どうぶつたちへのレクイエム
写真展に行ってきた。あまりにも衝撃的だったので写真集を買って帰ってきた。
「動物たちへのレクイエム」児玉小枝さん
最後のページを閉じた時、私は肩をしゃくって泣いていた。
同書は今まさに殺処分されようとしている子(犬や猫)の最後の命を切り取った写真集である。
格子越しに見つめる彼らの瞳が脳裏にこびりつく。
どす黒い積乱雲のような感情が私の心臓を圧迫する。
私は止まらぬ涙を拭おうともせず、破裂しそうな感情の濁流を開放するようにペンを走らせた。
― 生まれてきたわけ ― (短編小説)
今日はとてもいい天気だ。
ぼくは特等席で景色を眺めている。
マンションの広いベランダと、そこに置かれた洋風のステキな犬小屋。ここがぼくのスイートスペースだ。
「ジョン!」
お父さんの声だ!
ガラガラとガラス戸が開けて、お父さんが満面の笑みで僕を抱きかかえてくれた。
僕はお父さんが大好きだ。優しくて、いつもおいしい物を僕にくれる。
ハァ、ハァ、ハァ。
僕はうれしさのあまりお父さんの顔をなめまわした。
お父さんも目を細めてうれしそうにしている。
なんかちょうだい! なんかちょうだい!
「ちょっと待てよ」
お父さんはそう言うと缶詰を取り出して、僕のお皿にポン、と朝ご飯を入れてくれた。
やったー!
今日はお肉が多めじゃないですか!
おいしすぎますよ。
幸せすぎて夢みたいだ。
僕は子供の頃、ペットショップの狭いショーケースの中にいた。
いつここから出られるかも分からない、時間だけがカチカチと過ぎていく毎日。
通りすがる人はショーケースを代わる代わる叩いては、好き勝手言っている。
コンコン…つまんない。
コンコン…なーんだ。
コンコン…不細工。
ほっといてくれ。僕はいい加減「コンコン」にうんざりしていた。
「コンコン」…またか。
僕は目だけ動かして、ケースを叩く人の顔を見た。
「かわいい!」
子供達の甲高い声が響く。
「こいつがいいか?」
丸顔のおじさんが子供達の間から顔を出して言った。僕は狭いケースから解放され、おじさんの大きな手に抱きあげられた。
「今日からお前も家族の一員だぞ」
おじさんは、優しく僕にそう言った。
この人が、今のご主人であるお父さんだ。
僕がこの家にきて二年が経った。
お父さん達は僕をとってもかわいがってくれる。
「ジョンおいで」
あ、お父さんが僕を呼んでる。
僕はお父さんの元へと走って行った。
お父さんは僕にリードをつけると
「行くよ」
と玄関に向かって歩き出した。
お散歩ですな、ご主人。楽しいじゃないですか。
「おいで」
おっと、今日は車でお出かけですか?
僕は車に乗り込んだ。
お父さんは少し走るとすぐに車を止めた。
「ジョン降りて」
ここはどこですか?公園?遊園地?バーベキュー?エヘヘ。
楽しい事に決まってる。
お父さんは、知らないおじさんとお話ししている。
なになに?おじさんとお話が終わるとお父さんは、リードをおじさんに手渡し、車に乗ってどこかに行ってしまった。
あれ?どういうこと?お父さーん。
おじさんは、僕を建物の中へと連れて行こうとした。
お父さんは?お母さんは?子供達は?嫌だ、嫌だよー!お家に帰る!
僕は、両手両足を地面に踏みしめておじさんに抵抗した。
でもリードを無理やり引っぱられ、建物の中に連れて行かれた。
なんなんだ、ここは……?僕は大きな檻に入れられた。おじさんは扉を閉めると、どこかへ行ってしまった。
檻の中には、柴犬のおじいさんがぽつんと座っていた。
おじいさんは僕の顔をじろっとのぞき込んだ後、
「新入りかい」
と、かすれた声で言った。
「こ、こんにちは」
ぼくはおじいさんにあいさつした。
おじいさんは、ここがどんな所か、自分はこれからどうなるのかを教えてくれた。僕は混乱してきた。頭がぐるぐる回って、立っていられない。
殺される、だって?
「どうしておじいさんは殺されちゃうの?」
ぼくが尋ねると、おじいさんはさみしそうな顔を浮かべて言った。
「いらなくなったからじゃないかな」
「いらなくなったから殺されちゃうの?そんなの変だよ。だって、おじいさんは生きているじゃないか!」
僕は思わず叫んだ。
「古いおもちゃに飽きたら新しいものが欲しくなるんだよ。いらなくなったおもちゃは、捨てられるのさ」
おじいさんは遠くを見つめてつぶやいた。
「そんな……。おじいさんはおもちゃじゃない。生きてる、命があるんだ!どうして殺されなくっちゃいけないんだ!」
ぼくはとても悲しくなった。涙がぼろぼろ、ぼろぼろこぼれて止まらない。
ギギーーー……
振り返ると、さっきのおじさんが檻の扉を開けている。おじさんは中に入ると、柴犬のおじいさんを捕まえてしまった。
さっきまであんなに落ち着いていたおじいさんが、今は必死に抵抗している。
首輪がくい込んで窒息しそうになりながら、必死に逃れようともがいている。でもおじさんはおじいさんを放さない。
キャン、キャン、キャーーーーン!
おじいさんは、絞り出すような声で叫んだ。
おじさんは引きずるように檻からおじいさんを連れ出した。
おじいさんは檻から出されると急に静かになり、僕の方にゆっくりと顔を向けて、こう言った。
「次は、おまえさんの番だ。」
そして、おじいさんとおじさんは奥の部屋へと消えて行った。ぼくは、ただ震えながら見ていることしかできなかった。
次は僕の番……?どういうこと?
僕もおじいさんのように連れて行かれて、殺されちゃうの?どうして?どうして?
うそだ!
だって、お父さんはあんなにかわいがってくれたじゃないか。
子供達だって、一緒にたくさん遊んだじゃないか。お母さんだって、お菓子をたっくさんくれたじゃないか!
ぼく、何も悪いことしてないよ。
お手だってしたし、おかわりもした。
おすわりも伏せも、言われたことは全部やったよ。
お父さんが帰って来た時はうれしくて、誰よりも早く玄関にお迎えに行った。
なのにどうして?
新しい子がいいの?
僕じゃダメなの?どうして?
お父さーん。お母さーん。今度は僕もっといい子にするから、もっと、もっと言うこと聞くから、だから、だから
……殺さないで下さい。
それから数日が経った。
僕はどうして生まれてきたのだろう。何のために生まれてきたのだろう。こわい、こわいよ。
早く迎えにきてよ。お父さーん……。
コツコツと、足音がこだまする。とうとう僕の番だ!
そう思った次の瞬間、隣の檻へとコツコツが通り過ぎていく――
そんなことが何度も繰り返された。
ぼくはビクビクしながら、檻の中で震えていることしかできない。
こんな気持ち、どこかで味わったことがあるような気がする。
……そうだ、子供の頃ペットショップのケースの中で毎日うなだれていた頃に似ているんだ。
ぼくの記憶は、いつケースから出られるか分からない不安から始まった。今はいつ殺されるか分からない恐怖に怯えている。
ある日、僕の檻に一匹のチワワの女の子が入れられた。
その子はとっても小さくて、ガリガリに痩せていた。
僕はその子に、今日までここで起こったこと、これから僕に起こるであろうことを、ゆっくりと話し始めた。
その子は泣いた。
話を終える頃、コツコツとあの足音が近づいてきて、檻の扉がギギーーーと開いた。
そして僕は、奥の部屋に連れて行かれた――
今度生まれてくる時は、また犬で生まれてこよう。
また、やさしい家族に囲まれて暮らすんだ。楽しい事がたくさん、たくさんあるから。
きっと、たくさん、たくさん……。
ぼくは、家族だよね、お父さん。
ガシャーーーン
おわり