北斗の拳 おまけ:うちんち⑯
「北斗の拳」言わずと知れた漫画ですよ。
男子のバイブル。北斗の拳とガンダムを知らない女子とは付き合えない。と公言しちゃってる男子もいるぐらいです。
まぁ、仲間で飲んだら往々にしてアニメ話&漫画談義と相成るわけです。
ついこの間も昔なじみと飲んでいたら、女子の一人が
「私あのマンガ嫌い」
と突如言い始めた。
心の聖書を怪我された訳です。頭の中でカーンとゴングが鳴りますよそりゃ。「なぬ〜〜」です。
ビールジョッキ片手に肩をせり出し。じっくり話を聞かせてもらおうじゃないか、えぇ。ってな具合で机に身を乗り上げる。
「だって〜。結局みんなユリアが好きなんじゃない。愛だとかなんとか言ってるけど、他の女子はほったらかしで結局ユリア。成立してないじゃない」
ときたもんだ。
「レイとマミアなんかラブラブじゃねーか。ユリアだけじゃねーよ」
と反論
「どうせ南斗の連中はユリア組なんだから、マミアは代打なんだよ」
と言い返されぐうの音も出ない。くそ!
「アインだって、ユリアじゃない女のため戦ってじゃねーか」
「アスカなんて自分の娘なんだから話の論点がずれてるでしょ」
と言い負かされた。
むむむむ。読み込んだうえでの反論。なかなか敵もやるもんだ。
こうなったら、奥の手だ!!
「リンとバットは」
と言いかけたところで
「ラオウが死んでからは読んでない!!」
と言い放たれた。つくづく正論。なす術なし。
「でなおしてきます・・・」
と敗北を認めざるを得なかった。
無念!!
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うちんち⑯
翌日。
学校から帰った花梨はランドセルを家に投げ込み、小源太と源太を連れて、源三郎のいる施設へと向かった。施設は花梨の家から歩いて三十分ほどの場所にある。
施設の玄関先には、手頃な銀杏の木が聳え立っていた。花梨は銀杏の木に源太と小源太のリードをかけた。
「おじいちゃんとこ行って来るから、ええ子で待っとってや」
花梨は二匹にそう言い残し、施設の中に入ろうと足を進めた。
昨日は気づかなかったが、透明なガラス製の自動ドアには『介護老人保健施設 安楽苑』と、大きな文字で書いてあった。
「やす、がく……」
〝苑〟は、習ってないので読めなかった。
介護老人保健施設――通称〝老健〟は、介護保険三施設(介護老人福祉施設・介護老人保健施設・介護療養型施設)のうちの一つで、病院を退院してからしばらくの間、リハビリテーションを行い、在宅復帰を目指す『中間施設』に位置づけられている。しかし、介護老人福祉施設(=特養)の数が圧倒的に少ないため、特養に入りたくても入れない高齢者達の待機場所としての役割が年々大きくなり、〝第二特養〟と揶揄されている。
自動ドアをくぐると、すぐ横の〝受付〟と書かれた窓から、つるっ禿げのオヤジがニョキと顔を出し、穏やかな口調で花梨に尋ねた。
その男――佐々木は安楽苑の事務長であり、人が二人も入れば満員といった具合の、狭い受付兼事務長室で仕事をしている。
「お嬢ちゃん、どこ行くの?」
「おじいちゃんとこ」
「おじいちゃん? お嬢ちゃん、ここに名前書いてくれへんかな」
佐々木は大学ノートを開いて花梨に差し出した。花梨は名前を書き込んだ。
〝佐とう 花りん〟
「あ~、昨日入所した佐藤さんとこのお孫さんか?」
佐々木はノートを覗き、花梨に聞いた。花梨は首を縦に振り、源三郎の居室へ向かった。
「ワシ、早(は)よ帰りたいねん。なんでこんなとこに居(お)らなあかんのや?」
花梨が入るなり、源三郎が言った。
「しゃーないやん。ここ入らなあかんて幸子おばちゃんにも言われてしもたし」
花梨が口を尖らせた。
「ワシ、ここもう嫌やねん。飯も食わせてくれへんし」
「え~?」
花梨は源三郎の立て続けの苦情に、ちょっとウンザリしてきた。
「ここはご飯くれへんねん。せやからワシ、昨日からなんっっにも食うてへんねんで!」
「ホンマに?」
花梨は半信半疑に源三郎の顔を覗き込んだ。
「ホンマやって。な、酷いやろ」
「ホンマやったらな」
「ホ・ン・マやって!」
源三郎は必死に自分の正当性を花梨にアピールした。
「せやからワシ、今日お前と一緒に帰ろ思て。うん、うん」
源三郎は両腕を組み、勝手に納得している。
「じゃ、今日一緒にお家帰れるん? 病気はもう治ったん?」
花梨は喜んで源三郎に聞いた。
「ワシはもう病気治ってんねん。どーっこも悪(わる)ないねん」
源三郎はそう言って両腕を伸ばした。
「ダブルパーンチ! どや?」
「なんやねんそれ。ほんなら帰ろ! 荷物はまた後で取りに来たらええやん」
源三郎と花梨は連れ立って居室を後にした。花梨は鼻歌を口ずさみながら、源三郎の手をぎゅっと握り、軽やかに廊下を歩いた。ところが、二人の爽やかステップも束の間、玄関先で佐々木に呼び止められ、二人はナースステーションまで連れ戻された。
「それじゃあ。後、頼んますわ」
「はいはい。看護師の鬼塚です、よろしく」
看護師を見て花梨は驚いた。鬼塚の顔にはびっちりと皺が刻まれ、腰はくの字に曲がりきっていた。かなりのおばあちゃんだ。源三郎より年上に違いない。
――この人にだけは注射打たれたくないな。
花梨は密かに思うのだった。
「何? どうしたの?」
鬼塚が花梨に聞いた。
「おじいちゃんの病気、もう治ったさかい、家に帰るねん」
「う~ん、困ったなぁ」
鬼塚は考え込んだ。皺だらけの眉間に、さらに縦皺が増えた。
「せや! お医者さんに聞いてみましょう」
鬼塚は、さも名案が浮かんだように言うと、近くの電話に手を伸ばした。
「もしもし、先生ですか? 佐藤さんなんですけど。お孫さんが、おじいちゃんとお家に帰るって言うてはるんですけど。はい」
鬼塚はそこまで話すと、受話器の話口を手で押さえて、花梨の方へと顔を向けた。
「お嬢ちゃん、何年生?」
「三年生、なったとこ」
花梨が答えると、鬼塚はまた向きを直して電話に話しかけた。
「小学三年生です。なったとこです。はい。はい、はい。それでは失礼します」
鬼塚は受話器を置くと、二人の方に向き直った。
「あのね、お医者さんがとりあえず、今日は泊まっていって下さいって」
えっ、と花梨が声を出す前に、源三郎が大声を上げた。
「ええ~!!」
花梨と鬼塚は驚いて源三郎の顔を見た。
「な~んで帰れへんねん! ワシもう元気やねんで!」
源三郎が声を荒げた。
「お医者さんが言うんやから、しゃーないでしょう」
鬼塚は平然と答えた。
「せやったら、いつまでお泊まりしたらええのん?」
花梨が鬼塚に聞いた。
「せやなぁ。お医者さんがいいって言うまでやな」
鬼塚が言うと
「答えになってへん!」
源三郎は怒り心頭に、ナースステーションを後にした。
「なってへん!」
花梨も捨て台詞を残して、源三郎の後を追った。
「やれやれ……もう二度と、家には帰れへんかもな」
鬼塚は二人の後ろ姿を見送りながらつぶやいた。そして曲がった腰をふん、と伸ばして自らの肩を揉み、首をコキコキと鳴らした。
――ビーッ、ビーッ、ビーッ。
喧しいナースコールがナースステーションに鳴り響いた。
「はい、はい」
鬼塚はやれやれという風に、足取り重くナースステーションを出て行った。
「源ちゃーん、ご飯ですよー。食堂に行って下さーい」
若い女性の介護士が源三郎に声をかけた。
「いや、ワシはいらん。今日帰るから、帰ってから食べるわ。今日は花梨のためにビーフストロガノフ作らなあかんねん」
源三郎は介護士の誘いをぴしゃりと断った。
「あら、お洒落やね。源ちゃんが作んの?」
介護士は、初対面の源三郎に、幼馴染のように話しかけた。
「あんたに源ちゃん呼ばわりされる覚えは無い。ワシはあんたのオヤジよりずっと年上やねんど。さんつけろ、さん!」
源三郎は介護士に指摘した。介護士は源三郎に叱られて面食らっていたが、
「すみませんね、佐藤さん!!」
ほどなく露骨に憤慨し、吐き捨てるように言ってその場を去った。
「お姉さん、怒って行っちゃったね」
花梨が源三郎に言うと
「最近の若いもんは、目上の人に対する礼儀がなってへん。花梨ええか? 人に会(お)うたらとりあえず挨拶や。きちんとした元気な挨拶は、気持ちがええもんや」
源三郎は腕組みしながら花梨に享受した。
「うん。花梨、ちゃんと挨拶できんで」
「うむ。それでええ。花梨はええ子やな」
そう言って、源三郎は花梨の頭を撫でた。源三郎は気を取り直し、決意を固めた。
「さて。作戦練り直しや。もう一回、ナースステーションで直談判や!」
「じかだんぱんや!」
二人はそう言って、腰かけていたベッドから颯爽と立ち上がった。そして勇ましく廊下を闊歩し、ナースステーションに向かった。ところが、
――ストン。
源三郎のパジャマのズボンが脛までずり落ち、大事な所がコンニチハした。
「あーーー!」
二人は思わず大声を上げた。
「大変や!」
花梨は急いでズボンを引き上げたが、ズボンのゴム紐がオムツの重みに負けそうだ。
「へ、部屋に戻ろう」
源三郎が周りを気にしながら言った。
「う、うん」
花梨も焦ってうなずいた。二人はずり落ちるズボンを必死で押さえながら、居室へと急いだ。
部屋に戻るなり、源三郎は、限界まで尿を吸い込んでズシリと重くなったオムツを外して、ゴミ箱に投げた。
「新しいの、どこにあるかな?」
源三郎は床頭台やベッドの下を覗きこんで探し始めた。
「おじいちゃん、オムツしてんの?」
花梨は源三郎の予期せぬカミングアウトを目にして、軽いショックを受けていた。
「ああ……入院してから、おしっこが出てんのか出てへんのか、よう分からんようになってもうてん。周りに迷惑かけたらあかんからって看護婦が言うから、しゃーないねん」
照れくさそうに源三郎が頭を掻いた。
「赤ちゃんみたいやな」
花梨が笑って言った。
「せやな」
源三郎は相槌を打ちながら、床頭台をひっ掻き回した。
「どこ、あんねん?」
フルチン姿でベッド周囲を探索している源三郎に、花梨が言った。
「おじいちゃん。無いんやったら、とりあえずそのままズボン履いたら?」
花梨は、源三郎の大事な所がぶらぶら動くさまが、気になって仕方なかった。
「せやな」
源三郎はうなずいて、オムツ探しをやめ、素肌の上にパジャマのズボンを履いた。
「ん~。これはこれで、スカスカして気持ちええな」
源三郎がニカッと笑って花梨に言った。
「そりゃよかった。ナイスアイディアやな。へへ」
「楽しそうやね。花梨ちゃんやったっけ?」突然、居室に鬼塚が姿を現して言った。
「うん」
「もう帰らなあかん時間になってもうてんやんか。おじいちゃんご飯食べなやし。せやから、また明日おいで」
「でも」
花梨が抗議しようとすると、鬼塚は
「お医者さんがええって言うまで、おじいちゃんぜーーーーったい、お家には帰られへんねん。せやから、今日は諦め」
と、強い口調で花梨と源三郎に言った。
花梨と源三郎は顔を見合わせ、「……うん」と、同時に力なくうなずいた。
「ほな、おじいちゃん、ご飯食べよ。花梨もお腹空いたわ。幸子おばちゃんがおいしいの作ってくれてると思うから、心配せんでええよ」
「そうか。ほんなら、ビーフストロガノフはお預けやな」
源三郎が残念そうに言った。
花梨は名残を惜しみながら、源三郎の居室を出た。玄関まで行くと、佐々木が受付の小窓から顔を覗かせた。
「今日は退散か?」
佐々木は笑顔で花梨に聞いた。
「うん。また明日」
自動ドアをくぐると、いつの間にか日はとっぷりと暮れていた。
「あ! そうやった!」
木に括られていた源太と小源太が、
――もう、待ちくたびれました~
と不貞腐れていた。
「堪忍、堪忍! ご飯食べに帰ろな」
花梨は手を合わせて二匹に謝り、リードを木から外した。二匹は猛烈な勢いでリードを引っぱり、花梨を家へと誘うのだった。
つづく