。それは最初、自社のためではなく、社会にとって本当によいと思ってやっていた。
けど少子高齢化で、生産人口が少なくなるなか、日本はGDP600兆円が目標と言う。「国の売上」を上げていかなければならないのに、若者を生産性のない介護で働かせていいのかって自省的に考えるようになったんだよね。
中村 国は1ヵ月暮らしていけるレベルの賃金を介護職に支払うつもりはないでしょう。若者はこれから何十年も働かなければならないので、本当に介護職はやめた方がいい。自分の人生潰すことになる。
やり直しの利く20代の介護職は全員、今すぐに辞めたほうがいいし、介護を専門にする学生だったらお金を返してもらって他業種の養成学校に転校したほうがいい。若者は生産して納税するのが社会貢献だよ。
藤田 僕もいまの現状を見る限り若者に介護職は勧められない。でも介護職の人手不足は何とか解決しないといけないのも確か。そんななか、外国人技能実習制度に介護職種を加えることが決まった。働きながら日本の介護職の技術を学び5年したら帰国するという建前で11月にベトナム人が1万人くる。
中村 失業者の次は、本格的な外国人の受け入れですね。2008年からの経済連携協定EPA)では、候補者は人材マッチングにより選定され、訪日前と後に半年~1年程度の日本語研修経てやっと受け入れ施設で働くという厳しい基準があった。
でもこれから始まる外国人技能実習制度は、発展途上国地域の経済発展の人づくりに協力するという趣旨で見直された制度で、日本語のレベルも低く政府のバックアップ体制もない、つまり簡単に言えば労働力になってくれる外国人は誰でも受け入れるという制度。
日本語がほとんど話せない外国人が慢性的に忙しい介護職に就いたら現場はさらに混乱する。労働組合は賃金のさらなる低下を危惧して外国人の受け入れに反対だし、保守系の人は未来の日本に日本人がいなくなると憤る。
2016年にはこの制度を使って日本に入国した中国人が5年間で1万人も失踪、不法残留や資格外活動をするケースも多いと話題になった。実習生は人件費が日本人と比べて安いことから、空き巣などの窃盗罪で逮捕されるケースも多いという。

藤田 介護業界の一部の“意識高い系”はセミナーとか、コミュニティカフェをやっていて、そこで僕が介護業界が直面している問題を投げかけても、彼らは基本的に介護業界の惨状は見たくない、聞きたくないといって話をずらす。「どこにも問題はないこと」が基本姿勢です。
さらに自分たちは素晴らしい、介護は素晴らしいといった自画自賛の話ばかり。目の前には問題が山積みなのに業界内ではそれを誰も議論しない。介護業界全体にそんな雰囲気が漂っています。
中村 2014年には神奈川県川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で起こった連続殺人事件は、介護業界の問題が凝縮した大事件だった。逮捕された今井隼人容疑者は同所で認知症高齢者3人を突き落とし殺害。今井容疑者は施設内で窃盗したとして、この事件発覚前に解雇されている。


「Sアミーユ川崎幸町」は慢性的な人手不足のため、入所者80人を2人でまわす勤務体制や15分単位で刻まれたスケジュールで現場をまわすなどの労働環境に関する問題点もあった。
でも、こんな大事が起こっているのに、僕の実感として介護関係者は誰も当事者の意識を持っていなさそうに見えた。人が殺されても何事もなかったようにキラキラした意識高いばかり話を続けて、行政もそれに乗っている。業界全体が思考停止する間に、また3人が殺された疑いのある「それいゆ」事件が起こってしまった。いったい何人殺されたら、彼らは現実を見るのだろうか。
藤田 虐待されようと、人が殺されようと、現実に正面から向き合おうとすると、介護業界全体から排除される。同調圧力もあって、業界を挙げてみんな汚い現実に蓋をするし、大きな問題からは徹底して逃げる。最近は現実をみないとダメだよって声をあげているけど、介護業界の人たちは本当に興味を示してくれないですね。
東京が認知症だらけになる
中村 介護は人材がすべて。それが崩壊したので、事態は深刻ですよ。儲からなければ産業が潰れちゃうのは仕方がないけど、介護は社会保障なのでそうはいかない。超高齢社会を考えると、介護にかんしては高齢者が諦める、高望みしないことが最優先なんじゃないかなって思う。
藤田 それは当然ある。でも国は、要介護になった高齢者をもう一度自立できる状態に戻し、施設への介護保険給付費を減らすという「自立支援介護」に方針転換している。
高齢者を地域で支える取り組みを全国に先駆けて始めた「和光モデル」、介護予防で成果をあげている市区町村を優遇する「財政インセンティブ」、日本の介護技術やケアシステムをアジア諸国の地域に輸出する官民連携のプロジェクト「アジア健康構想」と色んな計画と思惑が絡み合って、色んな人が机上で夢みたいなことを語っている。
「自立支援介護」は高齢者に対して「自分でやってもらう」ということではない。例えば排泄がうまくできないためパッドを使用している高齢者に対して、その高齢者が尿意をもよおした時、パッドを使わずトイレまでどうやったら辿り着けるのか、その方法を考え個々人の状態に沿ったケアプランを考えていくというのが本旨。介護職のスキルや倫理が求められる。

 


深刻な人手不足で、かつ、

 

まともなケアプランを作れる優秀な人材がいない、

 

その上介護報酬まで削られるとなると、どう考えても現実離れしたプランにしか思えないし、実現できるわけがない。

 

ちなみに人間の状態をよくするのは医療の領域

 

で、介護ではないですよ。

 

(補足:多くのケアマネは自分たちのわかる範囲(福祉領域)のみでやりたがるので、医療を排除して、「優しい気持ち」のみでケアプランを作る。結果的に寝たきり、認知症高齢者を大量生産することになっている)


中村 今の介護現場は本当に仕事に対する意識も能力のレベルも低い人が多いので、時間通りに出勤して誰とも喧嘩をしないで一日平穏に終える、ことすら危うい。
藤田 現在、介護職の就業者数はおよそ170万人もいと言われてる。彼らが失業するとなると社会的なインパクトも大きいし、これからも高齢者はどんどん増え続ける。もうやり直す余裕ない。
さらに社会保障の縮小、社会保障費の削減に国が必死になっているので、高齢者に対するケアの体制が整う状態に立ち直るのは本当に難しい。今は要支援1、2が保険適応外で、要介護1~要介護5までを保険でみようってなった。
今の介護人材の質や人手不足の状況を考えたら要介護1、2の認知症高齢者を介護保険でみるのは難しい。本当に丸くおさまる案がない。

中村 そもそも介護保険制度は、誤解を前提とした制度設計。実際はまだ歩ける認知症高齢者の要介護1、2の介護が一番難しい。要介護4、5のように寝たきりになっちゃえば、徘徊をしないので介護はしやすし、労力も少ない。
今の介護保険制度では要介護1、2の支援は継続になっているけど、これから近いうちに要支援だけではなく、要介護1、2までを切ることも充分ありえる。要介護3~5だけが介護保険適用になるという。
藤田 要介護1、2を制度から切り離したらそれこそ社会全体が大変なことになりますよ。
以前、要介護認定の厚労省の担当者に実際は歩ける認知症の人が一番大変、だから認知症の介護度1、2を高く評価して社会保障費をあげないと、実態に合いませんよって伝えた。でも厚労省の人には認知症高齢者の介護の実態が伝わらない。「歩ければ、移動が楽でしょう」というまったく危機感のない返答だった。
中村 寝たきりの高齢者こそ縮小して在宅、歩ける認知症の多い要介護1、2を重点的に施設介護するほうが合理的だし、理に適っている。
藤田 重度の人はヘルパーが訪問してそれこそ入浴や食事、排泄介助をすればいいだけだから、在宅でいけるよね。
中村 計画通りに将来的に要介護1、2を制度から切り離したら、当然の結果として街中が認知症だらけになる。本当に大変なこと。路上に遺体が転がるし、車の徘徊で子供が殺されるし、線路には高齢者が自宅を求めて彷徨う…といった絶望的な状況が常態化する可能性すらある。冗談ではなく、国の機能が麻痺するよ。
藤田 2020年のオリンピックのときは、もう東京が認知症高齢者で溢れかえり外国人が衝撃受けることも考えられます。大袈裟ではなく、身元のわからない高齢者の死亡のニュースが連日連夜報道されることもありえる。
ただこの状況を変えていこうとしても、本当に手がない。その現実は介護関係者ならば簡単に想像がつくはずなのに、わかっていても、臭い者には蓋、見ないようにしているか、言わないようにしているか、考えないようにしている。もう本当の崩壊に向かっていますよ。

今週のお題 「カバンの中身」

今週のお題「カバンの中身」

 

カバンの中身とな?

 

まずは私のカバンから説明せねばなるまいて。

 

45リッターリュックである。一見登山家さんですか?と目を疑わんばかりの大きなリュックサックをいつも背中にしょって移動している。

 

何をそんなに持って歩いているのか?とよく聞かれる。

 

中身を説明しよう。

 

まず、白衣。各種鍼(1号鍼から5号鍼、顔鍼、円皮鍼等々)を10本づくくらい。シャーレ、消毒用綿花。艾。線香。爪切り。やすり等を入れた。バックが入っている。つまり、カバン in カバンですね。

 

次に教科書(解剖学、生理学、病理学、運動学等々)教科書を持ち歩いていないと落ち着かないんですね~。付属品として、ノート、筆箱ですね。この筆箱がまたデカい。付箋やノリ、ハサミ、ホッチキスとやまもり~。

 

次にノートバソコン。付属品

 

 

最後に仕事や勉強の資料山盛り。

 

後は、整容道具バックですね。中身はスケルトンブラシ、歯ブラシ、歯磨き粉、ワンデイコンタクト、ケーブ携帯用。日焼け止めスプレー(サラサラ日焼け止めスプレー。最近のお気に入りグッズです)髭剃り、ムダ毛カッター(電動です)これも、バック in バックですね。

 

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後は、寄る年波に抗うことができず、じょじょ~に大きくなっていく、ドラックケース。

 

 

Tシャツの着替え(稀勢の里Tシャツが最近のお気に入りなのだ。)

 

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てなところですかね~。携帯、タバコ(最近IQOSにした)も入ってますね~。IQOSのタバコは短くて、消費量が多いので、常に5箱は持ち歩いていますね。

 

はたまた、こんなどでかいリュックサックで飲みに行くのはいやだから。飲みに行く用のボディバックも忍ばせている。

 

いや~。改めて書き上げてみると。大量だね~(笑)

 

 

 

 

 

今週のお題「高校野球」

今週のお題高校野球

 

高校野球の思い出を書いてみよう。正直言って、私は野球に対してまったくもって興味がない。

 

だが、今までには、甲子園や大阪球場、東京ドーム、広島球場と数多の球場で野球観戦をしてきた。アメリカで大リーグ観戦も楽しかった。

 

しかし、しかしである。野球に対して興味はゼロ。

 

そんな私の「高校野球」の思い出・・・。野球に関しては全く覚えていないが、高校野球を見ていた人たちはよ~く覚えている。

 

私がまだ小学生の頃、桑田や清原がPL高校に在籍していて優勝しただかしないだかで、友達のおばあちゃんがハンケチ片手に号泣していたのをよく覚えている。(意味が全く分からなかった)

 

また、高校野球と言えば、親戚のおじさんを思い出す。叔父は高校野球の時期になると、長期休暇をとり、朝から夕方まで、高校野球をテレビで観戦する。朝一からビール片手に、ランニング、ステテコ姿でプシューっとやる。

 

腕枕でテレビの前に横たわりながら一日中高校野球を見ていた。

 

大人たちをここまで熱狂させる「高校野球」とはなんぞや?

 

と不可思議にいつも思っていた。

 

そんな幼少期を送っていた私もお年頃となり、中学三年生。高校を選ばななければならないという時節柄となった。中学の担任の先生が私に提示した高校が今まさに甲子園で野球をやっているとのことだった。

 

甲子園にも野球にも全く興味のない私だったが、なぜか甲子園出場校に入学する羽目となった。しかし、私が高校に在籍していた3年間で野球部が甲子園に出場することはなかった。

 

高校野球」に熱狂する人たちの気持ちが未だにちっともわからない。

 

でも、野球を観戦して一喜一憂している人を見るのはちょっと好きだ。阪神が負けると腹を立ててテレビをひっくり返す人とか、カープが負けるとテレビの前で、ガクッと膝を折って号泣する大人とか。ちょっといないですよ~。横で見ていると、野球ファンの人って、なんだかとってもエンターテーメント。面白いんですよね~。

タブーをぶっ潰せ。タブーこそ面白い。


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読もう読もうと思っていた作品をついに読みました。

 

聖☆おにいさん」 荒れ狂うナンセンスの濁流。いや~いつか熱狂的な信者から刺されますよ。と思いつつ、無宗教国家日本。いや、なんでも取り込み可能なムシュウダ日本人に乾杯。

 

誰もが思いついていても、それは書けないだろうと、いや書いちゃいけないだろうと思っていたことを事も無げにウリャと書いちまった作者渾身の作品。

 

「江戸ムラサキ特急」並みのインパクト! やっちゃいけないなんて、通念に囚われていた私が恥ずかしい。

 

 

知らない人にちょっと紹介。母ちゃんの脇の下から生まれた奇跡の御仁と処女なのに子どもを産んだ奇跡の母親を持つ子どもが東京都立川市でアパートをシェアリングして休暇を楽しむ。といった塩梅のお話。

 

世界的ビックネームを著作権料なしで主人公にしちまった大胆不敵さがたまらない。 少子化社会で檀家確保を喫緊の課題と迫られた、大乗○教系のどこかとプロテス○○かカトリ○クのえらいさんがブレーンになっているんじゃないの?と思わされるほどのネタの細やかさ。 どこぞの檀家さんや洗礼を受けた皆さんも一読してみてはいかがだろうか。

 

ブッダとキリストが神社でおみこし担いでいるなんて、なかなかにシュールで面白い。 いや~思い込みで委縮してちゃいかんな~と思わされた逸品でした。

 

「心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは心得たるなり。弥陀の御たすけあるべきことの尊さよ」

 

ですな~。

アイスな日々

今週のお題「好きなアイス」

 


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好きなアイス。子供の頃の定番アイスと言えば、「王将アイス」「ソーダーアイス」「ホームランバー」どれも駄菓子屋で帝王の座に君臨していたアイスたちである。1本三十円。この絶大な費用対効果が子供たちのハートをゲットして離さなかった。そして値段の安さの割に美味しいと来ている。夏の定番アイスである。平素は30円アイスを軸に、考える。

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お金のないときは、「チューチュー」をセレクト。「チューチュー」は何と10円で売っていた。今では考えられない価格である。

 

親戚の叔母やおじいから特別ボーナス(お小遣い)をもらった時は、「ガリガリ君」を筆頭に挙げられる、50円アイスをご購入。

 

もうどうしちゃったんだ???おいらの財布に天変地異が起きた!!

 

ぐらいの衝撃金額が天から舞い降りたときのみ買うことができる。「ピノ」「パピコ」等のひ、ひゃ、100円アイス!!(一口頬張れば、気分は王様、大名、大富豪!もうこの世の極楽。)

 

とまぁ、アイス一つに情熱を燃やす少年時代だった。

 

レディーボーデン

 

「一日、スプーンで「2すくい」しかあかんで!!!!!!」

 

と、オカンに言われていた頃が懐かしい。

 

「大人になって自分で稼ぐようになったら、レディーボーデンの大きい方を買って、兄弟で分けずに大きなスプーンで腹いっぱい喰らってやる!!!」

 

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と、子供のころ決意したものです。

 

「オカン!!アイス冷凍庫に入ってるって言うたやんか!!「バナナ」ラップで包んだんはアイスちゃう!!!!!」

オカンに食って掛かる私。

 

「お兄ちゃんが、パピコ2個喰いしよったーーーーー。お母さーーーーーん!!お兄ちゃんシバイてーーーー!!!!」

アイス一つで泣き叫ぶ妹。

 

あずきバーか、よりによって、あずきバーと最中アイス。なんでや、何でこのチョイスなんや、オカン」

と、冷蔵庫の前で膝を折った日々。

 

子供の頃、兄弟喧嘩しながら、一喜一憂して食べたアイスが一番おいしかった気がする。

介護×人工知能


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「介護×人工知能」、(株)シーディーアイと豊橋市

人工知能によるケアプラン作成の実証プロジェクト開始

「お世話する介護」から「⾃⽴を促す介護」へ。⼈⼯知能を使って⾼齢者の⾃⽴⽀援型介護に向けたパラダイムシフトを⽬指す。

 

平成 29 年 7 ⽉ 10 ⽇付けで株式会社シーディアイと愛知県豊橋市人工知能(AI)によるケアプラン作成の実証研究を実施する協定締結をした。

 

 豊橋市が匿名加⼯した介護保険データを提供(平成 21 年度〜28 年度 約 10 万件)し、シーディーアイがケアプランを策定する人工知能を提供し豊橋市のデータを読み込むことで⾃⽴が促進されるケアプランを⼈⼯知能が学習し、この⼈⼯知能が⾃⽴⽀援型ケアプランを作成する。その後、⼈⼯知能が作成したケアプランをケアマネジャーが確認、利⽤者の個別状態に合わせて調整した上で利⽤者へ提供する流れとなっている。人工知能が作成したケアプランがどこまでリアルなニーズに応えられるのか、研究結果に注目したい。

 

寝たきりを助長する現在のケアプラン作成の在り方に国がいよいよテコ入れを始めた。自民党が掲げている、「自立支援型介護」の先鋒隊となるプロジェクトだろう。

 

これは期待できる。しかし、誰が(どの職種が)プログラムするのか?が一番の焦点になるだろう。(POSにやらせて~。寝たきり減るよ~確実に)

 

介護、福祉分野の職種がプログラムに参加すれば、「お世話する介護」からの脱却は不可能となるだろう。また、介護支援専門員がAIの出したケアプランを変更できるとしたら、「お世話する介護」が横行しAIは形骸化する。

 

介護保険サービス中毒利用者」を生産し続けている現在のケアプランの在り方に一石を投じる結果となればいいのだが・・・まぁ。寝たきりになるのはケアプランだけが原因ではないが、大きなリスクファクターになっていることは確実である。

 

ガンバレAI。もう人間(※現時点において多くの介護支援専門員の立てるケアプラン)では寝たきりを止めることができず、どうにもできないのでお願いします。

 

(*- -)(*_ _)ペコリ

 

※現時点でと注釈を入れたのには理由がある。昨年度より、介護支援専門員の教育制度が変更した。まだまだ、中身が薄い状態だが、それでも教育時間の延長は有用である。

(昨年度から開始したばかりなので、時間つぶし的な内容は否めない。実習もバイザー教育ができていないので、形骸化している。受講者がある一定の教育を持っており、バイザーの弱点または、強味を判断できるのであれば勉強にはなると思うのだが・・・。ケアプランや介護支援専門員の仕事は学問体系ができていない。そこが一番の弱点である。「ケアプランに正解はない」を講習で講師が繰り返すのは裏を返せば、自立支援が形骸化していることを受講者に植え付けているに過ぎない。)

医療(医学)に対する教育をもっと入れなければならないが、以前のものと比較すれば格段に水準は上がっている。私も含めて現状に危機感を持っているケアマネもいるが、もっとマジョリティーにならないと、AIに仕事を奪われる結果となるだろう。介護支援専門員でもある私としては、今後に期待である。

 

課外活動


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お題「課外活動」

 

高校一年春のことである。悪友Tから電話がかかってきた。

 

「バンドやろうぜ」

 

という内容の話だった。当時は、バンド全盛期。ボウイにブルーハーツバービーボーイズと人気アーティストがメディアを賑わせていた時代。

 

その当時、まことしやかにふんわりと高校生男子の中で流れていた怪情報があった。それは、

 

バンドマン=女にもてる。

 

と言う図式だった。

 

元来、女好きで名を馳せていたTもその噂にどっぷりつかってやろうという計画だった。Tの熱心な勧誘にとうとう根負けした私は、バンドを始めることになった。

 

15歳から初めて20歳まで、何じゃかんじゃでバンド活動を続けることになった。でもここで断言しておこう。私は、バンドをやったからって一切女子には持てた記憶がない。つまり、結論。バンドマン=女にもてる。という当時のうわさは、嘘だったということが証明されている。(´;ω;`)

 

21才のころ、Tから電話が入った。

 

「俺のサークルで、男子が枯渇してんだよ、頼むからイベントに来てくれよ」

 

と言う内容の電話だった。当時Tは大学でイベントサークルとやらをやっていて、ことあるごとに、ダンスパーティーだのクリスマスだのとイベントを開いては、女子に囲まれることを生きがいにしていた。

 

彼らイベント執行部の引き立て役となる男子がイベントでいつも枯渇していたので、しょっちゅう呼ばれていた。そりゃそうである。執行部の男子目当ての女子が集まるパーティーなんぞに行って、こっちに何の得があるものか。他の男が来ないのは当たり前の現象なのだ。

 

でも、まぁ、ただ酒飲ませてくれるというので、ホイホイイベントには参加させていただいていた。

 

25歳のころTからまたよく電話がかかってきていた時期がある。

 

その当時「キャバクラ」なるものが、世の中で認知し始めたころである。昨日は、難波、今日は梅田、明日は京橋と夜な夜な「浪花キャバクラ巡り」につき合わされた。

 

今思うと私が経験してきた、女がらみの課外活動はすべてTによるものだ。Tとの課外活動で美味しい思いをしたことは一度も、本当に一度もない。しかし、Tのおかげでいろんな経験をさせてもらった。バンドもパーティーもキャバクラもTがいなければ私の人生で経験することはなかっただろう。そう思うとTには感謝しないといけない・・・のかな?

 

まぁ、私の話はさておき、あれだけ、女子に情熱を燃やしていたTは、今も嫁以外の女子にご執心である。

 

かわいい、かわいい、一人娘に( ^ω^)・・・

 

ひとりの時間の過ごし方


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お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

音楽を聴きながら、掃除、洗濯、炊事、ごみの分別、車の掃除。そこまで来たら、アイスティー(ダージリンあたりにでもしておこうか)をグラス一杯に氷を入れて、注ぎ込む。

 

仕込んだ料理を寝かせつつ。一息ついたら、紫煙をくゆらせ、読まなきゃいけない論文や書類に目を通す。

 

それが終われば、勉学。そして勉学。さらに勉学。書くべし!読むべし!覚えるべし!

 

そんなことをしていたら、一人の時間なんて、何時間あっても足りやしない。

 

飲みに行きたいよう~。旅行きたいよ~。野営で火遊びしながらウイスキー飲みたいよ~。(スエディッシュトーチが倉庫で俺を待っているんだよ~)マンガだって一気読みしたいものが何作品も溜まっている。小説も映画も。あーーーー時間が欲しい!!

 

と、雄たけびを上げたところで、勉強しましょう。来週また、テストです。

 

いかんなぁ~。勉強しようとすると、ブログ更新しちゃう。ダメだな~。

 

朝ごはん


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お題「朝ごはん」

 

朝ご飯は基本的に食べない。コーヒー一杯で終了。

 

しかし、私は朝ご飯が大好きである。食パンにバター。フランスパンに生ハム。オレンジジュースをワイングラスに注いで、ちょっと贅沢な気分を味わう。ベーコンエッグなんてものに、フレッシュサラダペンネ添え。素晴らしい。または、ご飯に味噌汁。鮭の切り身にほうれん草のお浸し。ブラボー。ワンダホー。である。

 

でも食べない。忙しい。万年睡眠不足なので、食より睡眠。また、朝ご飯を食べると太る。もろもろの理由が重なり。パス。

 

でも、朝ご飯好きの私は、旅に出かけるとここぞとばかりに朝ご飯本位で旅館やホテルを選ぶ。ホテルピエナ神戸。ホテルニューグランド杉乃井ホテル。等々、いやー思い出しただけでも、よだれが出ちゃいますね。

 

私は朝ご飯が大好きである。でも食べない。(笑)

貯金の方法


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お題「貯金の方法」

 

「貯蓄」って思って貯金をしたことがない。纏まったお金が必要な時って、大体決まっているので、逆算して使っていれば、何とかなる。

 

目的もなく、唯々、お金を貯めることを趣味にされている方からすれば怒られると思うが、余った分が結果的に貯蓄になる。それで、何が悪いのだろうかと思ってしまう。

 

私が嫌いな言葉の中に「もし」がある。職場でも「もし」「もし」と繰り返して変革を嫌う輩が多い。「もし~」になった時の対応策を一切持たず、ただ単に「もし」を繰り返す。対応策を持たない「もし」はヤカラでしかない。

 

なので、私は「もし」をあまり考えないで生きている。「もし」はきりがない。「もし、ケガをしたら」「もし、病気をしたら」「もし」・・・「もし」。無限ループである。

 

ゆえに、普通に生きていて溜まった分で何かをする。それでいい。

 

着道楽もない、博打もしない。旅とお酒をこよなく愛するが、旅だって忙しくて年に数回もいけない。酒もいい日本酒に出会わなければ、何週間も飲まないときもある。食事だって、野菜を山盛り頂く機会が多いので、急いで消費しなければならず、結果的に菜食主義みたいな生活になっている。(ちなみに今はゴーヤ地獄に陥っている(笑))

 

「米、醤油、塩」と同等の必要物資以外は、使うところがあまりない。

 

厳密に言うと必要物資の中には、立ち飲み屋代、百均代(趣味なので)が入っているが、まぁ、散財するほどではない。

 

つまり、生活水準(出資)と収入の収支が適合していれば、勝手に貯金はできるというお話です。短い人生(たかだか100年)無理して貯金なんて、ナンセンス~。とひそかに思っている。。「雨風しのげる、畳二畳。一日米二合、味噌半合」まぁ、それだけありゃ、人なんて生活できちゃうんだから。(笑)

 

 

ここで一句

お題「ここで一句」

 


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とても印象的だった、一句を紹介しようと思う。

 

私が病院からの出向で、特養(特別養護老人ホーム)に行っていた時のお話。

 

特養と言えば、まぁ、誤解を恐れずいうなれば、いわゆる、現代版姥捨て山。一度入れば死ぬまで出ることのできない、無期懲役老人収容所である。

 

そこに入所されていたご老人が私に言った一句が何十年経った今でも忘れられないでいる。

 

「ナースは朝来て昼帰る。医者は昼来て、昼帰る。息子は今来て、今帰る」

 

う、上手い!!

 

心に残る一句でした。いや、心に刺さる一句です。

 

誰にも信じてもらえない体験

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 


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21歳の時である。

 

役者仲間の一人が、ショットバーをオープンしたというので、祝いに駆け付けた時のお話。

 

バーは盛況で20人も入ればイモ洗いぐらいのスペースの店に30~40ぐらいすし詰め状態だった。どうにか人の波をかき分けて花束をオーナーに手渡し、早々に店を出た。

 

仕事帰りと言うこともあり時間は夜中の12時ぐらいだった。私は足早に車に乗り込み帰途に就いた。

 

いつものなれた近所の府道である。一本道で二車線。何もない比較的走りやすい道である。いつもの通り、普通に車を走らせていた。信号も何もない一本道で、急にハンドルがガタガタとぶれ始めた。

 

な、なんだ!?

 

私は、状況が呑み込めず、必死にハンドルを右往左往させて車を立て直そうとした。しかし、ハンドルがまるで生き物のように勝手に動き、制御できない。

 

とうとう、車は一回転してしまった。当然私はパニック状態。後続車がいればあわや大惨事である。どうにか暴れ馬のようなハンドルを力ずくで制御してようやく車を立て直すことができた。幸い後続車もなく、大事に至ることはなかった。

 

なんだったんだ、今の・・・

 

踊りまくっている心臓を落ち着けながら、無事家に就くことができた。

 

次の日、旅行に出かけているはずの母親が、日程を切り上げて、一日早く家に帰ってきた。

 

母親は家に入るなり大慌てで私に駆け寄り、20歳を超えた息子の体をパンパンと両手でたたき始めた。

 

な、なんなんだ、この異常行動は?

 

私が戸惑っていると、母親はその場にへたり込むように床に座った。

 

「よかった~。」

 

心底安心したような顔を浮かべて、憔悴したような声を上げた。

 

「どうしたの?」

 

状況の呑み込めない私は、そこでやっと、母親に話しかけることができた。

 

母親は、さっきまでの慌てた様子を一変させて、凛とした表情を作り、

 

「あんた、喪服用意しとき、今夜お通夜や」

 

と重苦しい口調で告げた。

 

思いもよらない展開に動揺しながら私は

 

「誰か死んだんか?」

 

と、構え気味に聞いた。

 

「〇〇君や」

 

母親は悲しみと同情をない交ぜにしたような口調で言った。

 

「え?」

 

私は驚いた。そりゃそうである。親戚のおじいさんやおばあさんが死んだのだと思うじゃありませんか普通。それが順番ってもんですよ。〇〇君は、何を隠そう私と同い年である。つまり21歳ってことですよ。幼少のころからともにボーイスカウトで苦楽を共にしてきた、いわゆる竹馬の友ってやつですよ。彼は別に病弱なわけでもなく、健康体そのもの、しかも頭が良くって子供のころは秀才で名を馳せ、医者にでもなろうかと言う、ひとかどの人物である。

 

しかも、母親はその〇〇君のオカンと一緒に昨日まで旅行に行っていたのである。

 

母親の話が続く、

 

「夕べな、旅館で12時ごろやったかな?おかあちゃん、全然覚えてへんねんけど、みんなで、寝ててんけど、急に起き上がって、旅館の神棚に立って、あかん、あかん。言うてたらしいねん。みんな、そんなんちょっと変に思うやん。(ちょっとどころではない)〇〇さん(オカンの名前)〇〇さん言うて私のこと起こそうと思ったらしいんやけど、なんか急に泣き出して、その場で倒れてしもたんやて」

 

なんか変なもんでも拾て食うたんちゃうかこの人は?と思いつつ、同級生が死んだ話と、オカンの奇行がどうつながるのかさっぱり、わからなかった。

 

「おかぁちゃん、もうろうとしててんけどな、みんなが、私の名前読んでるのは分かっててんけど、嗚咽が止まらへんかってん。そんでな、なんでか、ごめんな、ごめんな、って勝手に口が動いてしゃべりよんねん。涙は止まらへんし、何か変なこと言うてるし、うち、どうかしてもうたんかな?思ってたら、気ぃ失ってん」

 

母上はそこまで一気に話して、大きくため息をついた。

 

「それから、私がどれぐらい寝てたかわからへんねんけど、みんなに起こされて、お茶のみ言われて、お茶のんで、ちょっと落ち着いてきてん。1時ぐらいやったかな?ほな、〇〇さん(亡くなった同級生のオカン)の電話が鳴ってな、〇〇さん、悲壮な顔して、すぐ帰るいうて、帰ったんよ。私らもそんなん、じっと寝てられへんやん。せやから、一緒に帰ってきてん」

 

と言うのだった。

 

「なんでアイツ死んだんよ。事故か?」

 

私の問いにオカンは大きくかぶりを振って、

 

「自殺やって」

 

と、重々しい口調で告げた。

 

!!!!

 

「なんでよ!!」

 

私が少し声を荒げると妹が家に帰ってきた、オカンは妹と私の顔を交互に見やって、

 

「ホンマ、あんたら、アホで良かったわ~」

 

と、突然言い放った。

 

「賢い子はいろいろあんねん。〇〇君医学部目指してたやろ、今年で三浪目や・・・いろいろあんねん。賢い子は。〇〇さんには悪いけど、あんたら、アホで良かったわ~。って心底思うわ」

 

オカンの言いたいことは分かるが、学校から帰ってくるなり「アホで良かった、良かった」と、状況もわからず言われる妹君もキョトンとした顔をしていた。

 

オカンの奇行。私の車が突然暴れ始めた時間、すべて、同級生の自殺した時間帯とぴったり一致する。

 

〇〇君からの何かのメッセージだったのだろうか?

 

これが、私の誰にも信じてもらえない体験です。