初めての大阪弁講座 おまけ:うちんち⑫
私が以前仕事の関係で、群馬県の群馬町と言うところに住んでいた頃のお話。
群馬の皆様は県外から流れてきた得体のしれない関西弁を話す私を快く迎えてくれ、親身になってよくしてくれた。
なかでも、同僚のS君は「県外からだったら友達もいなくて寂しいでしょう」と既婚者だと言うのに独身の私をおもんぱかり、なんども合コンを開いてくれたほどの親身度。
ありがたい。有り難すぎる。
私と仕事をするようになってしばらくすると、生まれも育ちも生粋の群馬っ子のS君が妙な大阪弁を使うようになってきた。
大阪弁と言うのは伝染能力が高いのか、職場では、S君のみならずそこらじゅうでイントネーションのおかしな関西弁が話されるようになっていた。
そんな中でも特にS君は勉強熱心で、「でん」って何ですか?「ねき」って何ですか?と私の話す言葉の中で分からない単語が出てくると片っ端から質問していた。時には仕事用のメモ帳に記入するほど意気込み満点。
ジャニーズ顔のS君は、「でんな」「〜やんか」と話した後で必ず「今のであってますか?」とチェックをもめるほど。
ん〜。その情熱を仕事に生かしてくれ、仕事に。
私もS君から「だんべ」活用法や「おっぺす」等の特殊単語を習って仕事に生かしていた。
大阪弁で「もみない」と言う言葉がある。
「ももない」「もむない」などと発音さることもあるが、これは「おいしくない」「まずい」と言う意味である。
職場のみんなでもんじゃ焼きを食べに行った時のことである。もんじゃ自体は可もなく不可もなくって感じだったが、そこで頼んだ焼きそばがとにかくまずかった。
焼きそばなんてソース味で子供が作ってもそこそこの味になるのが売りの食べ物でここまで、まずく作れるものかと不思議なぐらいの味付けだった。
そこで、S君
「こういう時、なんて言うんでしたっけ?あの〜あれですよね」
そうです。あれです。と思いながら、かたずをのんで、S君のファイナルアンサーを待っていた。
ここは群馬。大声でその単語を言っても知っている人はいないでしょう。かまわない。言っておしまい。
「あの〜。あれ、あれ、」
と、必死に思い出そうとするS君。いいぞ、今こそ勉強の成果を見せる時だ。そうだ、それだ。もうちょっと、
「そそない。ととない・・・」
ぶつぶつと言葉の引出を全開にしているS君。
そうだ。惜しい。もう少し
「分かった!」
と、S君は目を輝かせて
「ぼぼない!!」
と、店内で叫んだ。
吉本新喜劇張りに私と関西人の一人はずっこけた。他の群馬県民は言わずもがな、ぽかんと口を開けていた。
九州の人がいたら大変なことになるぞ。ぼぼ=女性性器
確かにあなたにはボボはありませんが・・・・
「もみないやもみない」
と私たちも慌てて訂正。
「ぼぼ」も「もみない」も方言だから群馬では分からないだろうけど。飲食店で何叫んでいる事やら。
(^ー^; )
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うちんち⑫
翌日。花梨は源太を連れて、幸子と源三郎のいる病院へ出かけた。
「小源太はまだ小さいからダメ」
幸子に言われ、小源太は不本意ながらもお留守番を強いられた。
源三郎の入院した病院は、佐藤家から歩いて二十分ほどの場所にあった。花梨は病院の玄関横に立つ桜の木に、源太のリードを引っかけた。
「源太、ここで待っててや」
そう言って花梨は、源三郎の元へと急いだ。
看護師に案内されて源三郎の病室に入ると、カーテンでベッドが隠されていた。看護師がカーテンを勢いよく開けると、中から源三郎が現れた。
源三郎は、ベッドの上で静かに眠っていた。源三郎の体から、無数のチューブが生い茂っている。
「おばちゃん、これ何?」
花梨は不思議に思い、チューブの一つを軽く摘まんで幸子に聞いた。幸子の代わりにここまで案内してくれた看護師が答えた。
「この管からお薬が入ってんねん」
「ふーん。これは?」
違う管を指差して花梨が聞いた。
「それは、おしっこ取る管」
看護師は丁寧に答えてくれた。
「おじいちゃん、おしっこできへんようになったん?」
花梨は驚き、慌てて看護師に聞いた。
「おじいちゃん、ずっと寝てるから、オネショしてもうたら可哀そうやろ?」
看護師は優しく言った。
「う~ん」
疑問が残る花梨だったが、ここは納得しておくことにした。
「義(いも)妹(うと)さんですよね。先生からお話がありますので」
看護師が幸子に言った。
「花梨ちゃんは、おじいちゃんとこにおったらええよ」
幸子はそう言うと、看護師に連れられて病室を出て行った。
「おじいちゃん、オネショしてまうんか」
眠っている源三郎に花梨が話しかけ、軽くデコピンを一発お見舞いした。
「これ何本生えとんねんやろ? 一本、二本、三本、四本……」
花梨が源三郎の体じゅうから飛び出している管を数えていると、幸子が医師とともに病室に戻ってきた。
「あんな(あのね)、花梨ちゃん。おじいちゃん、全然起きひんねやて。せやから、花梨ちゃんに起こして欲しいんやって」
幸子が花梨に言うと
「うん分かった。まかしといて!」
花梨はヤル気満々、幸子に答えた。
「先生、なんか棒無いですか?」
花梨が医師に聞いた。
「棒? 何すんの?」
「ええから、ええから」
医師はゴソゴソと白衣をまさぐり、胸ポケットに刺さっていた指し棒を伸ばして、花梨に見せた。
「こんなんでいいかな?」
「う~ん。これじゃちょっとインパクトないな。でも、ま、ええか」
花梨はそう言って指し棒を受け取り、軽く振った。
「ちょっと花梨ちゃん。それでおじいちゃんどついたらあかんで!」
幸子が慌てて花梨を止めようとした。
「そんなんせえへんよ。そんなんしたら、おじいちゃん可哀そうやん」
花梨の言葉に、医師も幸子もほっと胸を撫降ろした。花梨はおもむろに窓際へ歩き出すと、一呼吸置いて、カーテンを勢いよく開いた。
――シャーーーッ!
カーテンで堰き止められていた陽光が薄暗い病室に満ちていく。花梨は手にした指し棒を翳し、ベッドフレームを激しく叩き始めた。
――カンカンカンカンカーン!
♪朝だ、あっさっだーよー! 爽―やーかなー朝だー♪
大声で歌う花梨を、医師と幸子が慌てて羽交い絞めにした。その時、昏睡状態だった源三郎の意識が、冥暗の深淵から顔を覗かせた。
「う、う~ん……花梨か」
源三郎は喉に痞えた言葉を絞り出すように言った。
「うん。おじいちゃん寝ぼすけやから、起こしたってんで」
花梨が笑顔で源三郎に言った。
「そうか、ご飯。ご飯作らなな……」
源三郎が体を起こそうとすると、すかさず医師が間に入った。
「佐藤さん、いいですよ。ゆっくりして下さいね」
医師は肌蹴た布団を源三郎の肩までかけた。すると源三郎は再び目を閉じた。
「あー! 花梨せっかくおじいちゃん起こしたのに」
花梨が膨れっ面で言うと
「いいんだよ、おじいちゃんが元気だってことが分かったから。今はゆっくり寝かせてあげようね」
医師が花梨を諭すように言った。
「ふ~ん。じゃあもう起こさんでええん?」
花梨が聞くと、医師はうなずいた。
「へ~、変なの。はいこれ」
花梨は首を傾げ、借りた指し棒を医師に返した。医師はそれを受け取ると、幸子と何やら話し始めた。花梨は源三郎の顔をまじまじと見るのだった。
「おじいちゃん、また寝てもうた」
話が終わったのか、幸子が
「花梨ちゃん、今日は帰るよ」
と花梨に告げた。
「え~、せやかて今来たばっかりやん」
花梨が拗ねたように言った。
「おじいちゃん、疲れてんねんから、寝かせといたろ」
幸子が言った。花梨はしぶしぶ病室を出た。仕方なく、桜の木の下でチンと座っていた源太のリードを持ち、家へと帰った。
その夜は幸子が夕食を作ってくれた。
「これ、多めに作っとくから、お腹空いたらチンして食べてや」
幸子は何種類ものおかずをタッパーウェアに入れてくれた。冷凍庫の中は埠頭の倉庫のようにきちんと整理されていた。
「うん。ありがとう」
肉じゃがを食べながら花梨が言った。
あらかた食べ終わったころ、エプロンで手を拭きながら幸子がテーブルに着いた。
「あんな、花梨ちゃん。おじいちゃんのことなんやけど」
幸子は神妙な面持ちで話し始めた。
「うん。らひ(何)?」
花梨は、自らの口には大きすぎるジャガイモをいっぱいにほおばり、ハムスターのようになっている。
「……あのさ、花梨ちゃん。なんでそないに元気なん?」
病院での出来事といい、このハムスター食いといい……底抜けに明るい花梨の姿を、幸子は不思議に思っていた。すると、花梨が答えた。
「花梨が元気やないと、おじいちゃん悲しむやん。せやから、ご飯いっぱい食べて元気やなかったら、あかんねん。い~っぱい元気貯めて、おじいちゃんに分けたらな、な」
幸子は、不安ばかり募らせている自分が恥ずかしく思えた。まだ甘えたい盛りの小さな花梨が、必死に頑張っている。健気な少女の姿に、幸子の目から自然と涙が溢れた。
「花梨ちゃん……」
幸子は気づくと、花梨を両手で抱きしめていた。花梨は幸子の温もりに包まれながら、なおも箸を持つ手を休めず食べ続けた。
「……ズッ。肉じゃが、もっと食べる?」
鼻を啜りながら幸子が聞いた。
「うん! おっかわりー」
花梨は茶碗を上に突き上げ、元気いっぱいに言うのだった。
花梨はそれから毎日、学校から帰るとすぐに源太を連れて源三郎の病院に行った。小源太はまだ小さいので、お家でお留守番。
源三郎はいつ訪れても寝ていることが多かったが、起きている時は花梨と会話もし、元気に笑えるまでに回復していった。
「おじいちゃんもう元気になった?」
花梨が源三郎に聞くと
「おう。もう大丈夫や」
源三郎はそう言って、ベッド上で花梨に力こぶをこしらえて見せた。
「よかった~。おじいちゃん死んでまうかと思ったで、花梨」
花梨がおどけて言うと、源三郎はハハハと笑いながら返した。
「花梨がお嫁さんに行くまでは、おじいちゃん死なれへんわ」
「花梨、お嫁になんか行かへんもん。ずっとおじいちゃんと源太と小源太とおるねん」
花梨が膨れっ面で答えた。
「そうか、そうか」
源三郎は嬉しそうに、花梨の頭を撫でた。
「花梨の顔見てたらおじいちゃん、元気出てきたで~。ふん!」
源三郎は起き上がろうとした。が、体が動かない。源三郎はベッドの柵を握りしめて力いっぱい上体を引き上げ、ベッドに腰かけた。
「おじいちゃん、起きてええのん?」
花梨が心配して源三郎に言った。
「大丈夫、大丈夫。ほら」
源三郎が立ち上がろうとしたその時。
「佐藤様ー、お薬の時間……」
ちょうど看護師が病室に入ってきた。
「佐藤様!!!」
源三郎の姿を見た看護師は大声で叫んだ。
ビクッ! ――看護師の金切り声で花梨と源三郎は驚き、フリーズした。
「アカンやろ佐藤様、勝手に立ったら! 許可が無いうちは勝手なことせんといて下さい!!」
看護師は源三郎をベッドに無理やり押し付けて寝かせると、バン! と薬を床頭台に置き、足音をドカドカ響かせて病室から去って行った。
「……怒られてもうたな」
源三郎は舌を出し、おどけて花梨に言った。
「うん。佐藤〝様〟言うてんのに、めっちゃ怒っとったな……変なの~」
「せやな」
源三郎と花梨は顔を見合わせ、笑った。
つづく