誰にも信じてもらえない体験
21歳の時である。
役者仲間の一人が、ショットバーをオープンしたというので、祝いに駆け付けた時のお話。
バーは盛況で20人も入ればイモ洗いぐらいのスペースの店に30~40ぐらいすし詰め状態だった。どうにか人の波をかき分けて花束をオーナーに手渡し、早々に店を出た。
仕事帰りと言うこともあり時間は夜中の12時ぐらいだった。私は足早に車に乗り込み帰途に就いた。
いつものなれた近所の府道である。一本道で二車線。何もない比較的走りやすい道である。いつもの通り、普通に車を走らせていた。信号も何もない一本道で、急にハンドルがガタガタとぶれ始めた。
な、なんだ!?
私は、状況が呑み込めず、必死にハンドルを右往左往させて車を立て直そうとした。しかし、ハンドルがまるで生き物のように勝手に動き、制御できない。
とうとう、車は一回転してしまった。当然私はパニック状態。後続車がいればあわや大惨事である。どうにか暴れ馬のようなハンドルを力ずくで制御してようやく車を立て直すことができた。幸い後続車もなく、大事に至ることはなかった。
なんだったんだ、今の・・・
踊りまくっている心臓を落ち着けながら、無事家に就くことができた。
次の日、旅行に出かけているはずの母親が、日程を切り上げて、一日早く家に帰ってきた。
母親は家に入るなり大慌てで私に駆け寄り、20歳を超えた息子の体をパンパンと両手でたたき始めた。
な、なんなんだ、この異常行動は?
私が戸惑っていると、母親はその場にへたり込むように床に座った。
「よかった~。」
心底安心したような顔を浮かべて、憔悴したような声を上げた。
「どうしたの?」
状況の呑み込めない私は、そこでやっと、母親に話しかけることができた。
母親は、さっきまでの慌てた様子を一変させて、凛とした表情を作り、
「あんた、喪服用意しとき、今夜お通夜や」
と重苦しい口調で告げた。
思いもよらない展開に動揺しながら私は
「誰か死んだんか?」
と、構え気味に聞いた。
「〇〇君や」
母親は悲しみと同情をない交ぜにしたような口調で言った。
「え?」
私は驚いた。そりゃそうである。親戚のおじいさんやおばあさんが死んだのだと思うじゃありませんか普通。それが順番ってもんですよ。〇〇君は、何を隠そう私と同い年である。つまり21歳ってことですよ。幼少のころからともにボーイスカウトで苦楽を共にしてきた、いわゆる竹馬の友ってやつですよ。彼は別に病弱なわけでもなく、健康体そのもの、しかも頭が良くって子供のころは秀才で名を馳せ、医者にでもなろうかと言う、ひとかどの人物である。
しかも、母親はその〇〇君のオカンと一緒に昨日まで旅行に行っていたのである。
母親の話が続く、
「夕べな、旅館で12時ごろやったかな?おかあちゃん、全然覚えてへんねんけど、みんなで、寝ててんけど、急に起き上がって、旅館の神棚に立って、あかん、あかん。言うてたらしいねん。みんな、そんなんちょっと変に思うやん。(ちょっとどころではない)〇〇さん(オカンの名前)〇〇さん言うて私のこと起こそうと思ったらしいんやけど、なんか急に泣き出して、その場で倒れてしもたんやて」
なんか変なもんでも拾て食うたんちゃうかこの人は?と思いつつ、同級生が死んだ話と、オカンの奇行がどうつながるのかさっぱり、わからなかった。
「おかぁちゃん、もうろうとしててんけどな、みんなが、私の名前読んでるのは分かっててんけど、嗚咽が止まらへんかってん。そんでな、なんでか、ごめんな、ごめんな、って勝手に口が動いてしゃべりよんねん。涙は止まらへんし、何か変なこと言うてるし、うち、どうかしてもうたんかな?思ってたら、気ぃ失ってん」
母上はそこまで一気に話して、大きくため息をついた。
「それから、私がどれぐらい寝てたかわからへんねんけど、みんなに起こされて、お茶のみ言われて、お茶のんで、ちょっと落ち着いてきてん。1時ぐらいやったかな?ほな、〇〇さん(亡くなった同級生のオカン)の電話が鳴ってな、〇〇さん、悲壮な顔して、すぐ帰るいうて、帰ったんよ。私らもそんなん、じっと寝てられへんやん。せやから、一緒に帰ってきてん」
と言うのだった。
「なんでアイツ死んだんよ。事故か?」
私の問いにオカンは大きくかぶりを振って、
「自殺やって」
と、重々しい口調で告げた。
!!!!
「なんでよ!!」
私が少し声を荒げると妹が家に帰ってきた、オカンは妹と私の顔を交互に見やって、
「ホンマ、あんたら、アホで良かったわ~」
と、突然言い放った。
「賢い子はいろいろあんねん。〇〇君医学部目指してたやろ、今年で三浪目や・・・いろいろあんねん。賢い子は。〇〇さんには悪いけど、あんたら、アホで良かったわ~。って心底思うわ」
オカンの言いたいことは分かるが、学校から帰ってくるなり「アホで良かった、良かった」と、状況もわからず言われる妹君もキョトンとした顔をしていた。
オカンの奇行。私の車が突然暴れ始めた時間、すべて、同級生の自殺した時間帯とぴったり一致する。
〇〇君からの何かのメッセージだったのだろうか?
これが、私の誰にも信じてもらえない体験です。
今日の晩御飯
今日の晩御飯。いつも悩まされる今夜喰うもの。時間はない。喰う暇も惜しい。でも、おいしいものが食べたい。それが毎日毎日。これは大変な作業である。
そんなルーティーンワークもまぁ、嫌いではないのですけどね。(笑)
さてさて、今日の晩御飯であるが、今日は「親子丼ぶり」に決めている。
たまにありませんか、親子丼ぶりを力いっぱい腹いっぱい口いっぱい頬張りたい時って。そう、それが今日なのです。
今日はちょっと趣向を凝らした作り方をしてみよう。
作り方。
①まず、オリーブオイルをフライパンに一振りして、玉ねぎと鶏肉を炒めちゃいます。少し鶏肉と玉ねぎに焼き色がついたところで、「めんつゆ」とお~~にゅう~。
②フライパンに蓋をして少し煮詰め、玉ねぎがクタ~~っとしたら、溶き卵とお~にゅ う~。再び蓋を閉めて、2~3秒待つ。ふたを開けたら、あつあつのご飯をどんぶりによそって、上にかけると~。
③ハイ、出来上がり!!5分でできます。(三つ葉なんぞを添えるとこれまた最強)
めんつゆは万能調味料なので、時短料理に最適!!一度お試しあれ。
あ~腹減ってきた。
居酒屋で頼むもの
吉田類となぎら健壱を師匠と仰ぐ私は、時間が取れると立ち飲み屋に出かける。知らないおやじたちと「袖触れ合うも何かの縁」的な感じで無駄話に花を咲かせる。泥臭い感じがたまらなく居心地がいいのである。
吉田類の軌跡を追い求め、青森まで行ってきたほどである。日本全国津々浦々、人を求め地酒を求めて彷徨う。
方言に地元愛がトッピングされた兄さん方の会話はどこまでも心地がいい。
そんな中、私が頼むものと言えば地元食材、地産地消!をモットーにしているので、地元のお百姓さんが必死に磨き上げたご当地ブランド野菜やブランド家畜は外せない。
その土地の風土、地元愛が重なってこそのその味なのである。
地ビールもそうだが、そこの土地で飲むのと、お取り寄せで飲むのでは風土が違うので、味の感じ方が変わってしまう。その土地の風土にドンピシャ合ったビールなのだから、そこの土地で飲まないとだめなのである。
食べ物もしかり、その土地、風土に合った野菜、肉なのだから、やっぱり、その土地で食べないとだめなのだ。
と、持論オンパレードな理由で、居酒屋ではご当地食材を食することにしているというお話です。
チャン、チャン。(なんのこっちゃ(笑))
無駄遣い
無駄遣いと言えば、とてつもなく後悔しているものがある。
それは・・・パチンコ。
公営ギャンブル。競馬、競輪。ボート。オートレース。はまぁ、いろんなイベントとかやってくれるので、たくさんのお金を捨てたが、それでも少し高めのディズニーランドに行ったと、いや行きまくったと思えば、それなりに納得できる。
だがしかし、パチンコだけは日本津々浦々、どこにでもあってしかも景色も変わらず、何も得るものがない。(辞めた、今だから思えることですが(笑))
パチンコ、スロットで幾ら負けたのかもう計算するだけでおぞましい数字になってしまう。時間と費用をあれだけ割いて何も残らない。本当に後悔しかない。
あれだけの時間と費用があれば何ができるか。タイムマシーンがあったら当時の私に説教を喰らわせたいぐらいだ。(絶対に言うこと聞かないだろうなぁ~)
まぁ凝り性の私だから、凝りに凝ったわけです。回転数、設定、等々、朝一でパチンコ屋に入って、何も打たずに店員さんのように当り台をチェックして回るわけです。朝昼晩とチェックして回り、店のパターンを割り出す。または、その日一日のパターンを割り出して、厳選に厳選した一台に座り勝負をかける。(バカですね~。時間の無駄ですね~。若さの無駄遣い!!一人、思いだし怒りしてきた。己のアホさ加減に)
そこまでやって、一年トータルでトントンだったら、いい方で、負けていることの方が圧倒的に多い。それでも、なぜかパチンコをやめることができなかった。
それが今ではすっかり、辞めることができた。一昔前だったら、パチンコ屋さんのネオンを見れば、条件反射的に吸い寄せられていたのに、今では、メガスルーである。
何だったんだろうな~。あの煮えたぎるようなパチンコ熱は。今ではもう思い出すこともできない。
不思議なものです。
夏に食べたいおやつ
夏に食べたいおやつと言えば、何と言っても、かん袋のかき氷!!
茹だるような夏にクルミ餅が入ったかき氷を一口頬張れば、口腔内パラダイス!!
暑さも吹っ飛ぶ、大阪泉州のソールフード!!
お土産に壺クルミを持って帰れば、そこのお父さん!家族の人気者・ヒーローになれること必至。
一度お試しあれ。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
くるみ餅の出来た頃
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
氷くるみ餅
明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。
二十七代 かん袋主人
好きなお笑い
テストのフラクセーションを吐き出すように今日はブログ祭りだ!
好きなお笑い。私に対してこのお題。論文が書けちゃうな~。
枝雀師匠、藤山寛美、花紀京、横山ホットブラザーズ。東京コミックショー。私が心の師匠と崇め奉る人たちである。
小学校高学年だったか、中学生の時、吉本興業の養成校NSCができた。元来私は、お笑い好きで、小学校での催しで、落語をやったり、新喜劇のような劇を作ったりしていたので、親や先生たちはこぞって私に高校卒業したら、NSCに入れと言っていた。
親父は親父で、
「よし、俺の博打仲間で蝶々先生の弟子がおるさかい、口きいたるわ」
と、変に乗り気だった。
オカンはオカンで親父が松竹押しで来ると
「何言うてんのあんた、松竹なんて右肩下がりやで、今は吉本や、新喜劇かて岡八郎とか古参が首なってもうて、心機一転や。今がチャンスなんや」
と、お前誰やねん。って突っ込みを入れたくなるようなリベートが本人(私)を差し置いて、ご夫婦間で繰り広げられていた。
そんな、さなか私はと言うと。そんなことが、できるはずがない。あの人たち(お笑い芸人さん)は選ばれし神々なのだ~。と、心底思っていたので、頑なに拒否していた。
笑いは数学、方程式。時代とニーズを読み解いた卓越した数学者にのみ笑いの神様は降りてきてくれるのだ。そんな神業常人にできるはずがない。
「芸人になる」と言って、親御さんたちに反対されて今芸人になっている人たちからすると、うちの家族は変わっているのだろうなぁ~。まぁ、これが浪花クオリティーってことで(笑)
健康
健康について考えるとき2人の患者さんの顔を思い出す。
もう20年ほど前になる古い話だ。当時病院はまだ、喫煙者天国だった。入院病棟や待合室、はたまた、ナースステーションどこでも喫煙可能。患者さんたちは売店で好き好きのたばこを購入して病棟に設置された灰皿の前でたき火のようにタバコを吸いまくっていた。
一人目の患者さんは、90歳近いご高齢の大姉御様。なぜ、大姉御だというと、落としもさることながら、しぐさと言うか、心意気と言うか、風貌と言うか、とにかく、姉御なのである。一挙手一投足が意気でカッコいいのである。
その彼女は肺がんで肺を一個摘出していた。それでも、彼女はタバコをやめなかった。缶ピースをいつもソファーのひじ掛けの上において、両切りたばこの端をトントントントン机でたたいていた。
「〇〇さん。タバコ辞めないと、肺一個しかないのだから、もう一個やられたら死んじゃうよ」
と、私が意見すると。彼女は、耳にタコが出るよと言わんばかりにうんざりした表情を浮かべて、
「あんなぁ。先生。健康のためだって言われても、何のために健康じゃなきゃいけないんだい?好きなタバコ吸うために健康で長生きしなきゃいけないって言うんならわかるけど、タバコ止めろ止めろ言われて、何のために長生きするのさ。好きなタバコ吸って死ぬんだったら、もう悔いはない年なんだよ」
まったくもって正論。納得させられてしまった。
もう一人の患者さんはこれまた、88歳とご高齢のおじさまの話。
この方、糖尿病で両足が随分切断されていて、半分ぐらいになっていた。
「〇〇さん。お酒止めないと、足なくなっちゃうよ」
と、私が意見させていただくと、
「あのな~先生。好きな酒飲んで、足なくなっても別に構わないんだよ。明日、死んでもいい。死ぬまで酒飲むためにリハビリやってんだから。酒止めるんだったら、何のためにリハビリするんだよ」
と、言い放たれた。まったくもって正論。そんな目標の立て方があったのか~。とその当時の私は目から鱗が落ちる思いだった。
いや~。健康って何なんでしょうね。
特別お題 『選択』と『年齢』について
テストが終わったので、特別お題とやらをやってみよう。
SKⅡがスポンサーってことで、SKⅡ話を少しやってみよう。
SKⅡと聞けば今でも思い出す。人物がいる。
過去に一緒に仕事をさせていただいていた。スーパーナースがいた。御年84歳。現役バリバリのスーパーナース!!
そんな彼女が愛用していたのが何を隠そうSKⅡだったのだ。ジーパン一着に8万円も出しちゃうほどの「オサレさん」な彼女。指だって値段換算で車が何台もくっついているほどの煌びやかさ。
洗髪は家では一切せず、美容院。といった美にかける情熱は葉加瀬太郎バリの情熱度。
いや~。女性って素晴らしいですね。
とまぁ。SKⅡのお話でした。
お題はそこじゃ~ない!
「選択と年齢」でしたね。
私が人生最大の一大選択をしたのは、26歳の春。
その当時、私は役者をやっていて、数はちょぼちょぼだだったが、それでもテレビドラマやCMにとそこそこお仕事をいただいていた。
1本単価はそりゃ、時給換算すればですよ。たくさんいただいていたと思いますが、何しろ数がない。一か月に2本ドラマに出ても、1本単価3万だったとしても6万円にしかならない。当然役者だけで生計が成り立つわけがない。
でも、居心地いいんですよね~。売れない役者って。そんな、全然売れていない連中が片寄せあって生きてると、なんだかホンワカするわけです。(意味わからないでしょ(笑))当時私は25,6なわけです。でも周りを見渡せば、私と同じ境遇の40代、50代、60代なんて役者さんがごじゃっといるわけです。当然食えないから、多くは専業主夫(奥さんの紐ですね。ヒモ)だとか、アルバイトで食いつないでいる人達なわけです。
あ~。ずっとこのままでもいいのかな?こんな人たちも一応世間を生き抜いてこれているわけだから~。
と、鬼のような勘違いをしてしまう訳ですよ。
しかし、周りを見渡せば、25歳ともなれば、高校時代や中学時代の友人たちは大学を卒業していっぱしの企業に入って「サラリーマン」としてバリバリやっとるわけです。
プラプラ売れない役者何ぞやっていると、そんな友人たちが、ウルトラマン、スーパーマン、サラリーマン!ってな塩梅で同列ぐらい凄い人に見えてくるわけです。
だったら、すぐに役者何ぞやめて普通に仕事したら?
って、思うでしょ。そうなんです。まったくその通りなんです。ですが・・・。
たまーーーーーーに売れちゃう人がいるんですよ。そんな、痰ツボのようなところから、這い出ていくやつが。そんなのを見ちゃうと、次は俺かな?なんて、スーパー勘違いをしちゃうんです。バカだから。
でも、もうダメだ。って、何回も何回も唱えては、ぬるま湯に浸かって出ることができない。
で、何か行動を起こさねば、このまま、あの売れないまま年だけ重ねていってしまったオヤジたちのように、なってしまう!!!!!
と、一念発起。長年所属していた劇団を脱退し、受験勉強を始めた。それが、25歳の11月。そこから願書を出して、受験できる学校がもう残り少なくなっていた。まぁ、とりあえず、何校かでも出してみよう。来年とか言っていたら、また、何年もぬるま湯に浸かってしまう。と、受験してみた。受験倍率が当時は10倍20倍とかなり高嶺の花の学部だったので、まぁ~。今年は無理かも?と思いながら、受験した。
三校受験して、初めの二校は見事に桜が散りまくった。残り一校。
薄っぺらい封筒が郵便受けに入っていた。受験した最後の学校のものだった。薄い封筒は不合格の証。
「来年だなこりゃ」
と思っていたら、なんと桜が咲いていたではあーりませんか。
おおおおおおおおおおおおおお!!き、奇跡がーーーーー
と喜び勇んで、入学金を払い込み、大阪のアパートを払っていざ新天地へ!と準備を進めていた時、一本の電話が入った。
電話を取ると、声の主は私が所属していた芸能事務所の社長さんからだった。
「あっ〇〇君。次の朝ドラほぼ決まったから、スケジュール半年空けといて」
と、数か月ぶりにかかってきた事務所からの驚き桃ノ木びっくり電話だった。
「あっ。いや~その~」
と、私が言葉を濁していると。
「まぁ、そういうことだから、来週ちょっと事務所に顔出して」
と一方的に告げられ、社長様は電話をお切りになった。
学校に受かったばかりで、今まさに渡航しようとしているそのさなか、なんて電話だ。入学金払った後じゃないか!
思案、ここで思案。学校に行けばそれなりに安定した生活は保障される。(当時理学療法士は他職種と比較して結構高収入で人気のある職業だった。)
しかし、しかしですよ。連ドラですよ。あの「おしん」とか「はれたらいいね~」的なあの、あれですよ。部長刑事とかBSドラマのちょい役とはわけが違う訳ですよ。
思案、思案。そして、思案。ただただひたすらに~思案。
いや~。あの時は脳みそちぎれるかと思うぐらい悩みましたね~。
タイミングが良すぎるというかなんというか。一年朝ドラの話が、いや半年でも早ければ、もしくは一年後にこの話が来ていたら、あんなに悩まなかったと思いますが、タイミングがーーー良すぎる。いや、悪すぎる~。
ん~。え~。と考え喘いだ挙句に出した結論は、やっぱり安定!!役者を5年近くやってこの結果なのだから、何のとりえもない私には無理だろう。お相撲だって、野球だって、芸人さんだって結果の出せる人は1年目でもズバット行っちゃうわけだから。
と、自分に言い聞かせて、進学を選んだ。人生最大の選択でしたねあの時は。
今は、理学療法士として素晴らしい多くの人たちや素晴らしい技術に巡り合い、あの時の選択は間違ってなかったと心底思っている。
でも、あの時違う選択をしていたらどんな人生になっていたのかな~。と思う日はない!と言えばウソになりますが(笑)
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うんことちんこ
「うんことちんこ」と聞くと皆さんは、何を想像されますか?
人間いくつになってもうんこ、とちんこにはトキメクものです。老若男女問わず。うんこ話、ちんこ話に花をさせている。(話の内容は年によってずいぶん変化しますけどね)とにかく、花盛りである。
うんこ話。ちんこ話は大人になっても皆大好きで、話のネタに困らないほどです。
青春時代の思い出や新婚当初の思い出等々、時折々のウンこ、ちんこネタがそれぞれ転がっているものです。
「うんことちんこ」と聞くと私は真っ先に発達を思い出す。人は「肛門期」「男根期」を経過して成長してく。
つまり、「しっこ、しっこ、しっこ、しっこ~うんち、うんち、うんち~ぎゃははははは」と笑いながら人は成長するのです。
人はうんことちんこをいつも心に宿しているのですね~。だから、ときめいちゃうんですね~。
どうして、突然こんなどうでもいい、くっだらない話を始めたかって?
それは・・・・・・・・・ね。
明日中間テストだからです。病理学、生理学、解剖学~。トリプルゥ~。
思いっきり、力いっぱい現実逃避です!!!
では、そういうことで(どういうこっちゃ(笑))皆様ごきげんよう~。
いざ!修羅に入る!!!!
楽してアクセス数を伸ばす方法。(はてなのブログチャレンジを全てやってみた結果)
久しぶりにはてなのブログチャレンジに行ってみたら、通り名が「
は!?これが実力ってことか?なるほど。いや~。難しいね。ブログって。
半年にも及ぶ実験の結果。チャレンジ通りやったら、アクセスが伸びるってわけではないってことが立証されました。
まぁ。ここまでやったのだから、長老はしばらく寝ておくことにしましょう。(笑)
小説を書き終えて。あとがき
いやー。最後まで読んでくれていた方々、本当にありがとうございました。
つたない文章で読みづらい所も多くあったと思いますが、皆様のおかげで何とか書き上げることができました。
この題材を選んだのも私が、介護保険が開始した当初から介護保険に関わってお仕事をさせていただいておりました経緯からです。
医療保険や介護保険、または、地域支援事業、一般高齢者事業等々を通じて、私自身、理学療法士・介護支援専門員・社会福祉士主事として仕事をさせていただき、長年様々な方々と関わらせていただいてきた中で本当に地域医療・福祉に尽力しておられる方々をモチーフに小説を書かせていただきました。
病院内での少しグロテスクな表現があったと思いますが、全て事実です。できるだけリアルに表現させていただきました。登場人物や物語的な部分は勿論フィクションですが、ツタの枝のように曲がりくねっていく腕や足や喉が切れ血を吐くほどの狂気の叫び声等々の症状や病態表現は全てノンフィクションです。どうしてそうなってしまうのかの問題定義もすべて事実に基づくものです。(病院や施設ってところは本当にオカルト。一般病棟の方々は絶対見ることができない。二重扉三重扉の向こうに世界が広がっていますから。あなたの知らない世界そのものです。)
地域医療・介護においては、各専門職の正義の方向性がバラバラであることと、国が投げっぱにした介護保険の「民間に開かれた介護」のおかげで、問題続出。
民間は利益を上げるのが最も最重要課題。つまり、利用者は患者ではなく客なのである。という事は、介護保険利用者なんてどうせ何も知らないのだから、売りつけられるものはすべて売りつけてしまえ~ってことになる。民間業者からすれば、別に利用者が寝たきりになろうが、認知症になろうが知ったこっちゃないわけである。持ち分(介護保険利用限度額)すべてよこしやがれ~。ってなもんである。正に営利企業としてはすこぶる正しい!!しかし、「民間に開かれた介護」「選択できる介護」のおかげで、寝たきりへの片道切符が国民には切られることになったのである。
上記のような介護保険の法制度そのものの不合理や問題点を織り交ぜ、また、介護のポイントや最新の認知症リハビリテーション・生活期リハビリテーション等を盛り込み、風変わりなおもしろ介護指南書的に書かせていただいた所存です。
楽しんで読んでいただけたのなら幸いです。また、機会がございましたら、書きたいと思います。小説は恥ずかしいので、書き上げたので、ブログからは消去したいと思います。
本当に半年近くもの間、ご愛読いただいた方々には心より感謝いたします。
お医者様ってやつはホンマにも~
今日は三か月に一度の受診の日。
まぁ、お医者さんって人種はとっても病気本位。まぁ、お仕事だからしょうがないっちゃー、しょうがないのだが。言葉の強さと態度のギャップが素晴らしい。
「心筋の動きが止まってきてますねぇ。」
かる~い口調でさらりと医師は言ってのけた。
・・・それって結構やばめの告知なのでは?
心臓って一個しかないんだぞ!!止まったら死んじゃうんだぞ!!
って、心の中で医師にジャンピング突っ込みを入れていると
「どうします?薬ありますけど、あんまり効果は期待できないんですよね~。やります?治るとかはないんですけど、効果も定かじゃないんですけど、もしやるんだったら、二週間から三週間入院していただければと思います。その後はちょっと様子見たいので、月に1回は診察に来てください」
ど、どないやねーーーーん!!
定年退職して比較的時間に余裕のある高齢者ならいざ知らず。こちとら、いっぱいいっぱいで仕事しまくっている、労働年齢真っ只中の中年男が、そんなに仕事休めるわけないだろうが!!!!
とも言えないので、とーーっても穏やかな口調で
「あの~。先生。その効くか効かないかよくわからない治療を受けるのに私、仕事なくなっちゃっうかもなんですけど。どうしましょう?」
と、問いかけてみた。
「あ~そうですか。仕事ね。え~どっちでもいいですよ。治療したくなったら言ってください。患者さんの意向ってことで私はどちらでも構いませんから」
とこれまた、四万十川の清流のようなサラリとした御返答。
・・・どっちやねん。やった方がええんか、やらんでもええんか、どないやねん!
訴訟問題とか、自己決定権の問題とか最近は確かに医療分野でもややこしくなってきているとはいえ、治療指針とリスク等のメリット、デメリットぐらいは示してくれや~。情報量がほとんどないままで、「どっちでもええ」言われても選択のしようがない!!
とかなんとか、コンマ数秒で医者に心の突っ込みを入れていると
「まぁ、考えておいてください。次の受診日は三か月後でいいですか?それじゃ、今日はこれで」
「あ、ありがとうございました」
私は静々と一礼して診察室を後にした。
レセプト期間中だというのにムリクリ仕事休んできてこれだもんなぁ~。命は惜しい。でも医者に来てもこれだもんなぁ~。なんだかな~~~~!!である。
バブルの臭いがしてきたね~
いや~。日経平均が2万円超えるといつの時代も必ずやってくるバブルの臭い。
個人的にはバブルの空気感はあまり得意ではないが、それでも時代の波には少しは乘っておこう。的な風潮が自身の中に漂っている。(後々話のネタになるから)
バンドカラオケ。略してバンカラ。バブルを野生の嗅覚で嗅ぎ取った知り合いがオープンするというので、祝いがてら来店してみることにした。
梅田の路地を迷いに迷いまくり、もう少しで、宮崎さんちのバロンにでもあってしまいそうな。湯ばーば。にでも出会いそうなぐらい路地を彷徨い。やっとの思いで、たどり着いた。
地下に潜る階段が、昔よく通っていた難波のライブハウスを思い出す。狭い、そして怪しさ満点の階段。薄暗く奥が見えにくい。まさに異空間への黄泉の道。知り合いがやってなかったら、いちげんさんでは絶対に下りない階段だ。
無駄に重い鉄の扉を開くと、大音量が鳴り響く。入り口にチョコンと設置された、申し訳程度の小さなカウンターに黒服男が「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
いやーこの時点でまさにバブル!
「よっ!久しぶり」と言わんばかりの空気感に懐かしさを感じながら、大音量で聞こえにくくなった黒服男の話に耳を傾ける。
「入場料、御一人3500円です!!」
丁寧なテイストを保ちつつ、声を張り上げて、金額を告げる黒服君。
チャージ代が3500円!!まさにバブル。ご祝儀代だから、今日は致し方ないが、平素立ち飲み屋で、ちまちま飲んでいる私からすれば、もはや暴利としか言いようがない。しかし、今日は祝い事、おめでたい席なので・・・。としっかり自分に言い聞かせながら、しっぶ渋、入場料を支払い、やっとの思いで入場した。
鳴り響く大音量、中には30人前後の老若男女がそれぞれのスタイルで楽しんでいる様子。若人たちはライブさながらに、バンドマンの桟敷を陣取り踊り狂っている。さほどうまくもないが、お客一人がモニターを睨みつけながらマイク片手に熱唱している。
少し、年配とお見受けする紳士淑女の皆様は、ソファー席を陣取り紫煙をくゆらせながら、若人たち見守っている。
あはは。いいねぇ。一昔前のダンスパーティーを見ているかのようだ。ソファー席を陣取る人々とホールで踊り狂っている人。モーゼの十戒の如く明らかにそこには見えない国境があるのだ。
元来もったいない精神旺盛な私は、
「3500円分元取らねばならぬ!」
よし、歌うぞ!踊るぞ!何?フリードリンクだ~。一杯800円計算でも4杯以上飲まねば元は取れない!飲めや歌え!!
と意気込む私を尻目に、黒服君が
「すみません。今日はプレオープンなので、あと一時間で閉店なんです」
と、鬼のような宣告。
お、お前、それなら、私が入場料を払う前に言わんかーーーい!
しかし、もう時すでに遅し。払っちまったものはもう戻っては来ない。ならば、時短で元手を回収する方法。
こりゃ手っ取り早く、飲むしかない!
矢継ぎ早にカクテルをガバガバ飲み干し、知ってる曲が流れれば、若人に交じって踊り狂ってやった。曲を入れるぞ!と意気込んで、曲を打ち込もうとすると、予約曲が20曲以上入っていた。一時間では、私の順番が来るのは絶望的だ。
しかたない、飲むピッチを上げるしか回収方法はない!右手にジンバック、左手にビールを握りしめてAKBを踊りまくってやった。
はぁ、はぁ。と息を切らせて閉店となったバンカラを後にした。
あぁ、バブルは疲れる。しみじみ40越えの体を引きずって御堂筋線に乗り込み帰途に就くのだった。帰りの地下鉄がこれまた辛い。もう若くないなぁ(笑)